肆
「『
「正確に言えば、その暗殺者集団の頭目が
『
「存在自体は知ってるが、……そいつがどうかしたのか?」
噂に
名前の通りに花嫁行列のような紅衣に身を包んだ一団で、彼らは一台の
しかしその少女は花婿に
彼らは暗殺対象者の元に死を届けるために夜闇を行く。死を運ぶ花嫁が
彼らが行く先には闇しかなく、彼らが行き過ぎた後には血で染め上げられた
そんな噂で語られている暗殺者、……それが
──いやでもな? 目立たない方が仕事の成功率が上がるであろう暗殺者が、わざわざ何でそんな目立つような真似をするんだって話なんだよな。
忍ぶ気もなく、そんな大仰な装備を用意した上で依頼を受けて集団で殺しを行うならば、名乗る称号は『殺し屋』なり『傭兵団』の方が正しいのではないだろうかと蓮は思う。
そうでありながら『
花轎に乗せられた花嫁姿の暗殺者と紅一色の従者の噂はまことしやかに北域で
「もたらされた一報に曰く」
己が持つ情報を脳内で転がす蓮を
「『
「は?」
思わぬ話に、蓮は気が抜けた声を上げていた。そんな蓮に構わず、游稔は灰を追い出した煙管に新たな煙草を詰める。
「本物の花嫁行列じゃなかったのか?」
「見つかった場所は、
北陰門は姻寧の北を仕切る城郭に設けられた正門で、姻寧における北端を示す。
姻寧は
峡谷を利用した街道を抜け、徐々に視界が開け始めた辺りでまず街道は二手に分かれ、大きく西へ曲がる街道が
「北陰門から北に二十五里、未月から南西四十里って……」
脳内に地図を広げてみた蓮は、思わず眉をひそめた。
「その辺りは、本当に何もない荒野が広がってるんじゃないのか?」
「そ。街もなければ道もない」
「むしろ何でそんな場所に死体が転がってるって分かったんだ?」
「放牧に出ていた人間が、とある地点に普段見ない鳥が群がってるのを不審に思ったらしくて。仲間を連れて確認に行ったら、打ち捨てられた花轎と、紅衣らしき物を着た死体八人分を見つけたってわけ」
それが昨日の夕方の話であるらしい。腰を抜かした発見者は縁者が住む未月に駆け込み、未月にいる
「確かに、何もない場所に、普通の嫁入り行列がいるとは思えないが……」
『それだけでその一団が
そんな蓮に游稔は『まぁ聞きなって』と言わんばかりの笑みを浮かべると、煙管の先を火入れの中の炭にかざした。
「結論から言うと、見つかった死体は成人男性のものばかりで、肝心な花嫁らしき死体はなかったそうだ」
チリチリと熱に
「花轎の中に残されていたのは、成人女性にちょうど良さそうな大きさの棺桶と、甘い香りを漂わせる香炉。その香炉で焚かれるために用意されたのであろう、大量の忘れ
その言葉に、蓮は思わず息を詰めた。
蓮の脳裏を
返り血に
記憶を失った、少女とも見紛う美貌の暗殺者。
──まさか……
ふと湧いた予感は、酷く整合性が取れているような気がした。
だというのになぜか、『整合性が取れている』と納得できるのと同じくらい、現実味が湧かない。
「ちなみに香炉は、花轎から放り出されて割れていたそうだ。幸いなことに火が消えてしばらく経過した後だったらしくて、新たな中毒者は出ていない。割れていなければ相当高価な香炉だったんじゃないか、という見立ても聞いたよ」
蓮が纏う空気を変えたことに、游稔は恐らく気付いたのだろう。火が移った煙管を片手に窓辺に戻ってきた游稔は、スッとすがめた目を蓮に向ける。
「何か知ってるって顔だね?」
游稔相手に隠し事をしようとしても無駄だ。帯びている役割柄、隠し事は得意であるはずなのだが、游稔相手にはそれが全て筒抜けになってしまう。
元より、今回のことを游稔に隠し立てする理由が蓮にはない。
「あいつを拾った時に」
何と切り出すべきかを一瞬迷ってから、蓮は唇を開いた。
「血塗れの花嫁装束を着ていた。全身に暗器を仕込めるように改造された、仕立てのいい、かなり高価そうな花嫁装束だった」
蓮の言葉に游稔は無言のまま瞳を細める。スウッと游稔が息を吸い込む音と、それによって煙草がチリチリと燃え上がる音が、不意に訪れた沈黙の中に落ちていった。
「その花嫁装束、どうしたの?」
「『
蓮の言葉に游稔は無言のまま目をすがめる。この場合の沈黙は肯定だ。
霜天商会には、『表』と『あわい』と『裏』がある。商会内では『
芸妓商売が主となっているのが『
それだけではなく、商人が持ち込んだ品の真贋判定、現場に残された死体の検視、遺留物からの犯人特定など、並の警邏を
「……僕がこの話を君に振ったのはね」
蓮の表情は、蓮が思っていた以上に厳しく張り詰めていたのだろう。ジッと蓮の横顔に視線を注いでいた游稔はユルユルと唇を開く。
「『
游稔の発言に、蓮は改めて游稔へ視線を据えた。そんな蓮に游稔は淡々と言葉を並べていく。
「花轎の担ぎ手は恐らく現場で全員死んでる。だけど、肝心の花嫁役の死体は、どれだけ探しても見つからなかったらしいんだ」
「そういえば、見つかった死体の死因は分かってるのか?」
「全員、急所を刃物で突かれるなり斬りつけられるなりして死んだみたいだね。どいつもこいつも一撃で
──どういうことだ?
