第27話

それからしばらく芝生の上で談笑していたけれど、そろそろ出発しないと夕暮れまでに帰れなくなることに気づく。

 話がひと段落したところで、よっこらしょと立ち上がる。


「デル様。先ほどお話した通り、私は今日市場に用事があるんです。すみませんが、そろそろ出発しますね」

「そうか。護衛代わりについて行こうか? 虚弱だが、私は強いぞ」

「魔王様が護衛って意味わかりませんよ!? トロピカリの治安は悪くないですし、1人で全く問題ありません。でもお気遣いはありがとうございます」

「そうか」


 デル様は少し残念そうな顔をしていたけれど、素直に引き下がった。


「ではこの家でセーナの帰りを待つことにする。すまないが机を借りていいだろうか? 書類仕事をしたい」

「それは構いませんけど……私が戻るのは夕方ですよ。いったんお城へ帰られた方がリラックスしてお仕事できるんじゃないです? 仕事道具を持ってくるのも大変でしょうし……」

「いや、ここがいいんだ。仕事道具は魔法陣で送らせるから、何ら手間ではない」


 魔力は掃いて捨てるほどあるからな、とデル様はニヤリと笑った。


「護衛できない代わりに、これはさせてくれ。往路だけですまないが」

 そう言うと、彼は快晴の空に向かって掌をかざし、何やら呪文のようなものを呟きはじめた。


(なんだろう? なにかの魔法を使おうとしているのかしら……?)


 かざした左手の指先からまばゆい光が飛び出し、ひし形の魔法陣っぽい模様を描き始める。そして、その模様に引きずられるように、周囲の空間が少し歪んでいく。


 指パチンの魔法とはまた違う種類のものだと、直感的に感じる。

 いくつもの小さい粒が円状の軌道を描き、交差している。それをたくさん組み合わせて少し大きな粒になり――を繰り返している。

 まるで空気中の物質、原子や分子、そんなものを分解し、再構成しているような……。ロマンチックの欠片もない感想だと我ながら残念だけど、理系脳の私にはこれ以上ない神秘的な光景が広がっている。


(デル様って、本当にすごいのね。物質を分解して別のものを創造するなんて、神の所業よ……)


 とんでもない友人を持ってしまった。

 そう思いながら彼の顔を見ると、視線が合ってニッコリしてくれた。呆けた間抜けな顔を見られて少し恥ずかしい。


 パチンッ!


 指をはじく例の音がすると同時に、魔法陣から七色の光が勢いよく飛び出していく。

 勢いに押された光のカケラが、きらきらと私たちの頭上に降り注ぐ。


「わぁ…………っ!!」


 呼吸を忘れて、その神々しい光景に目を奪われる。

 七色の光はまるで龍のように螺旋を描いてぐんぐんと天に上り、森を越えてゆるやかに弧を描き――最終的に、遠くの地面に根を下ろした。――まるで大きなアーチのようだ。


「デル様っ、これは虹ですね!?」


 興奮して彼に話しかける。


「そうだ。でもただの虹ではないぞ。そこに座りなさい」


 デル様が機嫌よくある一点を示した。示されたのは、芝生から生えている虹の根本だ。

 

(座る? 虹に座れるの?)


 疑問でいっぱいだったけれど、これはデル様が作ったものだ。創造主が座れるというのなら、そうなんだろう。

 おそるおそる、虹にもたれかかるように腰を下ろしてみると、お尻に固く触れて確かに腰かけられた。


「ではセーナ、気を付けて。ずっと出しっぱなしだとさすがに住民が混乱するので、そなたが下り次第これは片付ける。帰りは歩いて戻るように」


 身を屈めてくくく、と小さく笑うデル様。その笑いに、嫌な予感がした。


「えっ? じょ、状況が呑み込めないんですが………きゃっ!?」


 お尻の下―――虹が動き出した。

 めまいがしたかのように、グラッと身が揺れる。


「わ、わ、わ……っっ!!!?」


 とっさに籠にすがりついて身を固くする。

 虹がベルトコンベアーのようにぐんぐん動き、私を運んでいく。みるみるうちに地面が遠ざかり、同じだけ高度が増していく。


(怖い怖い怖いっっ!!)


 あっという間に森の木々がお尻の下に見えるようになった。

 なんらファンタジーでは無い。私は高いところが苦手なのだ。小さくなっていくデル様が満足げな顔をしているけれど、とんでもないことをしてくれたとしか思えない。

 ギュッと強く目を閉じて、情報を遮断する。


 到着までおそらく10分くらいだったと思うけど、とても長く感じた。

 虹コンベアの動きが止まったところで、ようやく目を開ける。


 降り立ったのは、見慣れた黄色いレンガ道。

 周囲を見回し、ここが市場まで5分くらいの位置であることを認識する。


(――――顔も体もガチガチだし、精神的にすごく疲れたわ)


 ひとつ長いため息をつき、私はよぼよぼと市場に向かって歩き出したのであった。

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