第66話

(デル様のにおいだわ……)


 抱きついた身体は大きくて温かい。

 優しく、丁寧に包み込まれれば、どうしようもなく感情が溢れてくる。


「デルマティティディス様……お会いしたかったです…っ」

「私もだ、セーナ。そなたがいない月日はとてもつまらなかった」


 ぞくりとするような、低音の声。

 耳元で響く美声にうっとりと目を閉じる。

 大きな掌が、壊れ物を扱うかのような動きで私の頭をなでる。


「セーナ、私はもう我慢しないと決めた。手放したものの大きさに、この10年間押しつぶされそうだった。思い出だけで生きていくなど、私にはできなかった。そなたが何と言おうともう離しはしない。よいな?」

 

 どこか急いた様子で尋ねるデル様。


(我慢……? 離しはしない……? いいえ、勘違いしてはいけないわ。きっとあれよ。専属薬師がいなくて体調に不具合があったのだわ。ドクターフラバスに必要なことは引き継いだはずだけど、想定外のことが起こっているのかも)


「……はい。私はもう何も予定はありませんので、必要でしたらお役に立たせてください。でもその前に今までの経緯をご説明する機会を頂けませんか? 個人的にお伝えしたいこともあるので……」


 私の返事を聞くなり、デル様は抱きしめる腕に力を込めた。

 ぐぐ、ちょっと苦しいくらいになってきた。酸素を求めて身じろぎすると、デル様の体越しに、目を丸くしている大トカゲ門番の顔が見えた。


(そりゃそうよね、突然天下の魔王様が現れて小娘とハグしてるんだから)


 なんて変に冷静に考えていると、私の気がそれたことに気づいたデル様に怒られた。


「セーナ、久しぶりの再会だというのに、私以外の者のことを考えないでほしい。ゆっくりできる場所へ移動するぞ」

「……はい。私もデルマティティディス様とゆっくりお話ししたいです。ああでも、奥様は大丈夫でしょうか? お部屋に女性を入れたらお気を悪くされると思います。どこかオープンな場所のほうが――」

「妻などいない!」


 ギロリと見たことも無いような怖い顔で即答するデル様。

 そのお顔にビクッとしながらも、私は彼の答えに嬉しさを感じてしまっていた。そんな権利、もう私にはないというのに。

 でも、これで自分の気持ちは伝えることができる。あの時言えなかった、彼への本当の気持ちを。

 そう思うと、自然と口角が上がってしまう。


 デル様のお顔を見上げて微笑む。相変わらず非常に整ったお顔だ。完璧な配置の鼻と眉、切れ長の星空の瞳、天鵞絨のような艶を持つ髪。

 つい見とれていると、彼のむっとした表情がみるみるうちに何かを我慢する表情になっていく。


(あれっ、角が赤いわ)


 彼の角が赤くなる現象は、何度か見たことがあるなと思い出す。

 やはり、不在だった間に体調が悪化したのだろうか……?


「っ、セーナは確信犯なのか? 何も考えずにやっているのなら手に負えないぞ。本当に、もうどこにも行かせたくない」


 彼はしばらく口元に手を当てて上を向いていたが、疲れたような表情でこちらに向き直る。


 そういう表情の変化ひとつひとつすら愛おしく感じる。私はやっぱりデル様のことが好きなんだなあと、じわじわと実感が湧いてくる。

以前は美しすぎるお顔は直視をためらうほどだったけど、今はずっと眺めて目に焼き付けたいなと思ってしまうのだから恋とは不思議なものだ。


「じゃあ行くぞ」


 そう言いながらデル様はこちらに顔を傾けた。

 おやっと思った瞬間、唇に湿った温かいものが触れる。


(…………?!!!)


 事態が飲み込めた時にはもう彼は離れていて、ニヤリとした笑みをこちらに向けていた。


(きっ、キスしたよね、今!?)


 全身の血液が顔に集中していくのを感じる。あ、熱い……

 ひどく決まりが悪くなってしまい、何かしゃべらなきゃと思うのに言葉が出てこない。


「あ、あの、でるさま……」


 分かりやすく混乱する私を愉快そうに見つめていたデル様は、軽快に指を打った。


 パチン!!


 ものすごい風に煽られて、次に目を開けた時に私がいたのはデル様の私室だった。

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