第33話

眉を下げて、心配そうに私を覗き込むデル様。

 いつものクールな表情はどこにもなくて、焦りと不安の色がありありと浮かんでいた。

 ただ私を心配してくれるようなその表情に、緊張がゆるんでいく。


 彼は急いで私の噛ませ布を引っ張り出し、手足を縛っていた縄もほどいてくれた。


 彼が来てくれたことで一気に緊張がほぐれ、体中の力が抜けていく。

 というか、彼はどうしてここにいるんだろう? うちに忘れ物でもしたんだろうか。

 いずれにしろ、こうして見つけてもらえてありがたい。――もう大丈夫。心からそう思えた。


「怪我はないか? 怖い目に遭ったな。もう大丈夫だ」


 彼は手を出したり引っ込めたりする妙な動きを繰り返し、結局自分の膝の上に拳を置いた。


「はい……。何者かが鍵を壊して家に押し入ってきて、攫われるところでした。でもデル様、まだ安心できないんです! なんか、さっきから様子がおかしくて……!」

「様子がおかしい? まだ何かいるのか……? どういうことだ、セーナ」

「私を攫おうとした人たちの他に、もっとすごい何かがいたんです! デル様が来る少し前に気配は消えちゃったんですけど……! もしかしたら戻ってくるかもしれませんし、逃げた方がいいかもしれません。衝撃音の方向からして、誘拐犯たちはやられちゃったと思います!」


 デル様はお強いのだろうけど、さっきの何かも相当やばそうな感じだった。もしその何かとかち合ってしまったら、戦いに発展してしまうかもしれない。デル様が怪我をしでもしたら、これは国としてとんでもない事態になってしまう。


 そうなる前に逃げた方がいいと必死に彼を見上げると、何故か彼はホッとした顔をしていた。


「……大丈夫だ、セーナ。その何かであれば、心配はいらない。その何かがそなたを傷つけることはあり得ない」

「……随分、お詳しいのですね? もしかして、こちらに来るときに見かけましたか?」


 もしかして、デル様の知り合いなんだろうか? 

 何か教えてくれるかなと思ったけれど、デル様はただ薄く笑うだけで、何も言わなかった。


「……じゃあ、その何かがデル様を傷つけることもないですか?」

「ああ、その心配もない。優しいな、私の心配をしてくれたのか?」

「そ、そりゃあそうですよ! 私たち2人ともの安全が確保できないと安心できません!」


 その言葉を聞いたデル様が、目を細めてたっぷりと妖艶に微笑んだ。

 月明かりに照らされて浮かび上がるその姿は、背筋が凍るほどに美しかった。


(うっ……! この御方は、ご自分の美しさを理解しているのかしら? これは世のご令嬢たちが放っておかないでしょうね……!)


 デル様に恋愛感情を抱いているわけではない私ですら、心を打つ美しさだ。年頃のご令嬢が相手だったら、それこそ彼の美貌にイチコロだろう。


 なんとなく彼の顔を見ていられなくて、周囲を見渡す。

 よくよく目を凝らすと、ここは家からほんの目と鼻の先にある森の中だった。今朝がたデル様と談笑していた目の前のあたりだ。


 攫われる体感時間はすごく長く感じたけど、距離としてはさほど進んでいなかったらしい。


「とにかくここは安全だ。セーナ、そなたの家に戻ろう。手当をして休むべきだ」


 私の手首についた縄の鬱血跡を見つけて、顔をしかめるデル様。


「あっ、そうですね……。――――っ、ちょっと疲れちゃったみたいで、お恥ずかしいことに立ち上がれません。もう少しここで休んでから家に戻るので、デル様は先にお帰りになってください。もう安全ということでしたら、自分で後のことはやれますので」


