第57話

第1王子の反逆【後編】



「……なめるなよ。ハッ、魔族もたいしたことないな」


 不敵な笑みを浮かべながらロイゼ王子は立ち上がり、身体を覆っていた黒いマントのようなものを雑に払い退けた。

 これを被っていたから、ラドゥーンの炎を防げたのだろう。彼は無傷そのものであった。


 彼が雑に払いのけたその黒いマントに――私の目は釘付けになった。


「……それをどこで手に入れた? そなたが作ったものではないな?」

「ふん、答える必要はない」


 人間が魔物の攻撃を防ぐ場合、魔物の素材でできた防具を使うのが唯一の方法だ。

 素材になった魔物の魔力が高いほど比例して防御力も高くなる。


 彼が使ったそのマントは―― 


(…………)


 心の奥底から、仄暗い気持ちが湧いてきた。


 と、ヒュオッと空を裂く音が聞こえた。

 次の瞬間、こちらに富んでくる鞭が視界に入る。


 指先で風の魔法を使い、その軌道を変える。

 あの鞭が危険であることはもう分かったので、もう当たるつもりは無い。

 それに自分の体を大切にしないと「せっかく健康になったのだから、身体を大事にしてください!」とセーナが怒りそうだ。彼女のおかげで取り戻したこの健康体を、こんな奴(くず)に傷つけられるのは癪だ。


「ロイゼ王子よ、いくつか質問がある」


 ロイゼ王子は聞くつもりがないのか、汗を飛ばしながら腕を身体の前で大きく動かし、闇雲に鞭を振るう。


 親指と人差し指をすり合わせる。風を生みだし、先ほどと同じように鞭の軌道を変える。

 空を斬る鞭が目標物に当たることはなく、パシン、パシンとむなしく床を叩く。


「セーナを誘拐したのはそなたの手下だな?」

「……」


 返事がないことは肯定だととらえる。

 静まり返ったホールには、相変わらず鞭の音だけがむなしく響いている。


「私を恨み、攻撃するのは勝手だ。いくらでも受けて立とう。だがしかし、セーナを狙ったのは許せないな」


 一気に殺気を膨らませ、射殺せんばかりの眼光で睨みつける。

 ゆらゆらと、溢れんばかりの魔力がみなぎるのが自分でも分かった。


 ゴクリ、と騎士たちが息をのむ声が聞こえる。


「だ、だってそれは……っ!」


「正々堂々立ち向かうと勝てないと分かっていたからではないのか? それが卑怯だと言っている。そんなやつが国王になれるはずがなかろう? ……まあ、何があったか知らないが、結局こうして1人で向かってきたことは誉めてやるが」


 殺気をもろに食らったロイゼ王子の額には脂汗がにじみ、金色の髪の毛が顔に張り付いている。唇をかみしめて悔しそうな表情を浮かべていて、鞭は彼の右手からだらりと垂れさがっている。


「セーナに怖い思いをさせたうえ、器でもないのに国を乗っ取ろうとする小鼠が。跡形もなく捻り潰すことなど簡単だが、私は慈悲深いつもりだ」


 親指と人差し指の腹を摺合せ、今度は炎を発生させる。フッと軽く吹けば勢いよく飛んでいき、鞭に着弾する。


 ぼうっと燃え上がる鞭。瞬く間に使い物にならなくなった。


「……ちっ!」


 唇を噛み、鞭を睨みつけるロイゼ王子。着ているシャツは汗でべったりと体に張り付いており、筋肉の乏しいひょろりとした体を浮き上がらせている。

 

 一歩彼に向かって踏みだし、距離を縮める。

 

「そなたは私に勝てない。そうだろう? 命を奪わないとお前の先祖と約束したから、一度だけチャンスをやる。無駄なことはやめてトロピカリで大人しく暮らせ。元王族ということで住まいも金もそれなりの保障はしているはずだ。そなたの個人的な感情は、そなた自身で解決しろ。二度と馬鹿なことは考えるな」


 ロイゼ王子は満身創痍といった表情で懐に手を突っ込み、まさぐっている。

 まだ何か新しい武器を出そうとしているのだろうか。


 どうやら降伏するという選択肢はないようだ。


(残念だ。だが、もう遠慮はしない。聞き出すことも色々あるからな)


