第31話

【閑話】魔王様のお留守番

セーナが農業ギルドに行っている間の魔王様。


「急に悪いな、サルシナ」

「とんでもございません」


 床に膝をつき、目線を伏せる。相手に絶対服従を示す、魔族の最高礼だ。

 面を上げよという言葉があるまで、我が主の尊顔を見てはいけない。


 ――いつものように市場で店を出していたところ、急に我が主から念話が来た。何かと思えば、用が済んだらセーナの家に来てほしいと言われたので、慌てて駆けつけた次第だ。

 主は有能な魔王で、日ごろ他の者に頼ることはあまりない。何か火急の問題でも起こったのだろうかと、身を引き締める。


「面を上げよ。――ちゃんとセーナの薬草は買い取ってから来たな?」

「恐れ入ります。――勿論でございます。店じまいをしているところにセーナが来ました」


 許しが出たので、主の尊顔を見上げながらお答えする。

 魔王にふさわしい、堂々とした佇まい。漏れ出す魔力は非常に甘美で、冷え冷えとした蒼い瞳とは対照的だ。頭上にそびえる琥珀色の双頂は、魔族の長にのみもたらされる支配者の証だ。


「――それにしても、我が主の専属薬師がセーナだとは驚きました」

「ああ、彼女の腕は本物だ。……というより、トロピカリにいい薬師が居ると情報をくれたのはサルシナだろう?」

「まあ、そうなんですが……。主の御目に叶ったようで、光栄に存じます」


 我が主の命により、魔族は人間に化けて市中生活をしている。それは人間を怖がらせないようにするのと同時に、監視の役割も兼ねている。

 街で争いごとが起きていないか、困窮している民はいないか、優れた技能を持つ者はいないか。該当するものがあれば王城へ報告することになっている。そうやってブラストマイセスはこの100年、発展を遂げてきた。

 主は魔族の同胞はもちろん、人間にも惜しみなく手を差し伸べる優しいお方だ。国の頂点にふさわしい器を持っている。こんな方にお仕えできることは私の誇りだ。どのような任務であっても、必ず遂行してみせよう。


「それで、御用は何でしょうか」


 主の目を見上げて、指令を待つ。


「うむ。セーナが帰ってくるまでに、何か彼女の喜ぶことをして驚かせたいのだ。なにぶん知り合って日が浅いので、彼女をよく知るそなたの意見を聞かせてほしいと思ってな」

「――――はい?」


 角を赤らめる我が主。んっ? あれっ? どういうこと?


 主が小さい頃からお仕えしていたので、角が赤らむのがどういうことかは、理解している。恥ずかしい時や、照れているときにそうなるのだ。ただ残念なことに、角は主自身からは見えない。だから、感情が丸見えになっていることに主は無自覚なのである。


 先の発言が聞き間違いでなければ――そして、角を赤らめて目線を泳がせる主の姿が幻視でなければ――主は、セーナの事が気になっているということだろうか? 気を引かせたいから知恵を貸せ、そういう指令なのだろうか……?

 こんな類の指令は初めてだ。日々城に届く御令嬢方からの贈り物を一瞥もせず臣下に下げ渡すくらい、女性関係に関心のない主なのだ。


 開いた口がふさがらない。にわかには信じられない事態である。

 主の表情を読み取ろうと尊顔を見つめていると、フッと視線をそらされた。その目はどこか物悲しく、切ない感情をはらんでいた。


 ――もしかしたら、わたしの勘違いかもしれない。と思い至る。

 恋愛感情ではなく、何か薬の取引上のことで、彼女の機嫌を取る必要があるのかもしれない。セーナに限ってそんなことはしないと思うけれど、何らかの理由で薬の出し惜しみをされている可能性もある。

 主の目的をはき違えてしまうと任務遂行に支障が出る。不明瞭なことは確認しておくのが鉄則だ。


 「あの……立ち入ったことをお伺いする無礼をお許しください。主はセーナの事が好きなのでしょうか? それとも、取引上のことで何か問題が起きているのでしょうか?」


 途端、ビクッと主の肩が揺れた。

 主は素早くわたしに背を向け、窓の外を向いた。


「……取引に問題があるわけではない。むしろ、彼女は効果の高い薬を破格の安値で調合してくれている。――それで、すっ、好きかどうかということは、その、だな――――」


 妙な間が空く。


 あっ、これは黒だな。

 わたしは瞬時にそう答えを出した。 

 だてに長年お側に仕えていたわけではない。口ごもりこそすれ、その角はもはや深紅にまで染まり上がっている。――我が主がついに恋をしたのだ!!


