第64話

(……うん………ん…)


 ふと、意識を取り戻す。

 無意識に目を開く。

 視界いっぱいに、薄暗いものが広がっていた。


「ここは……?」


 ひどく長い間寝ていたような感覚。体が怠く、頭もぼんやりする。


 軽く腕や足を動かしてみる。

 どこか痛いとかそういったことはなく、体調そのものは問題ない。


 うんしょと起き上がって、きょろきょろと周囲を確認する。

 どうやら私は平坦な岩場にいるようだ。先ほど目に入った薄暗いのは、どんよりした空だった。

 岩場はとても広く、寝ている者、起きて同じように周りを見渡している者、見渡す限りたくさんのひとがいる。


(人間だけじゃなくて動物や虫、初めて見る見た目をした生き物もいるわ。ここは何なのかしら……?)


 明らかに地球ではない。映画に出てくるような、どこか違う惑星に来てしまったかのような多様性だ。


 観察を続ける。

 多くの者は身体1つでウロウロしているけれど、中には花や写真、絵姿を持っている者もいる。……私のように、ごちゃごちゃと実験器具や図鑑などを散らかしている者はいなかった。


 目線を上げて、周囲の環境に目を向ける。

 この岩場は小高くなっていて、あたりの風景が見渡せるようになっていた。

 薄暗い空はどんよりと雲のようなものがかかっていて、星や月などは見えない。砂漠のように岩場や砂丘が繰り返される単調な風景のなかに、とてつもなく大きな扉が点在しているのが目に留まった。


(扉というより巨大なオブジェみたいだけど。色の違うものが、3つ……いや、4つ見えるわ)


 一番近い扉はここから1kmくらいだろうか。東京タワーくらいの大きさで、つるつるとした灰色の石のような素材でできており、よくわからない紋様が彫刻されている。扉の向こうには水風船のように異空間のようなものが広がっており、街のようなものが透けて見える。


 その次に近いのは1.5kmくらいの距離だろうか。同じくかなり大きな扉で向こう側に異空間が広がっているが、こちらは少し青っぽい色をしている。


 そんな感じで東西南北、各方向に色の違う扉が見て取れた。


 巨大な扉以外の建造物は見当たらず、ひたすらごつごつとした岩場や砂丘が広がっているだけだ。それは起きた者を扉に向かわせるためにそういう状況にしているのでは、と感じさせるくらいに何もない。


 一体ここはどこなんだろう? そして、私はなぜここにいるのだっけ……?

 座り込んでぼーっと呆けていると、これまでの記憶がじわじわと思いだされてきた。


 北海道に生まれ、薬剤師になり、新薬を開発し、死にかけて、ブラストマイセスへ……

 そこまで思い出したところで勢いよく全てがつながる。記憶の波が脳に押し寄せ、あらゆる感情が私の中に蘇った。


「……私、死んだんだ! うわーい!! 万歳三唱っ!! ばんざーい! ばんざーい! ばんざーーーい!!」


 突然諸手をあげて奇声を発した私に、周囲の視線が集まるのを感じた。

 けれど、そんなことはどうでもいい。


 ――――歓喜がじわじわと全身に染みわたっていく。


 これまでの経過を慎重に振り返ってみる。

 流れ込んだ記憶のページを、丁寧にめくっていく。


 疫病の原因はフィラメンタスの可能性が高いということが分かったものの、ブラストマイセスには治療法がなかった。魔族は細菌に対して耐性があるけれど、人間の致死率は5割にのぼり、このままでは国として壊滅的な被害が予想されていた。

 魔王デル様は、フィラメンタスの特効薬XXX-969の実物があれば、魔法で解析して合成できると言った。ならば、元の世界に戻って持ってくるのが根本的な解決策だと私は考えた。デル様に言ったら止められると思ったので、秘密裏に決行することにして。


