第54話
「星が、きれいですね」
頭上に広がる、漆黒と群青の間のような空を見ながら呟く。
トロピカリよりは建物が多いゾフィーだけれど、平屋が多いため、夜空をさえぎるものは何もない。天の川のように煌めく無数の星たちのまたたきが、はっきり見てとれる。
「セーナは星が好きなのか?」
「はい、好きです。あの星はどれぐらい遠くにあるんだろうか、誰か住んでいるだろうか、なんて考えます。星の数だけ未知の世界があるんですから、とてもロマンがありますよね」
もしお母さんが病気にならなくて、医療の道を志すことがなかったとしたら。わたしは未知なるものを知るために、宇宙飛行士になったんじゃないかと思うぐらいには、宇宙に興味がある。宇宙はその生まれも育ちも謎に包まれているし、そこで暮らす生物についても、地球以外は何一つ分かっていないのだ。
「ひとつ、取ってやろうか? 専属薬師様への贈り物だ」
デル様が、いたって普通のトーンで冗談を言った。
「ふふっ、デル様が言うと、本当にできそうな感じがするから不思議です」
「ああ、実際できるからな」
ニヤリといたずらっぽく笑うデル様。
(ええっ、本当に!?)
このお方は、一体全体どこまですごい力を持っているのだろう? 星をひとつ取って人に贈るだなんて、全く持って理論的じゃない。
驚きを通り越して呆れた顔を向ける。
「ほら、あの星なんかどうだ? なんだかセーナに似ているぞ」
「は、はあ……?」
白くて長い指が示した方角を見ると、明るさは大きいがなんてことはない普通の星が輝いている。
どこが私っぽいのだろうか? 普通っぽいところだろうか。
首をかしげているとデル様が説明してくれた。
「人間の視力では見えないだろうが、セーナのようにふわふわしている星だ。あと……さまざまな植物が生えているな」
さまざまな植物! 薬草もあるだろうか? というか、星まるごと使っていいのなら、大規模で危ない実験もし放題では?
――一瞬でさまざまな欲望が湧きあがったものの、理性でグッと堪える。変人マッドサイエンティストは自負しているが、見境がないわけではない。何の罪も無い人達を巻き込むような研究は、ただの狂気だ。
「いいえ、大丈夫です。その星に住んでいる方が可哀想ですから」
「そうか」
――――会話が途切れて、しばらく沈黙が続いた。
気温は涼しいというより、少し肌寒いくらいになってきた。2人無言で星空を眺める。
無意識のうちに知っている星座―――故郷の空から綺麗に見えた北斗七星を探してみるが、どこにも見つからない。当たり前だ、ここは地球ではないのだから。
さあ、そろそろ話し出さないといけない。聡いデル様のことだから、私が何か話したいことがあるという事ぐらい気づいているだろう。急かさずにじっと待っていてくれる彼は、本当にどこまでも優しい。
緊張でかさかさに乾いた唇を動かし、声を絞り出す。
「…………デル様、わたし、元の世界に戻ろうと思います」
締まった喉から出た声は、掠れていた。
「…………そうか」
少々の沈黙の後、デル様は低く短く、返事をした。
なんとなく気まずくて、彼の方を見ることが出来ない。
真っ直ぐ前を向いたまま言葉を続ける。
「疫病に対して、できることはやりました。漢方薬の作り方、使い方はドクターフラバスに全てお教えしたので問題ありません。デル様の体調も、今の薬を続ければ全快するでしょう。もう、私はここでできることがないのです。元の世界に戻らないとできないことをやりたいと思っています……」
なんてひどい女だろうと、自分でも思う。散々デル様によくしてもらって、告白までしてもらったのに。今私がしゃべっていることはデル様の気持ちには応えられないということと同義だ。
でも、本当のこと――フィラメンタスの特効薬を取りに戻ると告げたら、きっと責任感の強いデル様は止めると思う。
「セーナがそこまですることはない、国王として私がどうにかする問題だ」とかなんとか言いだすに決まっている。それは困るのだ。確かに国王として解決すべき問題ではあるけれど、それと私の決意は別問題だから。
私は薬剤師であり研究者だ。
病に倒れる人々を前にして、為すすべもなくただ見ているという選択肢はない。
元の世界に戻り、特効薬であるXXX-969を持ち帰る。その行動で多くの命が救われるのだから、そうするのが当たり前なのだ。例え失敗して二度とブラストマイセスに戻ってこられなくても、やらない後悔よりやった後悔の方がずっといい。
