「『新娘シンニャン』って確か……北で怪談話みたいに噂されてる、暗殺者集団の名前じゃなかったか?」

「正確に言えば、その暗殺者集団の頭目が新娘シンニャン。集団自体は『花轎ファジャオ游行ヨウハン』って呼ばれているらしい」


新娘シンニャン』……南の言葉で言えば『花嫁』だ。『花轎ファジャオ游行ヨウハン』はさしずめ『花嫁行列』と言ったところか。


「存在自体は知ってるが、……そいつがどうかしたのか?」


 噂にいわく、その集団は夜闇とともに現れる。


 名前の通りに花嫁行列のような紅衣に身を包んだ一団で、彼らは一台の花轎かきょうを運んでいる。その花轎の中には、花嫁装束に身を包んだ少女が一人。


 しかしその少女は花婿にすために花轎に乗っているわけではない。花轎を運ぶ彼らも、花嫁を届けるために行進するのではない。


 彼らは暗殺対象者の元に死を届けるために夜闇を行く。死を運ぶ花嫁が新郎暗殺対象と接触すれば、花嫁が頭からかずいた紅蓋頭よりも紅い鮮血の雨がそこに降る。


 彼らが行く先には闇しかなく、彼らが行き過ぎた後には血で染め上げられた朱殷しゅあんの道が描かれる。遭遇した瞬間にだけ鮮やかな紅が目に映るだろうが、そのあかを見た者の命はない。


 そんな噂で語られている暗殺者、……それがれんの知る『新娘シンニャン』だ。


 ──いやでもな? 目立たない方が仕事の成功率が上がるであろう暗殺者が、わざわざ何でそんな目立つような真似をするんだって話なんだよな。


 忍ぶ気もなく、そんな大仰な装備を用意した上で依頼を受けて集団で殺しを行うならば、名乗る称号は『殺し屋』なり『傭兵団』の方が正しいのではないだろうかと蓮は思う。


 そうでありながら『新娘シンニャン』が暗殺者とうたわれているのは、ひとえにその目撃情報の少なさと確実性だ。


 花轎に乗せられた花嫁姿の暗殺者と紅一色の従者の噂はまことしやかに北域でささやかれ、実際に『シンニャン』によって潰されたという組織や村はいくらでも出てくるのに、『シンニャン』の姿をこの目で見たという生存者の話はとんと聞かない。


 ゆえに『新娘シンニャン』は暗殺者という実在の存在としても、怪談話という非実在の存在としても広く語られている。


「もたらされた一報に曰く」


 己が持つ情報を脳内で転がす蓮を他所よそに、游稔ゆうじんは窓枠から腰を上げると卓へ歩み寄った。その片隅に置かれていた灰吹に煙管キセルの雁首を添えた游稔は、カンッと強く煙管を叩きつけると燃殻を灰吹の中に落とし込む。


「『花轎ファジャオ游行ヨウハン』と思わしき一団が、死体で見つかったそうだ」

「は?」


 思わぬ話に、蓮は気が抜けた声を上げていた。そんな蓮に構わず、游稔は灰を追い出した煙管に新たな煙草を詰める。


「本物の花嫁行列じゃなかったのか?」

「見つかった場所は、北陰門ほくいんもんから北におよそ二十五里地点。珊姻さんいん街道、および嬰姻えいいん街道において、姻寧いんねいの次の宿営地である未月みげつからはおよそ南西四十里の地点だそうだ」


 北陰門は姻寧の北を仕切る城郭に設けられた正門で、姻寧における北端を示す。


 姻寧は天衝てんしょう連山の南端に位置しているため、北陰門を抜けて向こう十里は山と山に挟まれた街道を行くことになる。


 峡谷を利用した街道を抜け、徐々に視界が開け始めた辺りでまず街道は二手に分かれ、大きく西へ曲がる街道が寸符すんふと姻寧を結ぶ寸姻すんいん街道となる。珊譚さんたんと姻寧を結ぶ珊姻街道、嬰宝えいほうと姻寧を結ぶ嬰姻街道が分岐するのは、姻寧から見て北北東に位置する天衝連山北沿いの街、未月を過ぎてからだ。


