幕間 それぞれの想い
第56話
第1王子の反逆【前編】
デルマティティディス視点。
セーナが無事に
行くなと言ったら彼女は留まってくれたのだろうか。
――――いや、無理だっただろう。
ただ単に帰りたいという訳ではなさそうで、理由は話してくれなかったが、何かを固く決意をしているようだった。ふんわりした印象のセーナだが、こうと決めたことには意思を曲げない姿勢がある。それが彼女のいいところであり、私が惚れているところでもある。だから、黙って見送ることが正解なのだと何度も自分に言い聞かせた。
言い聞かせたが、彼女への気持ちが無くなったわけではない。心の中の彼女が居た部分にはぽっかりと穴があき、虚無感が私を支配している。
彼女を愛し、隣にいる幸せを知らなかった時代には戻れない。あいた穴は早く埋めてと私の心臓を抉るのだ。この痛みとともにこれから生きていくのかと思うと絶望しかない。
「陛下、顔色が悪いですが大丈夫でしょうか? 少々お休みになられますか?」
「……いや、問題ない。大丈夫だ」
「では、申し訳ありませんが、鼠のご対応を。お急ぎください」
「すぐ向かう」
国王としての仕事はいくらでもある。休みがほしいと思うこともあったが、今は仕事がたくさんあってよかったと初めて感謝している。なにかをして気を紛らわせないと気が狂いそうだ。
(セーナ、私はそなたを忘れない。いつかまた会えたなら、もう二度と離さない)
私の唯一。
再び会うことができたなら、この腕に閉じ込めてしまおう。泣かれようが罵られようが関係ない。
囲い込んでどろどろになるまで溶かしてやるのだ。私なしでは居られないように、二度と遠くへいかないように。
◇
中庭から引き揚げて、城の中へと戻る。
黒曜石でできた廊下を進む。薄暗い廊下に冷たく響きわたるのは、私と侍従の2人分の足音だ。
「……」
(サルシナの報告通りだな)
しばらく歩みを進め、多目的ホールに差し掛かったところで私は足を止めた。
「――――さて。ロイゼ王子、話を聞こうか。そんな物陰におらずとも、私はそなたに時間をさかぬほど狭量ではない」
先ほどから私をつけまわしている気配に向かって声をかける。
鼠が侵入したのは今朝がたのことだ。優秀な部下たちは彼の侵入に気づいてすぐに念話を寄越してきていたが、放置しろと指示をしたのは私だ。門の邪魔をしたり手を出してこない限りは、こちらから何かするつもりはない。圧倒的に私の方が強いと分かっているから出来ることだ。
振り返ると、柱の陰からゆらりと人影が現れた。その目は怪しくギラリと光っていて、手には刃物が握られている。
この男は本当につまらないやつだ、そう思いながら、その鋭い金属を眺める。
「貴様なんかが国王だなんて俺は認めない! 魔族のくせに偉い顔しているのが気に障って仕方ない! この国は俺のものになるはずだったんだ! 返してもらおうか!」
「何度も言っているが、それはできない」
目を細めて、憔悴した様子のロイゼ王子をねめつける。
金髪碧眼の王子は旧王族の特徴をよく受け継いでいる。見た目もそうだし、魔族を下に見て支配しようとする姿勢もだ。
100年前の戦争において和解の条件として王族は命乞いをし、生き延びた。彼、ロイゼはその末裔だ。称号をはく奪したわけではないので一応は王子だが、現在のブラストマイセスにおいてその称号は何の意味もなさない。
「私は、自分より優れた為政者にはためらわず玉座を明け渡そう。それで国民が幸せになるのなら、私自身の身分などどうだっていいのだ。――――だが、そなたは為政者として失格だ。国を私利私欲のための道具としてしか見ていない。だからできないと言っている」
「くそっ、忌まわしい魔族が! 口を慎めっ!」
王子が振りかぶると同時に、ヒュオッと空を切り裂きながら刃物が飛んでくる。
少し首を横に動かし、それを避ける。カランと乾いた音を立てて刃物が床を滑る。
「陛下っ!!」
殺気を感知してバタバタと駆けつける騎士達を手で制し、手出し無用だと目線を送る。
多目的ホールには私とロイゼ王子。数十名の騎士たちが、やや距離を開けて私たちを取り囲んだ。