患者を前にして、医療従事者は感情や私情を持ってはいけないと思う。何かに執着して、いざというときに人命を優先できない者は失格だ。あれは嫌だ、これは都合が悪い、苦手だから。そんなことを言っていては『医療』は成り立たないからだ。
そして、研究者としての私のポリシーにも反する。私は常に目の前の命題に対して120%のエネルギーをつぎ込んで実験に当たる。逃げとはつまり自分の負けだ。やれることがあるのにやらない、という選択肢はない。できるできないではなく、できるまでやり続ける。愚直だろうがなんだろうが、勝利をもぎ取るまで戦い続けるというのが私のやり方だ。
――私は自分の役目をまっとうしなければいけない。たとえ、大切なものに気づいていたとしても――
手すりをぎゅっと握りしめる。金属がひんやりとその温度を私に伝えるが、手のひらはじっとりと汗ばんでいて嫌な感じがした。
「デル様、ごめんなさい。あなたの気持ちに応えられなくて……」
泣いてはいけない。ここで涙を見せてしまったら、すべてが台無しになる。
震える声を抑えて、なんでもないように振る舞わなければいけない。
「…………気にしないでほしい。私は、セーナが幸せであればそれが一番なのだ。元の世界に帰って、元の暮らしをするのがそなたの幸せなのだろう?」
そう言った彼の声は小さく、私にも分かるぐらい寂しさを孕んだものであった。
優しい彼にこんな思いをさせていることに、胸が張り裂けそうだ。だけど――どうしたらいいと言うのだろう。私は自分がこんなに不器用な人間だったのだと、今の今まで気が付かなかった。
「門を開くには準備が必要だ。7日ほど待ってもらえるだろうか?」
「はい。忙しいのにお手数おかけしてすみません」
「夜は冷える。風邪、ひかぬように」
デル様は着ていた上着を脱ぎ、私にバサリとかけた。上質な布で作られているそれはズシリと重かったが、彼の体温で温かかった。
そのままデル様はカツカツと靴音を響かせて、屋内に戻って行った。
私は背中でそれを見送った。結局、一度も彼の目を見ることができなかった。
手すりにもたれて夜空を見上げる。寒いくらいの夜風が頬をなでた。
(……このまま風邪ひいちゃえばいいのに)
自分の意思でこうすると決めたのに、もやもやが止まらない。
(割り切れないなんて、私らしくないわ……)
目的遂行のためには手段を選んでこなかった私だ。研究者として、新薬の実験では何千匹もマウスを解剖したし、苦痛を与える処置も行った。薬を待ち望んでいる人たちの命には替えられないと割り切っていた。何かを成し遂げるには、自分であれ他者であれ相応の犠牲はつきものだと、そう考えていた。そこに私情を挟んでいては、なにかを成し遂げることなどできない。少なくとも、不器用な私には無理な話だ。
(だから、もやもやする必要はないのよ。これが私の役目、全うするべき責任なのは明らかだから)
――――必死に自らを納得させようとするが、できなかった。それどころか、ますます思考がぐちゃくちゃになっていく。
徐々に視界が熱をもってぼやけていき、夜空の星は溶けるように輪郭を失う。
やがていっぱいに溜まったそれは重力に負けて流れ落ちていく。
―――私は気づいている。私はデル様のことが好きなのだ。だから、こんなにも後味が悪い。彼を傷つけて、医療者としての自分を優先させることに、負い目を感じている。
たぶん、出会った時からずっと私は彼に魅かれていた。
最初は彼がフェロモンを放出しているせいで動悸がするんだと思っていたけれど、そんなんじゃないと気づいたのはいつだっただろうか。
強くて優しい、唯一無二の魔王様。そんな彼を傷つけ、悲しい顔をさせたことに、私も傷付いているのだと。そんな資格はないと分かっている、でも溢れるものは止められなかった。
しかし、他に手段があっただろうか? 否、私が思いつくものはこれしかなかった。
本当のことを言ったら、彼は必ず私のことを引き留める。そして、全てを自分1人で背負おうとするだろう。
それでは命は救えない。魔族だけが生き残り、大半の人間は疫病によって亡くなる未来が待っている。
(デル様、傷つけて本当にごめんなさい。優しいあなたなら、きっとすぐに素敵な女性が現れるわ。薬を持ってまた戻ってこられたなら、一目でいいからまた会いたいな……。許されるかしら?)
夜空いっぱいに広がる、たくさんの星。あのどれかに私は戻り、新たな戦いの日々を始めるのだ。
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