第20話
【閑話】マッドサイエンティスト、石鹸を作る
とある日の掘っ立て小屋。
セーナは鏡を見つめて険しい顔をしていた。
「うーん、肌荒れがひどいわね」
鏡に映った、特徴のない地味な顔。
そこに点々と赤いものができている。
――――「ハートの悪魔」こと、フィラメンタスではない。ただのニキビである。
あまりニキビができる体質ではないセーナであるが、アラサーになり肌質に変化があったのだろうか。
元の世界でもブラストマイセスでも、彼女は肌のお手入れ、つまり化粧水や美容液の類は使っていなかった。市場で簡単に手に入れることができるが、彼女は美容に関して全くの無頓着だった。
「う~ん、さすがにちょっと恥ずかしいわね。今日は時間があるし洗顔石鹸でも作ってみようかしら?」
人差し指と親指でニキビを一つ摘み、力を加えてみる。ちくっと痛みがあり、ニキビが潰れる。
「……そうだ! 折角なら……」
怪しい笑みを浮かべたセーナは、さっそく準備に取り掛かった。
◇
「ニキビの主成分は油脂だから、多少違うかもしれないけど基本の構造は飽和脂肪酸に近いはずだわ。
RCO-O-CH2
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RCO-O-CH
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RCO-O-CH2
ここに強塩基、苛性ソーダを加えれば鹸化が起きて石鹸ができるはず。ニキビだけで実験したかったけど、ちょっと量が少なすぎるわね……。仕方ないからオリーブ油を足しましょうか」
セーナは顔中のニキビを潰し、油脂を集めた。ほんのちょっぴりの量ではあるが、マッドサイエンティストとしてはここが重要らしい。自らのニキビを原料として作った石鹸で、ニキビを治す。これが面白い。
セーナ式洗顔石鹸の材料は以下の通りだ。
・オリーブ油
・ラベンダー精油
・ニキビ脂
・苛性ソーダ
・水
オリーブ油は森に自生していたオリーブを収穫し、絞って作ったものだ。日々の調理にもこれを使っている。香りづけのラベンダー精油も庭のラベンダーから抽出したものである。畑仕事と調合、市場への卸売りというルーチンでは時間が余るようになり、セーナは色々なものを手作りしていた。
苛性ソーダはこの家を譲り受けた時、大掃除用として村人がくれた残りを使う。危険な薬品であるため、普段は使うことなく棚の奥にしまっていたものだ。
「水に苛性ソーダを溶かしてと」
分量をはかり、ゆっくりと苛性ソーダを混ぜていく。
溶解熱によってボウルが熱を持ち始める。
「…よし、全部きれいに溶けたわ。これを人肌まで冷ましましょう」
冷ましている間に、ちょうどいい木材を探して石鹸の型枠を作った。
そしてオリーブ油とニキビ脂、ラベンダー精油を混合し、こちらは人肌まで温めていく。
「オイル混合液に苛性ソーダ水溶液をゆっくり注いでと。ここから根性ね」
2つを混合すると溶液が濁っていき、鹸化が始まる。
最低でも20分、ひたすら混ぜ続けなければならない。
◇
――――――2時間後。
「はぁ、はぁ、はぁ。失敗した、オリーブ油なんて使うんじゃなかった……」
セーナは未だとろみのつかない石鹸溶液を必死に混ぜている。
そして、オリーブ油をチョイスした己の選択を後悔していた。
苛性ソーダ水溶液と油脂を混ぜると石鹸ができる。この反応を「鹸化」というが、石鹸になるまでの時間、すなわち反応速度は油脂の種類によってかなり違う。
ちなみにオリーブ油はもっとも時間がかかるものだ。
「一番、肌に、よさそうだと、思ったから……はぁ、はぁ」
額には汗がにじみ、手首の痛みも限界が近い。
「ココナッツ油にすればよかった」
ぽつりとつぶやくセーナ。
今更後悔しても遅い。作り直すにしても、もうニキビ脂の在庫がない。何日か待てばまた収穫できるかもしれないが、うっかり治ってしまったら次のチャンスはいつになるか分からない。
この2時間を無駄にするのも癪なので、彼女は前に進むことを決意した。
◇
セーナ式洗顔石鹸は、乾燥を含め1か月をかけて無事に完成した。
暗緑色をした四角いそれは、控えめな泡立ちであるものの、ラベンダーの香りが心地よい。洗い上がりはさっぱりしていて、夏にぴったりの石鹸に仕上がった。
たくさん作った石鹸を保存箱に収納していると、サルシナが素材をもらいに訪ねてきた。
彼女はそれに興味を持ち、渋るセーナを説得して一つ持ち帰ったのはここだけの話である。
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