第49話

「――――というわけで、私はデル様のもとに来たわけです」


 デル様の私室にて、これまでの経緯を説明した。討伐の件、アピスやオムニバラン、ゾフィーを襲っている疫病の件、抗生剤の合成の件にと、まるっと全部である。


 腕を組んで難しい顔をしているデル様は、なぜか私の隣にぴったりと座っている。向かいのソファが空いているのだから、そちらにゆったり座ったほうが良いのではないか。

 デル様のお部屋は、意外にもあまり広くなかった。それでも20畳くらいはありそうだけれど、国王様のお部屋と思えば簡素な感じがする。家具は落ち着いた黒やブラウン系が多くて、質素だけど高級なんだろうなあという印象だ。


「……色々やることはありそうだが、まずはセーナ。私のために、遥々ここまで来てくれて、ありがとう」

 

 言いながら彼は軽く私を抱きしめた。自分から飛びついたさっきと違って恥ずかしい。顔が一気に熱くなるのが分かった。

 友人同士の気安いハグとはいえ、妙にくすぐったい気持ちになってくる。


「私はこれでも国で一番強いと言われているのだが……私のことを心配してくれて、本当に嬉しい」


 抱きしめる腕に力が入る。ぽかぽかした体温と、デル様が心から嬉しいと思ってくれていることが伝わってきて、頬がゆるむ。自然と私も彼の背中に腕を回す。


「ゾフィーで時間がかかってしまったので、間に合うかどうか冷や冷やしました。無事間に合って、デル様が無事でいてくださって、本当によかったです」

「トロピカリからここまで、危ないことはなかったか? 疫病のこと以外で」


 私の髪を耳に掛けながら、デル様が顔を覗き込んで言った。


「特段危ないことはなかったですし、アピスでは面白い人と知り合えましたから、どちらかと言うと旅を楽しめました。あっ、でも、途中でふと寂しくなった時はありましたね。オムニバランで野営した日です。早くデル様に会いたいなぁって」

「っ……!」


 デル様が言葉にならない声を漏らし、ピクリと全身を震わせた。


「出会ってからまだ半年くらいですけど、デル様は大切な友人ですからね!」

「………………」


 ――――沈黙してしまった。一気に空気が淀んだ感じがする。


(え、今のは失言なのかしら!? 馴れ馴れしすぎたかしら……?)


「セーナ、こんな時に言うことではないが……私は誰にでもこんな態度を取るわけではない」


 デル様は天鵞絨のような髪をかきあげながら、ねめつけるような視線をよこした。いつも冷静な魔王様が、ちょっといじけたような表情をしている。


「と、言いますと?」

「好きでもない女性を抱きしめたり、愛称で呼ぶのを許したり、私室で2人きりになったりしない」

「…………」

「付け加えるなら、こういうことをするのは300年生きてきて初めてだ」


 抱きしめる腕を緩め、デル様は私の目をまっすぐ見た。圧を持ったその真剣な眼差しに気圧されて、うまく呼吸ができなくなる。

 いくら私が恋愛経験の乏しい地味アラサーだとしても、ここまで言われたら彼が何を言いたいのか見当がついた。


 デル様は私の手をとり、片膝を立てて跪いた。背の高い彼と、ちょうど同じ目線の高さになる。じっと私を見つめる彼の瞳にはきらきらと星空が輝いていて、いつか思ったように吸い込まれそうなほど綺麗だ。


 薄く形の良い唇が少しだけためらいを見せた後、言葉を紡ぐ。


「セーナ、そなたが好きだ。魔王という責務、そして病に侵され、淡々と日々をこなすだけだった私に、そなたは希望と温かさをくれた」


 デル様は私の手の甲に唇を押し当てた。

 押し当てられた部分から、ぶわっと全身に熱が広まっていく。


 勉強はできる方だし、人間やその他動物の求愛行動であれば少しは知っている。だがしかし、魔王と人間におけるこういう場面でどうしたらよいかは全くもって知識がない。

 思わず手を引っ込めようにも、ガッチリ握られていて許されなかった。


 結果、恋愛経験の少ない私は顔を赤らめて目線を泳がせることしかできない。穴があったら飛び込みたい気持ちでいっぱいだ。

 私自身、自分が残念女子だという自覚はある。いや、もはや女子という年齢ですらない、しがないアラサーだ。デル様は見た目もよいし、なにより性格が素晴らしい。モテモテだろうに、いったい何でこんな私なんかを好いてくれるのだろう……?


