第二章 魔王様の専属薬師

第23話

デルさんが慌ただしく帰宅すると、オンボロ部屋には静寂のみが残された。

 私は宙を睨みながら腕を組み、うーんと首をひねる。


(いろいろ話を聞いた限り、彼の虚弱には日常的に薬が必要ね)


 100年もの間毒に侵されているとなれば、解毒にも相応の時間がかかる。受けた毒そのものが手に入れば特効薬の開発もできるかもしれないけど、彼の話ぶりからそれは手元に無さそうだ。となるとじっくり長期戦で治癒させるやり方になるだろう。


 デルさんの身の上話に絆されたということもあるけど、「謎の毒」という治療対象は、私の探究心に火をつけた。


(引き受けたからには必ず魔王様の症状を治してみせるわ! ――次来た時にすぐ渡したいし、今聞いた情報を元にしてもっと適した漢方薬を調合しなきゃね!)


 デルさんを健康にすることは、この国の明るい未来でもある。跡継ぎがいないと言っていたし、彼に万が一のことがあれば、物語でよくある後継者争いみたいなのが勃発するかもしれない。もしそうなったら戦場で薬師とかする羽目になりそうだ。それは困る、できることならのんびり調合と実験をして平和を謳歌していたい。


(――きっちり治療して信用がついたら、どこかの研究施設に就職できるかな?)


 トロピカリでの薬屋も楽しいけれど、そろそろ実験とか研究が恋しくなってきた。この掘っ立て小屋でできることはとても限られているから、細々と薬師を続けつつも、どこかの研究施設で働いてみたいと思っていたところなのだ。でも今の私は「森から出てきた記憶喪失の薬師」だし、まともなところでは雇ってもらえないだろうと諦めていた。


 実験器具や実験動物に囲まれた毎日――――想像していると、緩んだ口元からうっかりヨダレがこぼれ落ちた。

 慌てて手でそれを受ける。


(い、いけないわ。ついつい欲望があらわになっちゃった! ――とにかく私が目指すところはデルさんの完治よ。それを達成しないことには何も始まらないわ。さっそく調合に取り掛かりましょう)


 妄想を切り上げ、いそいそと紙とペンを用意して椅子に座る。


 これまでは急にデルさんが倒れたので時間に追われて調合していた。申し訳ないけど、よく考えて処方したというよりは、スピード重視で調合したようなものだった。

体質や原因について教えてもらったし、こうしてじっくり時間がもらえるならば、より体質に合った薬が作れる。


「まず八網はっこうね」


 半表半裏はんぴょうはんり、と書きしるす。



 漢方医学の診断治療は、主に4つの部分から成り立っている。


 四診ししん――望診ぼうしん(見える情報)・聞診ぶんしん(聞こえる情報)・問診もんしん(患者の訴え)・切診せっしん(触診のこと)から成り、患者の状態を得ること。

 弁証べんしょう――四診から得られた情報に基づいて、病位の深浅、病邪の性質及び盛衰、人体の正気の強弱などを分析すること。

 治法ちほう――治療方針のこと。

 方剤ほうざい――用いる薬のこと。


 ――要は、治療の手順みたいなものだ。

 この流れに従って、魔王様の体質に最適な薬を導き出していく。


「熱証、虚証、陰虚…………」


 大学時代に習った知識を必死に思い出し、彼の身体を分析していく。

 ふと、ある疑念が浮かんだ。


(……魔王様の体を、人間と同じに考えていいのかな?)


 私が知っている漢方の学問は、人間を対象として成り立っている。『魔王』に適用できるのか不安になってきた。寿命はとんでもなく長いし、角が生えているし、圧倒的なオーラ――漢方的に言うと「気」だって尋常じゃなく圧倒的だし……。体のつくりが違う可能性が大いにある。


(でも、私の作った薬とスープが効いたとは言っていたから大丈夫、かな? そもそも漢方薬は症状じゃなくて体質に対して調合するものだから、効いてもおかしくはないのだけれど)


 いわゆる西洋の薬は、症状に対して出されるものだ。頭が痛ければ痛み止め、吐き気がするなら吐き気止め、といった具合だ。それに対して漢方薬は、「その症状が出る体質を改善する」という考え方をする。頭痛がするのなら、体の巡りをよくしてみよう。吐き気がするのなら、胃腸のバランスを整えてみよう。こんな風に、体質からアプローチする手法なのである。


(魔王様も生きている以上、体質というものはあるはずだからね。もし効きが悪かったら別の処方に変えるとか、量を増やすとか工夫してみよう)


 作業を進めることにする。


「気血水は、気虚、血虚……血熱もありそう。水は問題なさそうね」

「臓腑は肝、心、肺。舌は紅で痩薄、と……」


 紙がメモ書きでいっぱいになった頃、彼の状態となすべき治療が見えてきた。

 倦怠感と、急な発熱。これらは個別の状態としてそれぞれに薬が必要だ。


 常にある倦怠感の方は体質改善的な要素を含んだ処方を毎日服薬してもらう。

 発熱の方は、いわゆる急性期の状態であるとみて、頓服的に別の薬を服用してもらう。

 こうすることで、より個々の状況に対応できるはずだ。そして、それらの症状が軽くなってきたタイミングで扶正去邪ふせいきょじゃを行おう。


「肝心の治法ね。まず倦怠感の方は気血虚損ととらえて……補血養心。人参養栄湯にんじんようえいとうでいこう。用意する素材がちょっと多いけど、これが最適だと思うわ……」


人参養栄湯は12種類の生薬で構成されている。大量生産するのに自生しているものにだけに頼るのは心もとないので、畑を少しいじらなければならないだろう。生育時期のうちにたくさん収穫して乾燥保存の処理もしないといけないし、治療が長期化することを見越して安定供給の段取りをつけないといけない。

手間ではあるが、専属薬師になるとはそういうことだ。


「熱の方は、養血清熱解毒ととらえて温清飲うんせいいんにするか……でも即効性はあんまり無いんだよね……ある程度早く効くとなると黄連解毒湯おうれんげどくとうで瀉火解熱する方が合っているかもしれない。あるいは荊芥連翹湯けいがいれんぎょうとうという手も……いや、17種類も素材が必要で安定供給するのは難しい……」


優れた処方があっても、安定供給できなければ元も子もない。漢方薬は飲み続けてナンボという場合もある。症状がこじれているほど元に戻すのには時間がかかるのだ。


諸々の事情を考慮し、人参養栄湯と黄連解毒湯を当面の治療薬とすることにした。


元々手を動かす作業が好きな私だ。一度作業を始めたら楽しくて時の流れを忘れてしまい、気付いたら明け方になっていた。

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