「北陰門から北に二十五里、未月から南西四十里って……」


 脳内に地図を広げてみた蓮は、思わず眉をひそめた。


「その辺りは、本当に何もない荒野が広がってるんじゃないのか?」

「そ。街もなければ道もない」

「むしろ何でそんな場所に死体が転がってるって分かったんだ?」

「放牧に出ていた人間が、とある地点に普段見ない鳥が群がってるのを不審に思ったらしくて。仲間を連れて確認に行ったら、打ち捨てられた花轎と、紅衣らしき物を着た死体八人分を見つけたってわけ」


 それが昨日の夕方の話であるらしい。腰を抜かした発見者は縁者が住む未月に駆け込み、未月にいる霜天そうてん商会関係者が早馬を出して游稔に報を飛ばしてきたのだという。


「確かに、何もない場所に、普通の嫁入り行列がいるとは思えないが……」


『それだけでその一団が花轎ファジャオ游行ヨウハンであると断定するのは早計ではないか』と蓮は視線で訴える。


 そんな蓮に游稔は『まぁ聞きなって』と言わんばかりの笑みを浮かべると、煙管の先を火入れの中の炭にかざした。


「結論から言うと、見つかった死体は成人男性のものばかりで、肝心な花嫁らしき死体はなかったそうだ」


 チリチリと熱にあぶられた煙管が微かに音を奏でる。その音に笑みを浮かべるかのように目元を緩めた游稔は、そっと舌先に載せるように言葉を紡いだ。


「花轎の中に残されていたのは、成人女性にちょうど良さそうな大きさの棺桶と、甘い香りを漂わせる香炉。その香炉で焚かれるために用意されたのであろう、大量の忘れまつ


 その言葉に、蓮は思わず息を詰めた。


 蓮の脳裏をぎったのは、雨が降りしきる暗い路地裏に打ち捨てられるように倒れていた麗華リーファの姿だ。


 返り血にまみれた花嫁装束。濃く香る忘れ茉莉花の香り。成人男性よりも女性に近い華奢な体。


 記憶を失った、少女とも見紛う美貌の暗殺者。


 ──まさか……


 ふと湧いた予感は、酷く整合性が取れているような気がした。


 だというのになぜか、『整合性が取れている』と納得できるのと同じくらい、現実味が湧かない。


「ちなみに香炉は、花轎から放り出されて割れていたそうだ。幸いなことに火が消えてしばらく経過した後だったらしくて、新たな中毒者は出ていない。割れていなければ相当高価な香炉だったんじゃないか、という見立ても聞いたよ」


 蓮が纏う空気を変えたことに、游稔は恐らく気付いたのだろう。火が移った煙管を片手に窓辺に戻ってきた游稔は、スッとすがめた目を蓮に向ける。


「何か知ってるって顔だね?」


 游稔相手に隠し事をしようとしても無駄だ。帯びている役割柄、隠し事は得意であるはずなのだが、游稔相手にはそれが全て筒抜けになってしまう。


 元より、今回のことを游稔に隠し立てする理由が蓮にはない。


「あいつを拾った時に」


 何と切り出すべきかを一瞬迷ってから、蓮は唇を開いた。


「血塗れの花嫁装束を着ていた。全身に暗器を仕込めるように改造された、仕立てのいい、かなり高価そうな花嫁装束だった」


 蓮の言葉に游稔は無言のまま瞳を細める。スウッと游稔が息を吸い込む音と、それによって煙草がチリチリと燃え上がる音が、不意に訪れた沈黙の中に落ちていった。


「その花嫁装束、どうしたの?」

「『ホン』の連中に解析洗濯を頼みたくて持ってきた。ちょうど途中で顔を合わせたから、もう預けてある。金櫻きんようが引き受けてくれたから、そのうち結果が上がってくるだろ」


 蓮の言葉に游稔は無言のまま目をすがめる。この場合の沈黙は肯定だ。


 霜天商会には、『表』と『あわい』と『裏』がある。商会内では『バイ』『ホン』『ヘイ』と呼び分けられている区分だ。それぞれに『幇主ダーレン』と呼ばれるカシラを置き、その三人の上に『会長ホアンシャン』である游稔が立っている。


