第43話

「大丈夫ですか!? 私の声は聞こえますか!?」


 床に崩れ落ちた受付嬢に声をかけるが、返事はない。

 軽く肩を叩いても反応がない。意識を失っていると判断する。 


(いきなりどうしちゃったのかしら!?)


 突然の出来事に、心臓がバクバク高鳴っている。しかし私は医療者だ。できる処置を冷静におこなわなければいけない。そう自分に言い聞かせる。


 呼吸は正常にあることを確認し、回復体位をとらせる。

 受付嬢を横向きに寝かせ、上になっている方の腕を顔の下に入れ、もう片方の腕は前に伸ばす。姿勢を安定させるため、上になっている足は軽く曲げておく。――これが回復体位だ。嘔吐したものが気道につまることを防ぎ、呼吸を楽にする役割がある。


 受付嬢の安全を確保したのち、再びドクターフラバスの部屋へ飛び込む。


「ドクターフラバス! そこで職員さんが急に吐血して、意識を失っています!」


 受付嬢の急変を告げると、彼は厳しい顔をして壁にかけてある白衣を身にまとった。

 小さく呟く声が聞こえる。


「ちっ……本当に何なんだ。ありがとうセーナ君、今行く」


 彼は早足で部屋を後にし、廊下で横になっている受付嬢のもとへ向かった。

 昼食のおにぎりだろうか――無精髭に米粒を付けながらも、彼は素早く応急処置を施していった。

 その手際は見事の一言で、日本の医者にも匹敵するような、鮮やかなものだった。


 そうこうしているうちにバタバタとナースたちが現れて、受付嬢を担架に乗せた。

 ドクターフラバスから私も着いてきてほしいと言われたので、渡された白衣を羽織り、邪魔にならないように集団の後ろの方へ加わった。


 受付嬢を乗せた担架は、どんどん階段を上って行く。そして、3階についたところで部屋のほうへと向かった。

 私も息を切らせて階段を登りきる。そして、そこに広がる光景に思わず目を見開いた。


 ―――野戦病院、とでも言えばいいだろうか。


 灰色の石でできている冷たい床に敷き詰められた毛布。

 そしてその上に横たわる、無数の患者たち。

 体育館ほどの大きな部屋に響きわたるのは、咳き込む音と、慌ただしく処置して回るスタッフたちの衣擦れの音だ。


「なに、これ……」


 思わず声が出てしまった。

 いや、言葉を失ったと言うべきか。

 心臓がドクドク脈打っているが、頭の先は血が巡っていないような感覚だ。時が止まったかのように瞬きを忘れて周囲の状況を凝視することしかできなかった。


 患者が多すぎて、ベッドは撤去されたのだろう。この大きな部屋も、おそらくいくつかの大部屋をぶち抜いて作られたような感じだ。


 患者は――お年寄りが多いけど、若者や子供もちらほらいる。皆に共通しているのは、発熱しているのだろうか、ハアハアと呼吸が荒い。また、パッと見た感じ、手足に湿疹も出ている。

 受付嬢と同じように吐血している者もおり、意識のない重症者もいるようだ。


 人工呼吸器などない。重症と思われる者でもせいぜい点滴が繋がれているぐらいだ。この点滴はトロピカリの診療所でも見たことがある。日本で言う生理食塩水だ。清潔な水に食塩を添加してつくるもので、脱水を防ぐ役割があるものだ。


「今、ゾフィーは原因不明の病が流行っている。見ての通り発熱と湿疹が主症状だ。マスターの手紙を見る限り、アピスの病とかなり似ているね」


隣からドクターフラバスの低い声が耳に入り、ハッと意識が引き戻される。


(オムニバランで聞いた症状とも似ているわ。あそこも同じ疫病かもしれない……)


「……原因不明。つまり治療法がない、ということですか?」


 だから薬師である私の意見を聞きたい、ということなのだとピンときた。


「その通り。原因が分からないから対症療法しかできないんだ。感染力は強くないが、5割が亡くなる」

「ご、5割……!」


 2人に1人ということだ。これは、かなり高い数字である。


「少し前からポツポツと患者が出始めて、じわじわと増え続けている。今この病院は、臨時でこの病気の専門病院になっているんだ。ゾフィーはアピスと違って人口が少ないから、住民にはなるべく外出せず接触を控えてもらって拡大を防いでいる。ただ、患者があふれるようなことになれば、街を封鎖することになるだろうね」

「……ゾフィーの医療では、どのような処置ができますか?」

「切ったり縫ったりの簡単な手術、投薬、点滴はできるけど、設備上、難易度の高いものはできないな」

「確認ですが、投薬というのは薬草のことですよね?」

「うん、煎じたものを飲ませたり患部に塗っているよ」


(――――日本と比べてだいたい100年くらい遅れている感じね)


 トロピカリの小さな診療所と比べれば、多少は出来ることが多い。しかし、まだまだ日本よりは遅れていることを再確認した。


「分かりました。これは――正直なところ、私の想像を超えていましたが。明日の昼まで、出来ることはあるか調べてみます」

「ありがとう。院内は自由に見て回って大丈夫だよ。何かあったら私の名前を出していいから」


 ホッとした表情を見せるドクターフラバス。

 私の返事を聞くと、足早に患者の処置へ向かって行った。

 

(私も症状の把握をしておいた方がいいわね)


 私はこの世界の人たちよりも医療について詳しい。国で流行り出している疫病について、少しでも原因を判断する材料が見つかれば―――

 そう思いながら、目に留まった患者の方へ歩き出す。

 

「こんにちは。私は薬師をしています。治療のために、症状を拝見しますね」


 横たわって肩で息をしている中年男性に声をかける。

 声を出すのがつらいのか発語はしなかったが、目線で了承の意を伝えてくれた。


(お顔が真っ赤で、発熱あり。呼吸苦もありそうね……で、湿疹は――――)


 男性の腕に目を落とす。


 ――ひゅっと喉が鳴った。

 そこにあったのは、見覚えのありすぎる――かつて自分の手にも存在していた、ハートマークの湿疹だった。

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