第61話

意識を取り戻してから数日。

 ようやく状況が掴めてきた。

 

 どうやら、月曜の昼過ぎになっても出勤しない私を心配した上司が、緊急連絡先である実家に電話を入れたらしい。比較的近所に住んでいる姉が様子を見に来たところ、倒れている私を発見。救急搬送となったそうだ。


 私は引き続きICUにいるものの、手足は動き、身体を起こすこともできるようになった。

 相変わらず色んな管につながれて、酸素マスクはしているけれど。ひとつのヤマは越えましたとお医者さんから説明があった。


 ――――驚いたことが2つある。


 1つ目。私が意識を取り戻したのは救急搬送から1カ月後だったということだ。

 病室にあるテレビをつけて、浦島太郎状態になっていることに驚いた。毎朝出勤前に見ていた朝ドラの主役が不倫で降板して違う人になっていたり、人気アイドルグループが電撃解散していたり。1か月あると世の中はこんなにも変わるのかと妙に感心してしまった。

 意識のない1か月間は、いわゆる生死をさ迷っている状態だったらしい。細菌感染により多臓器不全を起こしかけていて、肝臓と腎臓の機能がかなり落ちてしまったとのことだ。


 2つ目は、マットレスに挟んで隠しておいた紙に書かれていた内容だ。

 姉いわく、気づいたときには私はかなり強く手を握っていたそうだ。看護師さんがどうにか開こうとしたもの、筋が硬直かなんかしているようで無理だったらしい。

 

 私の筆跡でその紙に書かれていたのは、正直意味がわからない内容だった。

 何回眺めてみても、たしかに自分の字なんだけれど。いつ書いたのか、全く心当たりがなかった。


『 星奈へ。死ぬときは、以下のものを棺桶に入れてもらってください。


 XXX-969 

 レボフロキサシン

 アセトアミノフェン

 ヨウ化プラリドキシム

 切れ味のいいメス

 ピペットマン

 液クロ(廃棄する予定のものをもらう)

 酸化剤 還元剤(強めの)

 有機化学専門書 実験器具図鑑 人体解剖図鑑 培地成分各種

 

 やることがいっぱいあるから、悪あがきしないで安心して死んでOK!

 いろいろ疑問に思うだろうけど、細かく説明しても信じられないだろうから。

 とにかく従って!! 』

  

 もう100回くらい読み返しているのだけれど、文字以上の内容を読み取ることができない。

 ――百歩譲ってXXX-969は私の秘蔵っ子だから、天国に持っていきたい気持ちは分かる。だけど、他のものは一体全体なんでだろう? まるであの世でも研究をしようという意気込みを感じる内容だ。


「全く持って意味不明だわ……」


 穴があくほど紙を睨みつけてみるが、答えが返ってこないことは分かっている。


 ――――熱にうなされて、訳も分からず書いたというのが落としどころだろうか?

 自分が仕掛けたお遊びに付き合うのも悪くないか、と思った。

 XXX-969のおかげで一命はとりとめたものの、後遺症がひどく、長く生きられないのは明白だったから。


 私は薬剤師なので、検査の数値は詳しく見せてもらっている。数値はかなり悪い。本当にギリギリ生きている感じだ。腎臓なんて両方ほとんど機能してなくて、一生人工透析が必須という数値だ。以前のように研究に全てをささげる生活は難しいだろう。


(悲しくないわけじゃないけれど)


 こんな体になってしまい、先は長くない。

 でも、不思議と受け入れている自分がいた。


 やりきった感、とでもいうのだろうか?

 お母さんが乳がんになって、初めて人の死を意識した。それ以来、病気に抗うすべを身に付けるために、日々後悔のないように生きてきたつもりだ。

 研究対象の菌で死ぬというのが少々間抜けだけど、うっかり感染した自分が悪い。想定よりは早い寿命にはなりそうだけど、後悔はない。こういう人生だったんだなあと、変に第3者っぽい感じで自分を見てしまっている。

 

 お見舞いにきてくれた姉と上司にお願いして、私が死んだらもろもろ棺桶に入れて一緒に焼いてくれとお願いした。縁起でもないことを言うなと怒られた。

 

 ふくれっ面でごねる私を見た姉は、おでこに手をあてて深くため息をついた。


「はあ。星奈は昔から、本当におかしな子ね……」


(……おねえちゃんのこういう顔を見られなくなるのは寂しいな)


 前言撤回。やっぱり後悔することが1つあった。


 姉や母親よりも先に死ぬということだ。

 もう会えないということもそうだし、2人の心に悲しい思い出を残すのはつらい。


「……ごめんねおねえちゃん。変な妹なのに、いつも味方でいてくれてありがとう」

 

 突然私がお礼を言ったので、姉は目を丸くして固まってしまったが、すぐにふわりと笑った。


 私に似ていない姉は美人だ。笑いかけられるとつい自分も顔がほころんでしまうような魅力を持っている。変人の妹を持ちながらも社交的で、みんなに好かれていた。私のことをすごく可愛がってくれて、心無い目線から守ってくれた。自慢のおねえちゃんだ。


「……もう。そういうところが変なのよ星奈はっ!」


 ふふふ、とどちらからともなく笑い声がこぼれる。


 幸せな人生だったな。

 心からそう思えた。

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