第52話
――昼休み。
フィラメンタスに対する特効薬、XXX-969が魔法合成できるかどうか、さっそくデル様に試してもらった。
しかし、結果としてはダメだった。デル様は以前虹を出してくれた時のように大気中の原子たちを操り、何度も何度もトライしてくれたけれど、できたものはベンゼン環が足りなかったり側鎖が違ったりと、物質として不完全なものだった。
有機合成と魔法合成では現象の表現が異なり、魔法のそれはニュアンスによるものが大きい。有機的な合成方法を伝えても、言いたいことが正確に伝わらないことを痛感した。彼が今朝言っていた通り、言葉の説明だけで完璧なものを創り出すのは無理なようだ。
覚悟はしていたので、それほどショックではなかった。
XXX-969を元の世界に取りに戻るという代替案が頭にあるからか、不思議と私の心は凪いでいた。
デル様にお礼を言い、わたしは自分の作業に戻ることにした。
(取り急ぎ私ができるのは漢方薬を作ることぐらいよ。去る前にできることは全てしていきましょう!)
ドクターフラバスに許可をもらっているから、調剤室にある薬草類は自由に使っていいことになっている。
確認すると、調剤室の素材だけでは不足があった。ちょうど様子を見に来たデル様にお願いして、自宅である掘っ立て小屋と魔法陣をつないでもらい、追加の素材を運び込んだ。
彼も患者対応と魔法合成チャレンジで疲れていただろうに、嫌な顔一つしないどころか「セーナが私を頼ってくれたから疲れが取れた」なんて言って嬉しそうにしていた。近くにいたドクターフラバスが口をあんぐり開けてこちらを凝視していたのが少々気まずかった。
(この疫病に対して漢方は気休め程度だけれど、無いよりはマシだわ)
調合に必要な薬瓶を取りそろえながら、もんもんと考える。
ここの医療レベルは元の世界の100年前くらいと同等で、簡単な手術、薬草による治療、生理食塩水の点滴が主にできることだ。薬草による治療と言っても、単一の薬草を煎じて服用するのがこの世界の主流。私のように複数の薬草を混ぜて1つの薬とするやり方は珍しく、効果が高くて重宝されるとサルシナさんが言っていた。むろん元の世界にあったようなロキソニンとかアレグラとか、そういう化学医薬品は一切無い。薬物治療が遅れている世界だということは、暮らすうちに私も感じていたことだ。
(私が薬のプロで研究者だったのが、不幸中の幸いね)
もし薬剤師でなかったり、フィラメンタスの研究をしていなければ、私も疫病にかかって今度こそポックリ逝っていただろう。さすがにこの世界の次があるとは思えないし、思いたくない。延々ループする人生なんてつまらないと思う。終わりがあるからこそ人生に目的が生まれ、それに向かって一生懸命努力することに価値が生まれるのだ。
――――そんなことを考えながら、計量した生薬を舟にまいていく。
疫病対策として調合しているのはこれらの漢方薬だ。
体力がなさそうで麻黄湯の適用ができない者のために
熱を違う視点からとらえて
皮膚の湿疹、化膿にも有用な漢方薬はある。望診から、熱毒、湿毒の状態であると考えられるので、
患者はすでに100名以上いるし、これからどんどん増えると思われる。まとまった量を何種類も調合するのは一仕事だが、治療の選択肢は多いに越したことはない。患者の体質や病状によって使い分けに融通が効くのが漢方薬のいいところだ。
加えて、
(ふぅ……膨大な仕事量だわ。明日以降も、この作業が続きそうね)
額の汗をぬぐいつつ、調剤に勤しむ。
ゾフィーの夜は静かに更けていった。
◇
――――私が忙しく調合している数日の間、デル様はアピスとオムニバランの様子を見に行っていたようだ。
ゾフィーと同じか少しあちらの方が悪かった、とある晩の夕食でデル様は教えてくれた。ゾフィーで調合した漢方薬と板藍根スープのレシピをアピスにも送ってもらえないか打診すると、彼は二つ返事で了承してくれた。
(よかった、これで少しはマスターも安心してくれるかしら。……それにしてもデル様は本当に丈夫になったわね。少し前までトロピカリに行くだけで倒れていたなんて思えないわ。これなら私がいなくなっても大丈夫ね……)
彼の回復は喜ばしいものだが、私の心はざわざわとしていて、ちっとも穏やかではなかった。
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