 門の通過の代償として記憶が消されることを知った私は、必要な内容を書きしるした紙を握りこんで元の世界に戻った。

 元の世界でXXX-969を持って死に、あの世で魔王様に拾ってもらう。魔王っていうぐらいだから、物語でよくあるパターンで、あの世は魔王様の支配下なんじゃないかと予想していた。

 もうすこしだけ理論的な根拠でいえば、彼は空気中の元素に干渉して魔法を使ったり、星をつまんで取ることもできると言った。これはやはり、物理学的に世界――宇宙に干渉ができるということだ。たぶん、その極みが「門」の魔術だ。ブラストマイセスと地球を結び、生命体を移動させるのはどう考えても物理学的要素が絡んでいるはずだ。例えるならブラックホールとホワイトホールのような感じだろうか。

 つまりだ。デル様のいる世界と地球は、なんらかのアクセスがあるのだ。だからきっと、自分が死んで肉体が物理的にフリーな状態になれば、ブラストマイセスへの糸口が掴めるのではないかと読んでいた。


 ――これが私の考えた計画の全貌だ。

 山盛りの研究道具と懐にはいっていたXXX-969や各種薬品のバイアルを見るところ、今の所は予定通りに事が進んでいるようだ。


(よくやったわ星奈)


 ……正直、賭けの要素は大きかった。貧弱な計画だと言わざるを得ない。でも、誰かに聞いて計画がデル様にバレれば全力で止められただろう。だからこれが私の精一杯だった。どちらにしろ、あのままブラストマイセスに残っていてもできることはなかったのだから、こうするしかなかったのだ。


 心配していたのは、死後ブラストマイセスでの記憶が戻るのか。そして、デル様のもとへと無事辿りつけるかどうかだ。


 前者についてはヒントがあったので分があると思っていた。

 ブラストマイセスでの最後の夜、デル様はこう言った。「生きている間は、記憶は戻らない」と。裏を返せば死んだら戻るということではないだろうか。彼の言葉に、わずかな含みを感じた。

 記憶を失くすというのは、覚えていては困ることがあるからだ。つまり、異世界で得た知識や情報の流出を防ぐために「門」がそのような代償を設けているとしたら? 確かにその人が死んでしまえばそれらの流出なんて問題にはならない。そういうことなら、死後に異世界での記憶が戻るのは納得できる。


 後者については完全に賭けである。死後の世界がどうなっているかなんて、まったく予想もつかない。

 無事に記憶を取り戻し、手元には予定通りXXX-969がある。とにかくここからは、出たとこ勝負でデル様のもとを目指すしかない。


 まずは情報を入手したい。向こうに見える巨大な扉に着いたら、誰かに聞いてみようと思う。きっと門番みたいな人がいるだろう。運が良ければデル様の居場所が分かるかもしれない。


(それに……デル様に再会できたら、言えなかった想いを伝えたい)


 彼は私のことを好きだと言ってくれたのに、私はそれをうやむやにしたまま地球へ戻ってしまった。事情があったとはいえ、本当に不誠実なことをしてしまったと思っている。

 門での別れからどのくらいの月日が経っているのだろう? 当然もう私のことを好きでなくなっているだろう。奥さんがいるかもしれないし、子どもがいる可能性だって十分ある。なんせデル様は、優しくて賢くいうえに、とんでもない美丈夫なのだから。


(それでもいいわ。薬を渡してデル様が好きですとお伝えできれば満足よ。ああ、奥様がいたらそれはご迷惑ね)


 今更なんだと言われるかもしれないが、まずはきちんと説明して謝罪し、できれば自分の本当の気持ちを伝えたいと思う。


(そのあとはここで薬師をして生きて行こうかなぁ? いや、死後の世界で薬師って需要ないかも?)


 うーん、考えてもよくわからない。


「とりあえず、扉に急ぎましょう」


 私は散らばっている荷物をまとめ、巨大な扉を目指して岩場をおりることにした。

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