第44話

事務室に移動して、机に並べた患者カルテを睨むこと小一時間。私の頭の中はアイツのことでいっぱいだった。


(悪魔のハートマークが目に入ったときは、息が止まるかと思ったわ……)

 

 最初に診察をした患者の腕にあった、特徴的すぎるハート型の湿疹。

 急いで他の患者の湿疹を確認したところ、同じものが出ていた。その次の患者にも、次の次の患者にも、それはあった。 


 ――これが意味するのは、疫病の原因がクリプトコッカス フィラメンタスである、という可能性だ。

 かつて私も罹患した病気。この世界に来る原因になった、生死をさ迷った病気である。


 まさかこの世界に来てもヤツと対峙することになるとは思わなかった。こういうのを腐れ縁って言うのだろうか?


(全然嬉しくない再会だわ……)


 ため息をつきながら、天井をあおぐ。


 カルテに書かれた患者の経過や数値、見て分かる発熱と特徴的なハート型湿疹、高い死亡率。まさにフィラメンタスの症状にそっくりだ。死亡率は元の世界では3割程度だったけれど、医療水準の低いこの世界なら5割でも納得できる。


 ……ずばりフィラメンタスでなくとも類縁の系統、どんなに外れても何らかの細菌感染であることはほぼ間違いないだろう。


(ただ厄介なのは、もしフィラメンタスなら既知の抗生剤が効かないのよね。だから元の世界では新薬を開発していた。でも、フィラメンタスではない別の細菌であれば、抗生剤が効く可能性は高いわ)


 ――――推測をまとめると、この疫病の原因はスタフィロコッカス フィラメンタス。そうでなくても何らかの細菌感染だ。フィラメンタスであれば治療薬はないけれど、フィラメンタス以外の細菌感染であれば抗生剤で治る。こういうことだ。


 フィラメンタスか、別の菌か。それを確定的に調べるためには、菌の遺伝子を調べるしかない。しかし、ここブラストマイセスには遺伝子に関する技術も設備もない。では、どうしたらよいか。


(抗生剤を作って、それが効くかどうかで判断するしかないわね。効けば一般的な細菌感染。効かなければ、フィラメンタスである可能性が濃厚ということになるわ)


 ただ、ブラストマイセスに抗生剤は無い。どうやって作るかが問題になってくる。

 日にちさえあれば、1から有機合成するとか、菌を分離培養するとか試行錯誤できるのだが、今そんな暇は無い。

 となると、申し訳ないがあの方法しか思いつかない。私は複雑な気分になりつつも、患者対応しているドクターフラバスのもとへ向かった。


「ドクターフラバス、1つ方法を思いつきました」

「えっ、もう何か分かったの!?」


 驚くドクターフラバスにひとつ頷き、私たちはゆっくり話のできる別室に移動した。



「――――ということで、この病気の原因は細菌である可能性が高いです」

「サイキン、ねぇ」


 この世界には細菌だとかウイルスという概念がないので、そこから説明する必要があった。私が異世界からの転移者だということは話がややこしくなるので伏せておき、異国の医学書で読んだということにしておいた。


「それで、細菌が原因であれば、コウセ……抗生剤とやらが効く、と」


 ドクターフラバスは飲み込みが早かった。

 難しい顔をして、無精ひげの生えた顎を手でねぶりながら、私の話を聞いてくれている。


「その通りです。私の経験や異国の医学書での知識を踏まえると、細菌感染の可能性が高いです。ただ、どんなことでもそうですけれど、100%そうとは言い切れませんが」


 理系の性だろうか。どんなに自信があることでも、常に例外値があることが気になってしまい、保険をかけた言い方になってしまう。


「……何もできないよりは良いよ。今は少しでも治療の足掛かりが欲しいんだ。で、疫病の原因が細菌なのか、そのフィラメンタスってやつなのかは、抗生剤が効くかどうかで分かるんだったね。抗生剤を作るのは時間がかかるのかい?」

「ええ。抗生剤が疫病に効くかどうかの実験は明日の昼までにできるんですけど、効くと分かった場合は薬を大量生産しなければなりません。そこに時間がかかりますね」

「……策はあるかい? すまないね、セーナ君に頼りきりで。僕に――僕たちにできることであれば、全力で協力させてもらいたい」

「ありがとうございます。策は1つ考えています。まずは取り急ぎ、抗生剤が効くかどうかの実験を行います。で、抗生剤が有効であれば、大量生産できる、ある人物に協力を要請したいと思います」

「そんな人がいるの? 一体誰だろう?」


 意外そうな顔をしたドクターフラバス。

 その眼鏡の奥に光る黒い瞳をしっかりと捉えながら、私は答えた。


「……国王様です」


 ぽかん、とドクターフラバスの表情が抜け落ちる。


 ――突拍子もないことを言った自覚はあるので、許してください。

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