第51話

王城に着いたのは明け方だったけれど、話し込んでいるうちにもう昼近くになっていた。


 デル様の厚意で軽食をご馳走になったのち、さっそくゾフィーへ向かうことになった。

 今回は馬ではなくデル様の魔法で転移するため、一瞬で着いてしまう。非常に楽である。


 何の前触れもなく突如病院ロビーに現れた魔王様(と私)の姿に、たまたまそこにいた医療スタッフは騒然となった。

 ざわめく中から「陛下がなぜこんなところに!?」「本物なのか?」といった声が聞こえる。


 1人が恐る恐ると言った様子でデル様に挨拶をしたことをきっかけに、次々と人が寄ってきた。

 現在勤務しているスタッフはみな魔族なためか、目を潤ませて跪いたり、駆け寄ってきて服の端に口づけをするなど、反応は様々であるが、みなさん非常に好意的だった。


(デル様はとっても人気があるのね! カリスマって感じだわ)


 私は邪魔にならないよう少し離れて、その光景を眺めていた。彼が優しくて聡明な人物であることは分かっていたが、こうして「魔王」としても立派な人物であることを目の当たりにして、なんだか自分まで嬉しくなってしまう。


「へ、陛下あぁぁ! ほんとうに、ほんとうにいらして下さったなんて……!」


 誰かから連絡が行ったようで、ほどなくドクターフラバスが転がり出てきた。いの一番に呼ばれるなんて彼は結構偉い人なんだろうか?


「フラバス、久しいな。そのようにクマが深くなるまでご苦労であった。さっそく現場に案内してくれ」


 数日ぶりのドクターフラバスは、いっそう疲労の色を濃くしていた。肌は黄土色でカサカサしており、髪はべちゃっとしている。白衣もズボンもよれよれだ。入浴したり着替えをする暇もなかったのだろう。それは、ゾフィーの状況が良くなっていないことを表していた。


「承知しました。……先日セーナ君が来たときは3階までだったのですが、あれから患者が増えて2階まで患者がいっぱいになっています」


 住民は外出自粛をしているため他人同士の感染は減少しているようだが、家族内で病気を移してしまう事例が増えているそうだ。

 ドクターフラバスの案内で2階に昇ると、やはり野戦病院のような光景が広がっていた。


「これは……」


 デル様は短く呻いたのち、絶句した。


 それはそうだろう、床一杯に患者が横になり、その顔は熱で真っ赤、衣服から除く肌には痛々しいほどの湿疹が見える。以前と同様に、吐血したり全く動かない重症者もちらほらいるようだ。

 患者の間をてきぱきと動き回って処置しているのが、魔族の医師と看護師だ。

 治療法がないため対処療法のみ施し、あとは患者の免疫力に任せるしかない状態だ。


 ちらりと隣を見上げてみるが、彼の表情に動揺は見られなかった。険しい表情をしているものの、不安や焦りといった感情を浮かべないのはさすがと言うよりほかない。


(戦争を経験しているからこういう光景にも動じないのかしら? お強いわね、デル様は)


 そう思いながらも、私のすべきことに頭を切り替える。ドクターフラバスのほうに向きなおって声をかけた。


「ドクターフラバス、ペニシリンを実験したシャーレはまだ保存してありますか?」

「ああ、まだあるよ。持って来よう」


 先日患者の膿から採取した菌とペニシリン溶液を培養したシャーレを持ってきてもらった。

 植菌から5日ほど経過しているが、やはり阻止円はできていない。培地一面を、疫病菌が邪悪に覆い尽くしていた。


(――やっぱり、並みの抗生剤は効かないわね)


 もしかしたら、という最後の確認をしたのだが、やっぱりダメだった。

 こいつが本当にフィラメンタス――ハートの悪魔なのだとしたら、私に何ができるだろうか。


 腕を組んでうーんと考えていたところ、デル様はドクターフラバスをお供にして、患者1人ひとりのところを回り始めた。その姿を視線で追ってみると、どうやら話ができる者には激励の言葉をかけたり、熱がある者には氷の魔法でおでこを冷やしてみたり、吐物で衣類が汚れた者には清めの魔法をかけてあげているようだ。


(本当に、なんてお優しい方なんだろう……)


 その光景に、涙が出そうになった。


 清潔とは言えない床に膝をつき、高価そうな装束や美しい長髪が汚れるのも全く気にしていない。いつもの無表情であるが、その目は国民を心配する気持ちで溢れていた。

 突如現れた国王様に、患者たちは最初こそ恐れおののいていたが、優しく言葉をかけられ魔法で楽にしてもらうと、手を合わせてお礼を言っていた。顔をくしゃくしゃにして涙を流している者もいた。


(励みになるだろうな。具合が悪いと心まで荒んでくるもの。見捨てられていない、気にかけてくれていると分かるだけでも、心の薬になるものだわ)


 ――――目の前に広がる眩しい光景を見つめながら、私は自分にできることを必死で考えた。


 どうしたら1つでも多くの命を救えるのか? どうしたら専属薬師としてデル様のお役に立てるのか? 

 サルシナさんやライといった市場の顔見知り達が頭に浮かぶ。アピスからトロピカリへ――そして国中へと疫病が広がるのも時間の問題かもしれない。そうなったら、運悪く命を落とす友人が出るかもしれない。死亡率は5割なのだ。


(……私は、そういうのが嫌だから薬剤師、研究者になったんじゃない)


 病気に抗うすべを身に着け、大切な人をこの手で守る。それが私の根底にある決意だ。

 設備も薬もないこの異世界で、状況を打開する方法はなんだろう?

 必死に頭を巡らせる。


 ――――ほどなく私は一つの結論に至った。疫病を根本的に解決できる、おそらく唯一と思われる方法に。


『元の世界に戻ってXXX-969を持ってくる』というものだ。


 元の世界へ戻る方法が分かったと、今朝デル様は言っていた。であれば、あちらに戻って新薬を持って来ればいい。

 問題は、再びブラストマイセスに来るためにはどうしたらよいかだ。


 いくつかの案が頭に浮かぶけれど、どれも賭けの要素を含んでおり、100%上手くいく確証は無い。


(でも、根本的な解決にはどう考えてもこれしかないわ。このまま疫病が広がるとブラストマイセスの人間は滅びてしまうかもしれない。ならば、少しでも望みのある方法をとるべきよ)


 私がずっとここに居ても、疫病を食い止めることはできない。だから、たとえ賭けに失敗してブラストマイセスに戻れなくても結末は変わらない。しかし、賭けに勝ってXXX-969を持って戻ることが出来れば、確実に国を助けることが出来る。


 ――やらない理由が、見当たらなかった。


 ふと、患者を看病しているデル様の姿が目に入る。


(戻ってこれなかったら、もう二度と会えないんだわ……)


 今朝の真摯な告白が頭をよぎる。

 ――ああ、これは深く考えてはいけない気がする。


(だめよ、星奈。自分がやるべき役目を遂行するの。取り急ぎできることを済ませて、身辺整理のめどが付いたらデル様に帰還の話をしましょう)


 無理やり考えをまとめると、白衣を羽織って行動を開始した。

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