第30話

デル様が帰ったがらんどうの部屋を前にして、自然と一つため息が出た。

 そんな訳ないのに室温が3度くらい下がったような気がするし、ボロい部屋がいっそうボロくなったように見える。


(……寂しいって、こういう気持ちなのかしら……?)


 今私の身体を支配しているのは、27年の人生でほとんど感じたことのない感覚だ。胸の奥がスースーして、虚無感のようなものが混じったこの気持ち。

 たまに父親のことを考えてしまう時の気持ちと似ているけれど、なにかが決定的に違う。


 ――ひとつ分かるのは、私は彼と過ごすことが、存外楽しいということだ。日常の小さなことでも彼は耳を傾けてくれるし、私ごときに丁寧な返事をしてくれる。多分興味のないであろう虫の生態の話だって、「ほう、それは実に興味深い」なんて言って、眩しいほどの美貌で笑ってくれるのだ。とっても偉い人なのに、なんでこんなに話していて楽なのだろうか。


 次に彼が来るのは、恐らく薬が切れる3か月後だろう。

 それまでの生活が、急に味気のないものに思えてしまう。調合とか、虫の解剖とか、やりたいことはいくらでもあったはずなのに――――


 しおれた気持ちを抱えながら、夕飯を作るために台所へ向かう。いつもであれば、パンとスープとおかず一品というのが定番のメニューなのだけど――


(――――なんか、スープ作るの面倒だな……。今日はいっか……)


 なぜだか、やる気が出ない。

 別に自分1人だし、無理に頑張る必要もないかと思い至る。

 調理台から離れて、食料類を収納している戸棚を開く。作り置きしていたパンと、燻製保存してある鮭を食べることにした。


 食事と入浴を終えてベッドに潜り込む。

 明日は何をしようか、ブラストマイセスに梅雨はあるのだろうか、調剤室に防カビ対策をするべきだろうか、あれ、窓辺に綺麗なお花があるなぁ――――そんなことを考えているうちに、私は意識を手放した。



ドン・・・ドン・・・・・・・


・・・ドン・・・ドン・・・



 壁を叩くような音で、私は意識を取り戻した。

 半分しか開いていない目で窓の方を見る。まだ真っ暗だ。

 いったい今は何時だろうと枕元の時計を確認すると、深夜2時を指していた。


(ん……こんな時間に一体何なの……?)


 体を起こしてゴシゴシと目をこすれば、少しずつ意識がはっきりしてきた。

 と同時に、心臓がドクリと強く打つ。


 物音は、我が家の壁を叩く音だったのだ。正確には壁ではなく、入口ドアの方向だけれど――


(えっ、泥棒? どうしようどうしよう、灯りをつけた方がいいのかな? でも気づかれたと知られたらかえって襲われるかな? っていうか武器を用意するべき? 武器になりそうなものは――包丁と小型ナイフぐらいしかないけれど――)


 どうするべきなのか、一瞬で色々な案が頭を駆け抜ける。


 ―――しかしそれは全て無駄だった。


 なぜなら、次の瞬間、玄関の鍵が破られたからだ。

 ゴトリ、と鈍く非情な音を立てて、南京錠が床に落ちる音が聞こえた。


 あっ、もうだめだ。


 私は本能的に死を覚悟した。

 包丁を取りに行くことも、もう無意味だと思った。


 包丁を手にしたところで、泥棒を退治できるわけがない。こんな小屋に押し入るような輩は私より100倍強いに決まっているし、平々凡々と平和な世を生きてきた私は、刺し違えるとかそういう血生臭いことは絶対に無理だ。


 どうすることもできなくて震えながらドアの方を凝視していると、やはりと言うべきか、数人が押し入ってきた。

 月明かりが逆光になっているので、顔は見えない。


 ハッ、ハッ、と無意識に呼吸が浅くなる。


 先頭の人と目が合った―――どうやら覆面をかぶっているようで、2つ空いた穴からキラリと2つ光るものが見えた。


 ベッドの上で固まっている私を認めると、先頭が後ろの数名にハンドサインで何か指示を送った。後ろにいた男たちが、こちらに大股で歩いてくる。

 手に縄と袋を持っているのが目に入り、ああ、私は誘拐されるのか、それとも強盗だろうかと変に冷静になる。とりあえず今すぐ殺されるということは無さそうで、ほんの少し安心する。


「命が惜しければ抵抗するな」


 1人が短くそう言い、私は首をブンブンと縦に振る。


 男たちは私の手足をあっという間に縛りあげ、口に布を突っ込んで声が出せないようにした。

 布が臭くて思わずえずく。


 そんな私に構うことなく、彼らは折りたたんだ布を取り出した。私を乱雑に抱え上げ、ズボッと突っ込んだ。

 目の粗い布袋のようで、隙間から彼らの動きがほんのり見える。繊維がチクチクして地味に不快だ。


(……でも、こんな目に遭う心当たりが全然ないよ? 誰かと間違えているんじゃないかしら。夜が明けて顔が分かるようになって人違いでしたって分かったら、口封じで今度こそ殺されるかも――)


 私なんかを襲うメリットが思いつかない。

 薬草が欲しいならサルシナさんの店にあるし、別の薬屋だって市場にはあるのだ。個人との直接取引も歓迎しているし、売り惜しみをしたことなんて一度もない。それに、お金をたっぷり稼いでいるわけでもない。こんなあばら屋に住んでいる時点で、それはお察しだろう。


(それとも私が身元の怪しい人間だから? ……いや、こっちの世界に来てもう半年は経つから今更だわ……)

 

 ――いずれにしろ、これは異世界生活始まって以来の大ピンチだ。

 背中に嫌な汗が一筋つたう。


 ふっと体が浮く感覚があり、次の瞬間お腹に鈍い痛みが走る。どうやら担ぎ上げられたようで、男の肩が腹にめりこんで痛い。

 どこかに連れて行かれるようだ。私は誘拐されるんだ――――


(さようなら私の平和な日常。ごめんなさいデル様、専属になったばかりで姿を消すようなことになって……)

 

 臭い布に顔をしかめながら、袋の中で私は静かに目を閉じた。

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