第42話

翌朝、すっきりと目が覚める。

 携行食で腹を膨らませて、テントを開けると、ひんやり湿った空気が流れ込んできた。

 視線を上に向けると、灰色に濁った雲が、気だるそうにゆっくりと流れていた。


(今日は曇りか。今のところ、雨は降らなさそうな感じね)


 次の目的地に着くまで天気がもてばいいなあと思いながら、テントを撤収して案内所へ返却した。

 待ち合わせ場所に向かうと御者くんはもう着いており、無事オムニバラン封鎖前に出発することができた。

 

 彼によると、次の目的地ゾフィーまでは半日程度らしい。ゾフィーの東部診療所へマスターの手紙を渡すという用事があるため、それが終わる時間によってここで1泊するのか、一つ先の街ロゼアムまで行くか決めることにする。

 今日までのところ雨に降られることもなく、馬も元気に走ってくれているため、王都には少し早めに着けるかもしれないということだ。


(ロゼアムの次が王都だったわね。先が見えてきたわ!)


 トロピカリを出発してから4日が経っている。ずいぶんと遠くまでやってきた。

 窓を流れる景色は、オムニバラン市街地から草原となり、そして丘のような小さな山へと移り変わる。


くねくねとした山道を抜けて視界が広がってしばらくした頃、ゾフィーに到着した。

 オムニバランが封鎖となっているので、ゾフィーはどうだろうかと心配だったが、入街制限はかかっていなかった。


「よかった、ここは封鎖してないみたい」


 無事に街の入場門を通過できて、ほっと胸をなで下ろす。

 まずは、マスターからのおつかいをこなさなければいけない。ゾフィーの総合案内所で東部診療所の場所を聞き、馬車で30分と近いようなので早速向かうことにした。


 ゾフィーはトロピカリと似た雰囲気の街で、車窓から見える豊かな自然と、黄色いレンガでできた素朴な平屋の街並みが印象的だった。

 


「こんにちは、私はセーナといいます。アピスのオマさんからこちらへ手紙を預かってきました」


 東部病院の窓口で用件を伝える。オマさんというのはマスターの名前だ。


 この病院は、元の世界基準でいうと中規模の総合病院というところだろうか。良く言えば歴史がありそうな、悪く言えば古い病院という感じの雰囲気である。照明は薄暗く、壁は灰色の石がむき出しのつくりだ。重厚と言えば聞こえは良いが、古い病院特有の空気の重さがある。そして、忙しいのだろうか、医療スタッフたちが早足で行き来している。


「――フラバス医師宛てですね。ちょうど昼休憩を取っているところなので、面会許可を取ってまいります。少々お待ちください」


 手紙だけ渡しておいてもらえればそれでいいのだけど……。とは言えなかった。受付嬢の心意気を無下にするのがはばかられたため、黙っていた。


 近くの待合い椅子に座って異世界の病院を眺めまわしていると、受付嬢が戻ってきた。許可がとれたので、フラバス医師の部屋へ案内してくれるらしい。

 窓口の裏手のほうが医局になっているようだ。ひんやりした灰色の石の廊下を進み、とある木製ドアの前で彼女は足を止めた。


「こちらがフラバス医師の部屋です。お入りください」

「あ、ありがとうございます」


 彼女にお礼を言い、ドアをノックする。

 少し間があって返事が聞こえたので、ガチャとドアを開いて入室する。


「失礼します……」

「やあやあ、きみがセーナ君か!」


 迎えてくれたのは、眼鏡をかけた馬顔の中年男性だった。

 診療疲れだろうか、メチルオレンジみたいな赤色の髪はボサボサしていて、無精髭が生えている。整ってはいるが、これと言って特徴のない顔にはひどいクマがあった。


「初めまして、ドクターフラバス。トロピカリに住んでいるセーナといいます。旅の途中でアピスに寄ったところオマさんと知り合いまして、手紙を預かりました。――すみません、礼儀に疎いので、言葉や態度に失礼なところがあったら申し訳ありません」


 医者というからには、高等教育を受けた貴族の可能性がある。貴族であれば、庶民の私が気やすく話していい相手ではない。デル様との付き合いでそのあたりの感覚がおかしくなっているけれど、本来の私は下っ端中の下っ端なのだ。