 優秀だ、歴代随一の強さだ、なんて評判を持ちながらも浮ついた話のなかった主。人間の文化はよく知らないが、魔王ともあれば女を選り取り見取り、とっかえひっかえするのがむしろ普通である。近ごろは男色なのかという噂まで出始めていたので、この恋の報せは魔族一同にとって非常に喜ばしいものだ。

 湧き上がる歓喜の感情を抑え込みながら、務めて落ち着いた声を出す。


「主、申し訳ございません。みなまで言わずとも、このサルシナは一切を承知いたしました」

「そ、そうか。やはりそなたは優秀だな」


 そこでようやく主はこちらを振り返った。

 口元にはうっすら笑みが浮かんでいて、久しく見ていない表情をされていた。そこに二度わたしは驚いた。――主は本気だ。

 セーナは魔法が使えないはずだけれど、一体どんな方法で主の心を掴んだというのだろう。小柄で黒い巻き毛を持つ彼女の姿を思い浮かべながら、どうやったら彼女と主の仲立ちができるかに素早く考えを移行する。


「――セーナは物欲が無い子なので、ドレスや宝石といった一般的に女性が好むような贈り物は向かないでしょう。恐縮したうえ、持て余すと思います」


 そう進言すると、主は大きく頷いた。


「一理あるな。セーナは華美な暮らしよりも、機能的で無駄のない暮らしのほうが気に入りそうだ」

「これを申し上げると元も子もないことは承知で発言いたします。一番喜ぶことをして差し上げたいのなら、やはり本人に聞くのが一番でしょう。今日は時間も限られていますし、下手に何かをして、かえって印象を下げることになってはいけません」

「う、うむ……。確かに、聞くのが一番だな……。だがしかし……」


 眉を下げて、室内をうろうろし出す主。

 ああ、何か少しでもしないと気が済まないのだろうか。本当に、いつものお姿とはまるで別人である。


「――では、今日のところはセーナが気づくかどうか分からない程度の、さりげない事だけしてみてはいかがでしょう?」


 主の顔にみるみる喜色がさす。どうやら、わたしの読みは外していなかったようだ。

 そうして僭越ながらアドバイスをさせていただき、我が主はさっそく行動に移した。



「なぁ、サルシナ……いや、今はケルベロス冥界の番犬と呼ぶべきか。セーナが気づかない程度の些細なことでというのは理解しているが、少々些細すぎやしないか?」

『これでいいのです、我が主。家じゅうのドアの歪みを直して立てつけをよくする。靴下に空いている穴を縫い付ける、花瓶に美しい花を生ける、なぜか壺にみっちり詰まっているミルマグを処分する。……むしろ、やりすぎたかもしれません。私のケルベロスとしての力を使ってゴキブリ共を一匹残らず冥界送りにしたことも加えると、さすがにセーナも居心地の良さに気付いてしまう可能性があります』


「そ、そうか。セーナが快適に暮らせるのなら、別に構わないのだ……」


 我が主は不安気な表情をしていたが、かといってセーナが喜ぶことも分からない状況なので、飲み込むことにしたようだ。


「次はちゃんとセーナが望むことを聞き出して、それを何としても叶えてやりたいな」


 3つの頭を上下に動かし、同感ですと伝える。


 そのあとは家とその周囲に守護の魔法陣を張り巡らし、残った時間で軽く執務を手伝った。

 セーナが帰ってくる前にと、夕方には暇を告げた。


 辺りはすでに薄暗い。村はずれにあるこの付近は、人通りが完全に途絶える時間だ。

 魔物の姿のまま、とっとこ煉瓦道を走る。


 ――セーナの前では気のいい小太り中年女性「サルシナ」として生きているが、真の姿を見たら何を思うだろうか? 化け物と非難され、距離を置かれるだろうか。


 ……いや、あの子はそんな人間じゃないと思う。むしろケルベロスの生態について目を輝かせて聞いてきそうな、そんな子なのではないかと思う。素材を売りに来るときは少し猫を被っているようだが、私の6つの目は誤魔化せない。

 魔物を差別せず、平等に扱ってくれる彼女なら――この国の王妃になる未来もあるのかもしれない。


 しかし、王妃になるには障害も多いだろうなと思い至り、ため息をつく。セーナは平民だし、それを補うような実績もない。主に絶対服従の魔族たちは異論をあげないだろうが、身分制度が根強く残る人間たちは納得しないかもしれない。

 どうやって主とセーナを仲人しようか。1人でも多くの民が納得し、歓迎するような方法とは――

 

 今日受けた指令は、「セーナが喜ぶことを考える」だ。しかし、優秀な部下とは主の意向を汲んで何手も先のことをやり遂げるものである。


 そんなことを考えながら、市場の手前の物陰で人間サルシナの姿になり、雑踏に紛れ込むのであった。

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