 恐怖のせいか疲労のせいか分からないけれど、膝が笑ってしまい、立ち上がることができなかった。

 へにゃりと足を崩した姿勢で彼に苦笑を向ける。


「馬鹿者、そなたをこんな場所に置いて帰るわけないだろう! 怖い思いをしたのだから、力が抜けるのも無理はない」


 デル様はサッと跪き、私の膝裏と背中に手を当てて、そのまま持ち上げた。


「でっ、デル様にこんなことして頂くのは――!!」


 いたずら半分でされた前回のお姫様抱っことは訳が違う。

 自分で何とかなると言っているのに、なんだかすごく大切に扱われているようで、これはいけないことなんじゃないかと思えてくる。

 こんな地味アラサー女に優しくしても、デル様には何のメリットもない。居心地が悪すぎて、彼の腕の中で顔を赤くする。


「いい。私が自分の意思でやっているのだから、関係ない」


 どこか満足げな表情を浮かべたデル様は、私を横抱きにして家へ運び始めた。


 家に入り、丁寧にベッドの上へとおろされる。


「そのままでは気分が悪いだろう。体と服を清めよう」


 デル様が指をパチンと弾く。途端、すうっとメンソールでも当てられたかのように、体がさっぱりした感覚になっていく。

 冷や汗や熱風にあてられてかいたベタベタ汗が、一瞬でサラサラになった。土で汚れたパジャマも、一瞬でふんわりと清潔な状態になった。


「すまないが、私は手当の心得がない。ほとんど怪我をしたことがなくてな……。今、王城から医師を呼び寄せる」


「いえいえ、大丈夫ですよそこまでしていただかなくて。 怪我らしい怪我はしていないので、自然に治ると思います」

「しかし――」


 硬い表情で腕を組むデル様。

 一国の主が、ちょっと過保護すぎやしないかと心配になってしまう。私は子供じゃないし、医療の心得もあるのだから本当に大丈夫なのだ。

 むしろデル様の方が心配だ。こんな時間まで外をほっつき歩いたら、体調が悪化してまた倒れるんじゃなかろうか。早くお城に戻って寝て欲しいと思う。


「本当に大丈夫です。必要であれば明日自分で調合しますし、もう深夜ですから休みたいです。なんだか、どっと疲れたように感じてまして……」


 目をこすりながら枕元の時計を見ると、3時を指していた。

 男たちの侵入から1時間しか経っていないのに、3日徹夜したかのような疲労感。デル様の登場により安心して、その上さっぱりと清めてもらったことで全身が休憩モードに入ってしまったようだ。いかん、本当に眠い――


 納得していない表情のデル様だけど、正直とても眠くなってきたので休ませてもらうことにする。


「デル様、助けて頂いたお礼…もきちんとできず………もうしわけないのです……が……………おやすみなさ…い…」


 充電の切れた機械のように、急速に身体中のスイッチがオフになっていく。


 ほとんど気絶するように、私は意識を手放していく。


「せ、セーナ?」


 彼が少し焦った声で、私の名前を呼んでいるような気がする。

 それに応える気力もないまま、私のまぶたは閉じていく。


  だけど、倒れた勢いで頭を打ったりしないように―――デル様にこれ以上迷惑をかけないようにとの一心で、近くにあった何かを掴みながらベッドに倒れ込んだことだけは、自分で自分を褒めてやりたい。


 ◇


 温かいものが、私を包み込んでいる。

 いつものように窓から差し込む柔らかな日差しと、鳥のピーチクパーチクで目が覚める。


 心地よい温もりを感じながら、ぬくぬくとした空間を楽しむ。

 いつもよりまぶたが重いことに気づき、少し思案して理由に思い当たる。昨日――というか今朝がたは、誘拐されかけてひどい目にあった。でも、こうして無事ベッドで朝を迎えられて本当によかったなぁ……。


「――セーナ、おはよう。……起きたのなら、私は帰りたいと思うが」


  もぞもぞ動いて周囲の感触を楽しんでいたところ、すぐ近くから鼓膜に響く低い美声が聞こえた。


(――え。デル様……?)


 くわっと目を開くと、至近距離でデル様がこちらを見ていた。というか、私の両腕はがっしりと彼をハグしている。


(え、なんで?)


 思わず目を泳がせる私を逃がすまいと、デル様は大きな掌で私のほっぺたを挟み込んだ。反動でギュッと唇がタコみたいに飛び出る。とんでもなく不細工な顔になっているのを想像し、焦ってじたばた手足を動かす。


「デルしゃまごまんなはいっ! わたすはどうして――」

「覚えていない、だろうな。そなたは昨夜私の服を掴んだまま眠りに落ちたのだ。頃合いを見計らって帰ろうとしてのだが、夢見が悪かったのかうなされたり、私に抱きついて来たりしたので……まぁ、怖い思いをした直後だから仕方なかろうと、一晩傍に居たというわけなんだが?」


 そう言った彼は、なんだかひどく疲れたような顔をしていた。いつものキラキラしさが無いというか、生気を吸い取られたかのように覇気が無かった。


「も、申し訳ありませんでしたあっ!!」


 つるんと滑るように床に下りて、頭を床に擦り付ける。


 昨夜の誘拐騒ぎで助けてもらったどころか、魔王様を抱き枕にして寝てしまったなんて。専属薬師兼友人でなければ首と胴体がさようならする事案だ。

 真夜中に私を保護し、そのうえ添い寝までするはめになったのだから、デル様が疲れた顔をしているのも当然だ。一刻も早く帰宅して休んでもらいたい。


「……もう、よい。執務があるので帰る」

「ご、ごめんなさい……」


 ぐったりしたデル様は、言葉少なに去って行った。

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