 芸妓商売が主となっているのが『ホン』だが、彼女達はただ春をひさぎ、夢を見せるだけの存在ではない。


 芙蓉ふようを『姐様ダーレン』と仰ぐ彼女達の本領は情報戦だ。その美しさで相対する者から情報を引き出し、睦言むつごととともに商会が利する情報を吹き込む。


 それだけではなく、商人が持ち込んだ品の真贋判定、現場に残された死体の検視、遺留物からの犯人特定など、並の警邏をしのぐ捜査能力を持つ特殊技術者というのが彼女達の実態だ。『バイ』も『ヘイ』も、裏から彼女達に支えられている。


「……僕がこの話を君に振ったのはね」


 蓮の表情は、蓮が思っていた以上に厳しく張り詰めていたのだろう。ジッと蓮の横顔に視線を注いでいた游稔はユルユルと唇を開く。


「『花轎ファジャオ游行ヨウハン』の頭目である『新娘シンニャン』が、この姻寧に落ち延びているかもしれないっていう可能性を考えたからなんだ」


 游稔の発言に、蓮は改めて游稔へ視線を据えた。そんな蓮に游稔は淡々と言葉を並べていく。


「花轎の担ぎ手は恐らく現場で全員死んでる。だけど、肝心の花嫁役の死体は、どれだけ探しても見つからなかったらしいんだ」

「そういえば、見つかった死体の死因は分かってるのか?」

「全員、急所を刃物で突かれるなり斬りつけられるなりして死んだみたいだね。どいつもこいつも一撃でられていたみたいだ」


 ──どういうことだ?


 負った傷が致命傷ばかりであるということは、仕事でしくじって敗走した末に力尽きて死んだというわけではないのだろう。死体が見つかった現場で第三者から襲撃を受けたか、あるいは内部分裂を起こして殺し合ったか、といった線が濃厚か。


「直近で『花轎ファジャオ游行ヨウハン』が仕事をした形跡もないんだ。……まぁ、こっちに関してはまだ現場が確認されていないだけっていう可能性もあるけどね」


 蓮が何を疑問に思っているのか察したのだろう。唇の端をつり上げた游稔が言葉を付け足す。


「あるいは、未月か姻寧の現場に向かう途中だったのかも」

「お前が気にしてるのは、どちらかと言えばその線か」

「まぁね。これでも姻寧で一番大きなマトになるっていう自覚はあるから」


 何らかの形で壊滅状態におちいった『ファジャオヨウハン』だが、頭目である『シンニャン』だけは生き延びることができた。一人残された『シンニャン』は、当初の目的を果たすべく、一人姻寧に潜入することに成功する。


 ──しかしそこで力尽き、記憶もなくし、俺に拾われることになったってか?


 筋が通っているようで違和感しかない。


 恐らくその違和感の素は、先程游稔と相対した麗華リーファが、一切殺意を見せることがなかったことにあるのだろう。


 記憶をなくしていても、蓮に対してとっさにあれだけの動きが取れたのだ。暗殺者としての本質は変わることなく麗華リーファの中にある。


 そんな麗華リーファが記憶を失ったごときで、標的への殺意まで忘れるものだろうか。


 ──俺は……少なくとも、そんなことにはならなかった。


 游稔の前に引き出された麗華リーファは、見目よりも幼い、頑是ない子供のようだった。親とはぐれた迷い子が、助けの手を差し伸べる大人に必死に事情を説明しているような。そんなつたなさと、不器用な誠実さ、真っ直ぐさがリーファにはあった。


 ──そうだ、子供だ。


 そんな考えが胸中に浮かんだ瞬間、何かがパチリと蓮の中ではまる音が響く。


 ──無気力なわけでもなけりゃ、無感情なわけでもない。見目と境遇から推測できる以上に、あいつは無垢な子供なんだ。


 ついでに麗華リーファは蓮を己の庇護者と目している節もある。だから蓮の言動に素直に従うし、蓮よりも目上の存在だとすぐに分かる游稔に殺意を向けるような真似も……『反発』に分類される行動も取らなかったのだろう。


 ──暗殺者のくせして。……普通、拾っただけでそこまでなつくか?