 貴族と実際に接したことなんてないから、どのような態度が正解か分からない。とりあえず出来る限り丁寧な言葉を使い、深くお辞儀をした。


「ああ、そんなのいいよ、楽にして! 僕は貴族じゃないからさ、近所のおじさんと話すつもりで接してくれると嬉しい。堅苦しいの、苦手なんだよね」


 デスクに頬杖をつきながら、にこやかに笑うドクターフラバス。その脇にはおにぎりが3つ置かれていて、まさに今昼食中であることを物語っていた。

 

(ずいぶんと気さくなお医者さんね。本当に、気軽に口をきいてしまっていいのかしら……?)


 私の心の声が聞こえたのか、ドクターフラバスは再度「本当にいいから」と言って苦笑し、手元の手紙に目を落とした。


「では、お言葉に甘えさせていただきます。――そちらがオマさんから預かったお手紙です。問題なかったでしょうか? もしお返事を書くようでしたら、今アピスは郵便ギルドの手が足りていないようなので、配送遅延に気を付けた方がよさそうです」


「そうだねえ……。手紙に書いてあるけれど、アピスも大変みたいだね。う~ん、悪いけど無理だなあ、今こっちも状況が厳しくてね」

 

 疲れた馬顔に、さっと暗い色がさす。

 ニガーも状況が厳しい、とはどういうことだろうか? 勤務がとてもハードなのだろうか。

 いまいち彼の言葉の意味が掴めず首をかしげていると、ドクターフラバスが私を見てわざとらしく口角を上げた。


「ねえ、セーナ君は薬師をしているんだって? 手紙の最後に書いてあったんだけど」


「え、ええ。普段はトロピカリで薬師をしておりますが」


「そうか、それはありがたい! ねえ、もし良ければ意見を聞かせてほしいことがあるんだけど。旅の途中で悪いんだけどさ、今日の宿はこちらで面倒をみるから、ちょっとだけ病院を見て行ってくれないかな?」


ドクターフラバスが懇願するような声をあげた。


「えっ!?」

「お願い! 僕だけじゃどうにもならなくて、行き詰っているんだ!」


 ガタンと勢いよく椅子から立ち上がり、頭を下げるドクターフラバス。


 ――非常に断りづらい空気が醸し出されていた。

医者の頼みを断れる薬剤師がいるのなら見てみたい。医療現場の薬剤師は、常日頃から医者や看護師の板挟みになって仕事をしている。各方面に気を遣い、ノーと言わずに全てをどうにかする。これが薬剤師の悲しき性であり、抗うことのできない職業病である。

 それに、力になれるか分からないけれど、ここまで困っている人を放っていくことは、私にはできなかった。意見を聞くだけ、ということならさほど大変なことではないかもしれない。


「…………頭を上げてください。明日の昼に出発できれば日程的には問題ないので、それまででしたら」


「そうか、助かるよ! ありがとう!」


 破顔したままに勢いよく近くまで歩いてきて、私の手を取り、ガシガシと握手するドクターフラバス。

 疲れ切った彼を少し明るい気持ちにできたようで、私も嬉しい。はははと笑いながら、握手する手にぐっと力を込めた。


 昼食を済ませるまでちょっと待っていてほしい、ということだったので、いったんロビーの待合い椅子に戻ることにする。

 部屋を辞すると、ドアの外で先ほどの受付嬢が待ってくれていた。帰りも案内してくれるとのことだった。


 彼女の後ろを歩いていると、彼女の小さな肩が小刻みに震えていることに、ふと気が付いた。

 石造りの建物は底冷えするし、寒いのかな? なんて思いながら見ていると、しだいに彼女の足元がふらついてきた。


「あの~、大丈夫ですか? 具合でも悪い――――」


 言い終わる前に、彼女は背中を丸めて激しく咳込んだ。

 胸を抱えて膝をつき――そのまま廊下に崩れ落ちた。


「っ!?」


 慌てて駆け寄り顔を覗き込むと――――――生気のない青白い顔。

 そして、白い制服のブラウスには、べったりと鮮血が付いていた。

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