ロイゼ王子は忌々しそうに騎士たちを睨みつけたあと、私に向き直った。
「だいたい、3カ月ごとに様子を見に来て、監視のつもりか? 俺が何をしたというのだ、罪人のような扱いを受ける筋合いはない!」
監視なのかと問われれば、そうだ。旧王族の生き残りである彼らが妙な動きをしないように、定期的に様子を見に行っていた。
しかしながら、彼等は同時に旧王国の被害者でもある。先祖――彼の曽祖父の罪によって平民に落ちたのだから。だから、平民としての暮らしに馴染んでいけるよう、見守りの意味合いもあった。
ただこのロイゼ王子は、どうも私のことが嫌いらしい。嫌われるだけなら特に気にしないのだが、こうして城まで乗り込んでくるあたり、どうやら本気で玉座を奪おうとしているようだ。
ロイゼ王子は懐から新たな武器を取り出した。鞭のようなしなやかな紐状の先端に金属の棘が付いている。
私はそれを見て、首をひねった。
(なんだこれは? 初めて見る武器だな。街中にはこんな物騒なものが出回っているのか? あとで治安について部下に確認したほうがよさそうだ。いや、まずは武器屋を抜き打ちで監査に入った方がいいだろうか。……もしセーナに再会できたなら、ブラストマイセスがより良い国になっていなければ格好がつかないからな)
「おいお前、聞いているのか!?」
青筋を立てたロイゼ王子が腕を大きく横に一閃する。鞭の先端が音速に達し、凶悪な烈空音を立てたと思ったと同時に、頬にひどく熱を感じた。
「……っ」
頬に手を当てると、鮮血が掌に付いた。
――――やはり危険な武器だ。女こどもに当たったら流血どころでは済まされない威力だ。やはり取り締まらねばなるまい。
「おいこらテメェ!!!」
先ほど駆けつけた騎士たちの中の1人、エロウスが大声を上げた。
あれの本性は竜の魔物ラドゥーンだ。いつもは少年騎士風の変化をしているが――彼の顔や腕に、みるみるうちに青い鱗が浮かび上がっていく。怒りで変化が解けかかっている。
「お前、魔王様にお怪我をさせるなんて、やっちゃならねぇことをしてくれたなあっ!?」
牙をむき出しにして叫ぶエロウス。
浮き上がる鱗はあっという間に全身に広がる。ビリビリッという音とともに、白い騎士服が破れ散った。
みるみる内に3つの頭を持つ青い竜に戻っていく。これが魔物ラドゥーンだ。
それでも自制しているのだろうか、ホールの天井を破るようなことはしなかった。彼本来の大きさからすれば、かなり小さいサイズだ。
「こらエロウス、彼にはまだ話があるから殺してはいけない。私は全く問題ないから」
ロイゼ王子は呆けた顔で立ち尽くしている。
エロウスの変化から目線を外すことができないまま、精一杯という様子で掠れた声を出した。
「な、なんだこれ……?」
ぐんぐんとラドゥーンの喉元が熱っぽい光を帯びていく。一瞬にして場の気温がぐんと上がった。
ああ、これはだめだ。先ほどの指示は耳に届かなかったようだ。もとよりラドゥーンは気性が荒く、好戦的な魔物だ。こうなった彼は、一発くらい発散させてやらないと収まりがつかない。
魔族の騎士たちは自分で防御できるだろうが、人間の騎士は難しいだろう。すばやく耐熱・耐炎・耐風の魔法を口ずさみ、部下たちにかけてやる。
ガアッという咆哮とともに、ラドゥーンがブレスを吐く姿勢に入った。
「生まれてきたことを後悔しろォ!!!!」
激怒したラドゥーンの3つの頭が大きく口を開き、鋭利な牙がむき出しになる。
「グオオオオオオオオオ――――」
鼓膜を震わせる低音の叫び声とともに、灼熱の炎が勢いよく噴き出される。
ホールは一瞬にして炎の渦と化す。下から上へ、上から下へと炎は踊り、空間を舐め、全てを焼き尽くすように燃え盛る。
私や騎士たちはしっかり防御の態勢をとり、怒り狂うラドゥーンの炎から身を守る。
「オオオオォォォォアアアアア――――」
吐炎は数十秒続いた。ロイゼ王子は骨も残らず焼き尽くされてしまっただろう、そう思ったのだが―――
焼け焦げたホールに、彼は生きて存在していた。
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