「君を呼んだ時点では、ただ『警戒しといてね』って伝えるだけのつもりだったんだけども」


 考えを転がしていた蓮は、游稔の言葉にハッと我に返る。対する游稔は窓枠に腰を預け、外へ視線を向けていた。


「まさかいかにもそれっぽい子を、君が先に拾ってたとはねぇ」

「今のうちに殺すか?」


 スルリと出てきた言葉には、躊躇ためらいも震えもなかった。そのことに蓮は無意識のうちに安堵している自分に気付く。


 忘れ茉莉花による禁断症状は、想像を絶する痛みを肉体に与える。人によっては発狂することもあるし、暴れて周囲を巻き込む危険性も高い。


 そういった危険人物の処断は、『』が請け負う仕事だ。他にも更生の意思がない乱用者や薬の売人、回復の見込みが持てない末期常用者の始末も『仕事』に含まれる。


 黒社会における『商会』の仕事を請け負うのが『ヘイ』であり、その頭の地位にいるのが『大兄ダーレン』と呼ばれる蓮だ。街の治安維持、商会の安全保障を武力面で担う『ヘイ』は、必要があれば街の安寧を脅かす存在の暗殺も担う。


 ──麗華リーファの容態は、今のところ安定しているように見える。だがその安定期も、いつまで続くかは分からない。


 失われた記憶が戻らない可能性だってないわけではない。何をきっかけに暗殺者としての麗華リーファが牙を剥くかも分からず、ここに流れてきた理由も不明であるならば、商会の安全のためにも麗華リーファは今のうちに殺しておくべきだろう。


 それが『ヘイ』の幇主ダーレンである蓮の立場からして妥当な見解であるはずだ。


 だというのになぜか、蓮の心の奥底は己の発言にわずかに毛羽立つような不快感を覚えている。


 そんな蓮の耳の奥によみがえるのは、サァサァと降る雨の音と、かすれたささやき声だ。


『あい、たい』


 ──誰に?


「まぁ、それも一手ではあるけども」


 記憶の中の声に問いを向けた瞬間、蓮の思考は游稔の声によってさえぎられた。


「個人的には、あの子が本物の『新娘シンニャン』であるならば、商会に迎え入れたいんだよね」

「はぁ?」

「同じにおいがする。君を拾った時と」


 思いもよらない游稔の発言に蓮は気の抜けた声を上げる。そんな蓮を見上げた游稔は、限られた人間にしか見せない砕けた雰囲気で笑っていた。


 悪戯いたずらめいたその笑みに、蓮は思わず顔をしかめる。こういう顔をしている時、游稔は大概ろくでもないことしか言わない。いや、今回はすでに発言済みである分、余計に性質たちが悪い。


「記憶全損の暗殺者。今死ぬ以上の地獄を見ても、生にすがりつきたい理由ワケがある。……いいね、とまったく一緒で」

「……あいつは自分の名前と出身地を覚えてた。俺はそこも失った」

「つまり、あの子の方が状況的にはマシとも言える」


 蓮としては『一緒にするな』という部分を言いたかったのだが、游稔はそれを理解した上で都合のいい部分だけを混ぜ返す。


 だが游稔が口にしたのは正論と言えば正論だ。『あの子よりも酷い状態だった君がここまで上手くやれているんだ。あの子が上手くやれない理由は、現状見つからないんじゃない?』と游稔は言いたいのだろう。


「どうやら君は、僕が知っている以上にあの子の『理由』を知っていて、ほだされているみたいだし?」

「絆されてなんか……」

「どのみち君に殺せなきゃ、この姻寧であの子を殺せる人間はいない。君の配下につけるから、監視よろしく」


 蓮が言葉に困っている間に游稔は勝手に話をまとめてしまった。


 この姻寧において、『王』たる游稔の決定は絶対だ。意見することは許されるが、逆らうこと、従わないことは許されない。


 その『王』の決定が、蓮の上に降りかかる。


「いいね? 蓮幇主ダーレン。あの子を商会の新入りとして面倒を見てあげて。それでもしも」


 そこまでを柔和な笑みとともに紡いだ游稔は、不意にストンと全ての表情をかき消した。


「あの子が『双狼黒蓮』に噛み付くような不届者ならば、『双狼』の名にかけて始末しろ」


 その絶対の命令に。


 蓮は一度溜め息をこぼしてから、小さく『是』と囁くのだった。

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