第63話

大好きな妹

星奈の姉目線


 わたしの妹は、昔から変な子だった。


 友達と外で遊ぶのが好きなわたしとは対照的に、幼い妹は1人で黙々と何かをしていることが多かった。放っておけばずっと難しそうな本を読んでいたし、サンタさんにも科学図鑑をお願いしていた。

 あまりに引きこもるので無理やり外に連れ出せば、みんながボール遊びをしている間、草むらに座り込んでいた。何をしているのかと覗き込んだら、虫を集めてバラバラにして、体のつくりをスケッチしていた。その時のわたしの悲鳴は相当鬼気迫っていたらしく、警官が駆けつける事態になってしまった。


 まともな趣味だったのは、動物と植物好きだということかな。小学校の帰り道にペットショップを覗いたり、庭に様々な植物を植えては収穫して食べたり飲んだりしていた。――そういえば、毒々しい色のミックスジュースを作って「お姉ちゃんにもあげるね!」と勧められたことがあった。それは丁寧にお断りした覚えがある。……訂正。やっぱりまともじゃなかったかもしれない。


 母を含め、周囲が「あの子は変わり者だ」と認識するのに時間はかからなかった。ただ、性格は穏やかで、話せば普通、むしろおしゃべり好きな女の子だった。引きこもりがちだったのは熱中していただけだと分かれば、しだいに友達もできていったように思う。


 ……変わり者というのは天才と紙一重なのだろうか、妹もその類の人間だった。


 物事を覚えるのが異常に早く、一度覚えたものは決して忘れなかった。そのうえ覚えたものを組み合わせて新しいやり方を考えることも得意だった。高校入試では北海道史上初めて全教科満点を叩きだし、界隈がざわつくなかトップの高校に進学した。動物好きが高じたのか馬術部に入部して、遅くまで部活に励んでいた。部活が忙しそうで勉強はほとんどできていないように見えたけど、それでも学費全免除の推薦で薬学部にあっさり進学したのはさすがだった。そののち外資系製薬会社に就職し、研究職としてバリバリ働いていた。


 天才の妹と比べてわたしは平凡だ。服飾の専門学校を出て、百貨店のアパレルで働いている。

 これまでの人生、出来を悪く比べられることもあったが、それよりも妹を褒められることの方が多く、その度にわたしは得意げに彼女の話をした。妬み嫉みという感情は一切ない。それはきっと、星奈がとてもわたしに懐いてくれていたから。そんな妹が、わたしも大好きだった。


 己の道を突き進む妹に、聞いてみたことがあった。「星奈はどうしてそんなに勉強とか本が好きなの? 勉強より遊ぶ方が楽しいじゃない!」と。妹は少し首を傾げたあと、こう答えた。「私にとっては、勉強が遊びみたいなものなのかも……? 知らないことを知れるって、すごく楽しいもん。せっかく地球に生まれたんだから、全てを知り尽くしておかないと損だと思うし……」――なるほど。理解はできないけれど、言っていることは分かった。妹は知識に対する欲求が至高らしい。人畜無害すぎる変人、それが妹だと再認識した。


 父のいない我が家は、母と3人で、支え合って楽しく暮らしていた。

 わたしと妹が社会人になって家を出ても、家族のグループチャットには2日に1回は、通知が届いていた。今日は仕事でこんなことがあったとか。新発売のお菓子が美味しかったとか。実家の庭に狸が出たとか。そんな平和な話題で溢れていた。――妹が倒れるまでは。



 ――妹がわたしより先に死ぬなんて、考えてもみなかった。

 ただ、最後の最後まで星奈は変な子だった。


 妹の職場の人と飲み会をした次の日、容体が急変した。もちろん妹はノンアルコールだし、大声で騒いだわけでもない。ベッドの上で穏やかにニコニコしていただけなのに、なんで急にこんなことになったのか。わたしは取り乱すばかりだった。


「飲み会をしなければよかったのか」「無理をさせていたのだろうか」そんな気持ちでいっぱいになり、自分を責めた。


 再びICUに入ってから数週間。苦痛を和らげるためにモルヒネを投与されている妹は土気色の顔でぼんやりしていて、常に優しげな笑みを浮かべていた。

 毎日面会に行って一方的に話しかける。聞こえていたかは分からない。棺桶に入れるものは揃っているか、お世話の途中だった細胞や菌のことをよろしく頼む、そんなことをうわ言のように呟いていた。


 妹が創った新薬はたくさんの命を救うのに、生みの親の命は救えないのか。それがとても腹立たしかった。わたしにとっては世界中の見知らぬ人々よりも、目の前のたった1人の妹の命のほうが重いのに。そんな薬なんて意味ないだろうと、病院のベンチで1人悪態をついた。


「もうICUから出ることはないと思われます。ご家族は覚悟をしておいてください」

 そう医師から告げられて、わたしと母は、声も出ないほど打ちのめされた。


 ――――そして、その日はついに来てしまった。


 妹が一番好きだった、秋の終わり、冬の始まりの季節。

 あたたかな小春日和の日に、彼女は永久の眠りについた。


「星奈のバカ。いくらなんでも早すぎでしょ」


 葬儀を済ませたあと、1人お墓の前に戻ってきてごちる。

 ダウンジャケットを羽織ってはいるけれど、喪服のワンピースの足元からは、冷気が鋭く流れ込んでくる。


 別に買っておいた、妹が好きだった花をたむける。葬儀用の菊花だけではどうにも味気が無い。


 墓石は黒く重く鎮座していて、妹の死を否応にも実感させた。再び目に滲み始めた涙を拭きつつ、墓前に語りかける。


「あの世でも、星奈は変なことをしてるのかな? 天国は地球とは違って未知なものばかりだろうから……ふふっ、もうわたしたちのことは忘れて研究にのめり込んでるかもね。だとしたら、お姉ちゃんは安心なんだけど」


 偉大な研究を成しえながら、その最期はあまりに可哀想だった星奈。本当はもっともっと研究をしたかったであろうことは、わたしでも分かった。細々と実験をしつつ、ちょっとした不調でも入院になってしまい、病室で論文を読むような日々は、絶対に物足りなかったと思う。けれど、彼女の体調ではそれが精一杯だったのも知っている。

 

 だからあの世では、何も心配しないで好きなことをしてほしいと思う。

 勉強に、スケッチに、実験に。大好きなことに熱中する妹の顔は、それはそれは生き生きしていて、とても美しかったから。


 ――ふと空を見上げる。 

 雲一つない快晴だったにも関わらず、不思議なことに大きな虹がかかっていた。

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