 次は何が出るんだ? と見ていると――――出てきた手には剣が握られていた。

 懐によくそんなもの納まったな、こいつは手品師にでもなった方がよほど適職じゃあないか、という思いは一瞬で脳の片隅に追いやられた。


 どす黒い魔力をまとった漆黒の刃に、金色の柄。柄頭には髑髏のような突起物がついている。――これは間違いなく魔剣だ。


 ……正直、これは予想外の品だ。


「何でお前がそんなものを持っている?」


 自分が思ったより、ずっと低い声が出た。


 魔剣。その名の通り、魔力が込められている剣のことだ。普通の剣と何が違うかと言えば、魔剣は魔物に致命傷を与えることができる。

 と同時に魔剣は伝説上の剣だ。およそ1000年前、祖父の治世に一本だけ存在が確認されたと書物に残っているが、それもいつの間にか行方不明になっている。むしろ、書物の記載が本当なのかすら分からない。それくらいあやふやな存在のはずだ。市場で流通するなど、まずありえない代物だ。


(先ほどのマントといい、この男きな臭い匂いしかしないな……)


 魔物の攻撃を防ぐマントに、魔物を倒すための剣。いずれも入手が相当困難であるものを、2つもこの男が持っている。


(この浅はかな男にそのような伝手があるとは思えない。誰かに利用されていると考えるのが妥当か……?)


 魔剣の柄を両手で握りしめ、狂った目つきでこちらを睨みつけるロイゼ王子。

 この男は強欲さゆえに、私を打倒して玉座を奪うのが目的だ。彼の後ろに黒幕がいるのだとしたら――やはりそれは、私の命が目的なのだろうか。


 マントに魔剣にと、今度の刺客はずいぶんと本気のようだ。

 いや、それだけではない。何より先ほどから心をざわつかせるもの。このマントから感じる魔力は――紛れもなく父上のものだ。父上は、私が幼いころに何者かに襲われて命を落としている。その亡骸と対面したとき、父上の長く黒い髪がばっさりと斬り落とされていたことに衝撃を受けた。


 つまりこのマントは――父上を襲った者なり組織なりが作ったもので――実に悪趣味なことに、父上の髪を織って作られたものだ。

 

 ギリ、と唇を噛む。

 鉄の味がした。


「これは命令だ。マントと剣の入手先を言え」

「お前の命令など聞く筋合いはない!」


 胸の中のどす黒いものが、一気に全身を駆け巡った。


 刹那、私はロイゼ王子を床に引き倒し、その首に手をかけていた。

 全身の毛が逆立つような感覚を覚えながら、私は再び彼に問うた。


「言え。どこで手に入れた?」


 自制しないと、彼の白くて細い首など一瞬で握りつぶしてしまいそうだ。

 こんな男に対して気を遣わねばならないことに馬鹿馬鹿しさを覚えながら、爪先だけを皮膚にめり込ませる。


「ぐうっ……!! はあっ、はあっ、……っ!! し、知らない!!」

「ほう? 今の言葉が遺言ということで、そなたはよいということだな?」

「ごひゅっ……!! あ、あ、ほっ、ほんとうに……知らない……。ひゅー、ひゅー。接触は手紙だけで……マントと剣は家の前……置かれてただけだ……離せ……息が…………」


 怯えの色を浮かべた蒼い目が、私を見上げている。

 その目を検分するように、睨みつける。

 ロイゼ王子の顔は空気を求めて真っ赤になっており、目元にはじわりと涙が浮かんでいた。

 蒼い瞳には純粋な恐怖のみが見て取れ、命を握られたこの状況で相手を騙そうという邪な感情は感じ取れなかった。


 ――知らないというのは、どうやら嘘ではないらしい。この男はあくまで今回の「実行犯」に利用されただけのようで、事件の本筋には関わっていないとみえる。

 

 首にかけた手を緩め、彼を解放してやる。

 途端彼は激しく咳き込み、身体を丸めた。そして空気を求めて大きく呼吸を繰り返していた。


「はあ、はあ…………。ちく……しょ……」


 肩激しく肩を上下させる彼に向かって、口を開く。


「最後の質問だ。討伐、というふざけた計画はお前の指示だな?」

「そうだよォ! くそぉ、全部、俺が仕組んだことだぁぁぁぁぁ―――――――っ!!!!」


 言い終えるかどうかというところで、彼はやけを起こした。

 呼吸が整わないまま、血走った目で魔剣を構えて斬りかかってきた。


 こちらも腰にはいた長剣を素早く抜剣し、顔の前で受け身をとる。


 カキンッッ!


