第53話
デル様とゾフィーに戻ってから、1週間が経過していた。
ようやく一通りの薬をゾフィーとその他の流行地ぶん調合し終わって、一息つける状態になった。調合するそばから在庫が減っていくので、ストックとしてかなり余裕をみた量を作っていたらこんなに時間がかかってしまった。
デル様は王城に戻らず、私と共にゾフィーの東部病院を拠点に過ごしている。患者を清めたり声掛けで励ましたり、時には他の街の状況を視察に行っていた。普段の執務は夜中お城に行ってこなしているようで、ろくに休んでいない。
疫病は国内にどんどん広がっているようだと彼は教えてくれた。騎士団を利用して各地にゾフィーのノウハウと漢方薬、板藍根スープのレシピを届けるつもりだという。
各地の医療者が、全力を尽くして治療に当たっている。
しかし、それではこの病気は治らないし、収束しない。できることは対症療法のみであり、根治できる薬がないのだから。人間がこの疫病に打ち勝つためには、あまりに持っている武器が少ない。
漢方薬各種を調合し終えた私は、覚悟を決めていた。
「デル様、少し夜風にあたりませんか?」
病院の一角でとる夕食後、デル様を誘ってみる。視界の隅でドクターフラバスが親指を立てて生ぬるい笑顔をしていたけれど、見て見ぬふりをする。実は、彼はここの院長だった。そりゃあ忙しくてクマも濃くなりますねと納得したのは数日前のことだ。
二つ返事で了承してくれたデル様を連れてやってきたのは、病院の屋上だ。
季節は真夏。昼間は蒸し暑いけれど、日が沈んでからは爽やかな夜風が心地よい。時刻は20時過ぎで、空にはぽつぽつと星が見え始めていた。
「ここ、お気に入りの場所なんです。調合の休憩時間に飲み物を持って、新鮮な空気を吸いに来てるんです」
広く抜けた屋上は、別にお洒落な場所でも何でもない。しかし平屋が多いゾフィーでこの病院は5階建てだ。街を一望するには充分な高さがある。疲れたときにぼんやりと景色を眺めて癒されるには最適な場所だ。
手すりの上に腕を置いて横に並んだ彼を見上げると、彼もなるほど、といった表情をしていた。
「ああ、いい場所だな。見晴らしもいいし、一息つきたくなるな」
デル様の髪が、夜風に吹かれてサラサラと流れている。疲れているだろうに、それを感じさせない表情をしている。しかし私は知っている。彼はつい半年前までは、トロピカリ視察に行っただけで倒れるような虚弱体質だったことを。いくらなんでも無理しすぎだ。
「デル様、お疲れではありませんか? 普段のご公務に加えて、患者対応や地方の視察。ろくに寝ていないでしょう」
「……少しな。でも大丈夫だ、セーナの薬をきちんと飲んでいるから。あれは本当によく効く」
(本当に?)
じいっと彼を見つめていると、彼は子供をあやすような笑みを浮かべ、私の頭に手を置いた。
「疑っているな? くく、残念ながら私は本当に大丈夫だ。倒れて熱を出していないのが何よりの証拠だろう?」
(うーん、そう言われると、確かに……?)
「わかりました。でも、しんどくなったら早めに教えて頂けますか。私にとっては病院の患者さんもデル様も、同じですから」
「わかった」
デル様は短く返事をして、私に一歩近づいた。腕と腕が触れ合っている。
いつもならドキリと緊張する場面であるが、今日の私はしなかった。これから彼に話すことで、頭の中がいっぱいになっていたから。
――――心地よい夜風が私たちの間を通り抜ける。
ぽつぽつと他愛もない話をしている内にすっかり辺りは暗くなり、夜空には煌々と星たちがきらめいている。建物が低く、空気が澄んだゾフィーの星空はとても綺麗だった。地平線より上180°いっぱいに広がる星空は、まるでプラネタリウムのなかに立っているかのように錯覚するほど見事だ。
ああ、このたくさんの星の中に地球はあるのだろうか。
そんなことを考えながら、私は口を開いた。
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