「生きることが楽しい、と思えるのだ。こんな気持ちになるなんて想像もしていなかった。セーナ、そなたの心、声、美しい髪も瞳も、全て愛している」


 私の目を捉えたまま、はっきりと言葉を紡ぐデル様。


 ――――恥ずかしい、の極みだ。

 空いているほうの手で口元を隠し、天を仰ぐ。


 嬉しいとか、照れるとか、困るとか、もういろんな感情が閾値を超えて脳内を暴走している。デル様の真っ直ぐすぎる告白に、どう反応したらよいか分からない。


「……本当は、この気持ちを伝えるつもりはなかった。セーナは異界の人間だし、こんなことを言われても困るだろうと思ったからだ。ずっと心の中にしまっておくつもりだったのに――自分でも意外であるが、欲が出たようだ」

「欲……ですか」

「ああ。側にいるだけというつもりが、気持ちを伝えるだけなら、というところに段階が上がったとでも言えばいいだろうか? ああ、すまない、混乱させてしまっているな。私はそなたに何らかの返事を求めているわけではないのだ。安心してほしい」


 告白の答えが欲しいのではなく伝えたかっただけだと分かり、申し訳ないけれど少しホッとしてしまった。

 しかし、つながれた手はいまだ強く握られている。そろそろ手汗をかきそうで心配になってくる。


「まあ、セーナも私のことを好きになってくれたらな、なんて思ってしまったことはあるが」


 膝立ちから立ち上がりながら、デル様は妖艶に微笑んだ。軽い調子ではあるが、私を見つめるその麗しいお顔には、何とも言えない色気が感じられた。私は再びドキッと心臓が収縮して、思わず顔を逸らしてしまった。

 賢くて優しくて、とても魔王とは思えないデル様だけど。こうやって人外めいた美貌を見る時は、まるで美の悪魔のように感じられる。

 彼は私の隣に座りながら、さらに口角を上げた。


「くく、冗談だ。セーナを困らせるようなことはしない。私自身にも、それは過分な幸せだ」


(うぅ~、心臓がいくつあっても足りないわ)


 デル様と2人でいると、大げさではなくそのうち心臓発作でも起こしてポックリ逝ってしまう可能性がある。なるべく早く強心剤をストックするべきだ。強心剤の元になる薬草、ジギタリスはどこかに生えているだろうか?


「それでだ。実は、昨夜のことであるが、そなたを元の世界に戻す方法が分かった。禁書庫のさらに奥の区域に、関連する書物が残されていた。安心してほしい」

「あ……そうなんですか。あ、ありがとうございます」


 ――元の世界に変える方法か分かった。

 全く頭になかったことを告げられて、思わず何の感情もこもらない返事をしてしまった。


(そっか、私は元の世界に戻るのか。ここでの暮らしに馴染み過ぎて、そういう気持ちに全然ならなかったけど……。そうだよね、いつまでもいるってわけにはいかないか……)


 帰りたくない、という気持ちが自然と湧いて出たのは自分でも意外だった。

 日本に帰れば研究の続きができるだろうし、暮らしの設備も整っているし、環境的な不自由は少ない。お姉ちゃんとお母さんにも会える。

だけれど――未知なるものに囲まれて、心躍るような毎日が送れるのは、間違いなくここだ。


 思わず俯いた私に、デル様は優しく声をかけた。


「いいや、もとはと言えばこちらの手落ちだ。本当に悪いことをしたな。帰りたくなったら、いつでも言ってほしい」

「分かりました。今は――まだいいです。取り急ぎ、疫病の件がありますから」

「そうだったな。かなり話が逸れてしまったが――本題に、討伐と疫病の件に話を戻そう」

 

 薄い紗のカーテン越しに、明るい光が見える。

 すいぶんと話し込んでしまった私たちは、ようやく本題に入ることになった。

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