 高速で刃が触れ、火花が飛ぶ。

 理性を捨ててやみくもに斬り降ってくる剣筋を、冷静に諌めていく。


 左、右、上、左、左――――


 焼け焦げたホールに金属音がリズムよくこだまする。


 軟弱王子と思っていたが、意外にも悪くない手合いだ。やみくもな中にも、隙を窺う動きや、裏をとるような動作をはさみこんでいる。

 クズな男にも長所があったことが、妙におかしく感じられた。

 玉座への執着心を何者かに利用されたロイゼ王子。しでかしたことは大きな犯罪であるが、彼もまたある意味では被害者なのかもしれない。


「なかなか悪くないぞ、ロイゼ王子。――罪を償って騎士を目指さないか?」

「うるさい、黙れ!」


 顔を真っ赤にして、更に打ち込んでくる。


 惜しいな、とほんの少しだけ思った。

 しかし、もう慈悲は無い。こいつには、掃いて捨てるほどチャンスを与えてきた。それを無下にしてきたのだから、しかるべき罰を与えよう。


 長剣に体重を乗せ大きく踏み込み、一瞬で距離を詰める。勢いのまま、下から上へ目くらましの一撃を打ち出す。


「…………っ!?」


 のけ反りながらもとっさに受けた王子。腕がしびれたようで、一瞬だが次の手が遅れる。

 その隙を逃す前に、彼の懐に踏み込む。鋭くみぞおちに肘を沈めれば、王子の顔が苦痛で歪む。


「ほう、倒れないとはな」


 前かがみになって左手で腹を押さえているが、右手の魔剣は離さない。

 憎しみのこもった目は相変わらずしっかり私を捉えている。


「だが、容赦はしない」


 トン、と床を蹴り、回転をつけながら斬りかかる。


 王子は後退しながら、やっとという感じでそれを受ける。隙だらけだ。


 金色の髪がはらりと一束床に落ちる。


 すぐさま剣を返し、身を反転させて振り向きざまに大きく横に薙ぐ。


「ぐあっ……!?」


 赤い飛沫が視界に飛ぶ。

 同時に、じわりと赤が王子の腹に滲む。


 再度身をひるがえし、魔剣の柄から上へと長剣の刃を滑らせる。切っ先が離れるという所でグッと力を込める。勢いそのままに右へ振り抜けば、魔剣は宙を大きく回転しながら後方へ吹っ飛んでいく。


「あ…………っ!?」


 王子の膝が床に付くと同時に、魔剣もはるか遠くの床に突き刺さる。衝撃で床のタイル片がパラパラと舞った。


「……なあ、王子。私は慈悲深いけれども、それを無下にした罪人には厳しいぞ。……特に、今の私は最高に機嫌が悪い。運が悪かったな」


 長剣の柄に付いた血を振り払いながら王子を見下ろす。

 腹の傷は致命傷ではないが、動けるほど浅くもないはずだ。


「冥土の土産に教えてやるが、私は善き国王ではない。そうあろうとしているだけの、ただの1人の男なのだ。家族を失えば悲しいし、女性に振られれば相応に落ち込む。まあ、自分にそういう一面があると知ったのは最近だが」


 自虐的な笑みを浮かべる。

 蹲った王子は苦痛に顔をゆがめていて、聞こえているのかは分からない。


「そなたは私の立場が羨ましいようだが、そう良いものではないぞ。富も名誉も全て持っているように見えてその実何も持っていないのだ。私自身が望んだものは何一つ持っていない」


 急死した父上から自動的に引き継がれた地位と名誉。悲しみを噛みしめる暇もないままに、執務に忙殺された。大切なものは、自分の手で守らねばなくなってしまう。もう誰かを失うのは嫌だ。その思いから、先の戦争では自分1人で出陣した。

 みなの手本であり、力を正しく使うことが、何より大切だと考えてきた。自分の幸せなどない。みなが幸せであることの方が大切だから。

 そのうち適当な地位の誰かと結婚して世継ぎを作り、人生を終える。愛はなくとも、穏やかであれば上々だろうと思っていた。それ以上の何かを望むという発想すらなかった。……異界から来た不思議な女性と出会うまでは。彼女は私に温かさをくれ、刺激をくれ、長らく放置されていた心の中の暖炉に火をともしていった。


 唯一手に入れたいと望んだものは、今日遥か遠くに行ってしまった。

 ――無様な姿を晒してでも引き留めればよかったと、深く悔やんでいる。再び門を開いて追いかけたい気持ちでいっぱいだが、何千万という国民を見捨てることは国王という立場が許さない。


「――私はそなたの自由が羨ましい。無いものねだりをせず、次の人生は己の幸せを見つけるんだな」


 ああ、思い出したら不快な気分になってきた。

 無駄話はもう終いにして仕上げをしよう。


 魔力を人差し指の先に集中させ、魔法陣を描き始める。

 指の痕跡は紋様となって黒く輝き始めた。


 私を遠巻きにしていた優秀な騎士たちが、さっと顔色を変えた。


「陛下、本気ですか!?」

「城が全壊します!」

「そいつは私めでも始末できますから、お考え直しを!」


 この魔術を使うのは実に250年ぶりだ。


 子供の頃、こっそり忍び込んだ図書室の奥に鍵のかかった書庫があった。魔力をぶつけて鍵を壊し中に入ると、ほこりをかぶった分厚い本がたくさん並んでいた。後に知ったが、それは禁書といって危険な魔術や、倫理的に逸脱した魔術について書かれた本たちだったらしい。

 初めて見る術式に私は興味を奪われ、その一つを遊び半分に発動させたところ、父上にこっぴどく叱られた。と同時に、私の魔力量は規格外だと目を丸くされた。歴代魔王でも発動できない者がほとんどなのに、まだ子供の私が涼しい顔でやってしまったのだから。父上との、数少ない思い出の1つだ。


 まあ、要はむやみやたらに使えないし、使うものを選ぶ術式だということだ。

 国王も、たまにはわがままを言ってもいいんじゃないか? 

 自然と口角が上がる。


 異界の門を開くために少々魔力を消費したが、それでもまだまだ余力はある。

 処刑ついでに旧友に会うぐらいしても、ばちは当たらないだろう?

 

 視界の隅で、賢明な騎士たちが退避を始めるのが見えた。

 ロイゼ王子も何か不穏な展開になりそうだということを感じたのか、床を這いつくばって逃げようとしている。


 では、そろそろ始めようか――――


 魔法陣は完璧に書き上がった。指先から魔力をぐんぐん流し込むと、それは不気味な青色に輝きだした。

 ラドゥーンの炎で気温が上がっていたホールが、今度は一気に冷えていく。


 不気味な青色でホールはつつまれていき、ある一点の空間がぐにゃりと歪む。


「我が忠実なしもべ、レイン・クロイン。魔王の名において冥界から出づることを命じる。我が身の前に姿を表し、その望みに応えよ」


 と、次の瞬間、歪んだ空間から勢いよく濁流が流れ込んでくる。

 舐めるように波が壁を覆いつくし、飲み込んでいく。


 そこそこ広い大きさのホールが、ものの数秒で大しけの海のような状態になる。

 風は吹き荒れ、ひんやりと湿気た空気が充満する。背筋がぞくりとなるような、得体のしれない不穏な空気感。


 膨大な水圧と水流に壁が耐えきれず、ひびが入り始める。

 ロイゼ王子は濁流に飲み込まれているが、必死に泳いでいるようだ。


 そしてどこからともなく低い唸り声が聞こえ、それは大きな水しぶきを挙げながら唐突に海面から姿を表した。


 波が大きくうねり、嵐のような風としぶきがその体から吹き出している。

 真っ黒な鱗に覆われた巨体に、獰猛な牙。顔の横からは水かきが大きく張り出している。白く濁った眼に一切の感情は無い。


 大きく広げた羽は、ホールの壁をあっけなく突き破る。壁が連鎖的に崩壊を始めて濁流が勢いよく流れ出すが、水位は減るどころかどんどん増していく。遠くの方で、緊急事態を知らせる城の鐘の音が聞こえる。


「久しいな、レイン・クロイン」

「我が王。闇を統べる竜王レイン・クロインの名に於いて、御望みに応えよう」


 レイン・クロインが仰々しく頭を垂れる。


(ああ、250年前と同じだ)


 くく、と乾いた笑いがこぼれる。

 崩壊する床から浮かび上がりながら、私はレイン・クロインに指示を出した。


「そこの罪人を始末せよ」

「――御心のままに」


 伝説の海竜、レイン・クロイン。

 その御力によって、ロイゼ第1王子は、断罪された。

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