負った傷が致命傷ばかりであるということは、仕事でしくじって敗走した末に力尽きて死んだというわけではないのだろう。死体が見つかった現場で第三者から襲撃を受けたか、あるいは内部分裂を起こして殺し合ったか、といった線が濃厚か。
「直近で『
蓮が何を疑問に思っているのか察したのだろう。唇の端をつり上げた游稔が言葉を付け足す。
「あるいは、未月か姻寧の現場に向かう途中だったのかも」
「お前が気にしてるのは、どちらかと言えばその線か」
「まぁね。これでも姻寧で一番大きなマトになるっていう自覚はあるから」
何らかの形で壊滅状態に
──しかしそこで力尽き、記憶もなくし、俺に拾われることになったってか?
筋が通っているようで違和感しかない。
恐らくその違和感の素は、先程游稔と相対した
記憶をなくしていても、蓮に対してとっさにあれだけの動きが取れたのだ。暗殺者としての本質は変わることなく
そんな
──俺は……少なくとも、そんなことにはならなかった。
游稔の前に引き出された
──そうだ、子供だ。
そんな考えが胸中に浮かんだ瞬間、何かがパチリと蓮の中ではまる音が響く。
──無気力なわけでもなけりゃ、無感情なわけでもない。見目と境遇から推測できる以上に、あいつは無垢な子供なんだ。
ついでに
──暗殺者のくせして。……普通、拾っただけでそこまで
「君を呼んだ時点では、ただ『警戒しといてね』って伝えるだけのつもりだったんだけども」
考えを転がしていた蓮は、游稔の言葉にハッと我に返る。対する游稔は窓枠に腰を預け、外へ視線を向けていた。
「まさかいかにもそれっぽい子を、君が先に拾ってたとはねぇ」
「今のうちに殺すか?」
スルリと出てきた言葉には、
忘れ茉莉花による禁断症状は、想像を絶する痛みを肉体に与える。人によっては発狂することもあるし、暴れて周囲を巻き込む危険性も高い。
そういった危険人物の処断は、『
黒社会における『商会』の仕事を請け負うのが『
──
失われた記憶が戻らない可能性だってないわけではない。何をきっかけに暗殺者としての
それが『
だというのになぜか、蓮の心の奥底は己の発言にわずかに毛羽立つような不快感を覚えている。
そんな蓮の耳の奥に
『あい、たい』
──誰に?
「まぁ、それも一手ではあるけども」
記憶の中の声に問いを向けた瞬間、蓮の思考は游稔の声によって
「個人的には、あの子が本物の『
「はぁ?」
「同じにおいがする。君を拾った時と」
思いもよらない游稔の発言に蓮は気の抜けた声を上げる。そんな蓮を見上げた游稔は、限られた人間にしか見せない砕けた雰囲気で笑っていた。
「記憶全損の暗殺者。今死ぬ以上の地獄を見ても、生に
「……あいつは自分の名前と出身地を覚えてた。俺はそこも失った」
「つまり、あの子の方が状況的にはマシとも言える」
蓮としては『一緒にするな』という部分を言いたかったのだが、游稔はそれを理解した上で都合のいい部分だけを混ぜ返す。
だが游稔が口にしたのは正論と言えば正論だ。『あの子よりも酷い状態だった君がここまで上手くやれているんだ。あの子が上手くやれない理由は、現状見つからないんじゃない?』と游稔は言いたいのだろう。
「どうやら君は、僕が知っている以上にあの子の『理由』を知っていて、
「絆されてなんか……」
「どのみち君に殺せなきゃ、この姻寧であの子を殺せる人間はいない。君の配下につけるから、監視よろしく」
蓮が言葉に困っている間に游稔は勝手に話をまとめてしまった。
この姻寧において、『王』たる游稔の決定は絶対だ。意見することは許されるが、逆らうこと、従わないことは許されない。
その『王』の決定が、蓮の上に降りかかる。
「いいね? 蓮
そこまでを柔和な笑みとともに紡いだ游稔は、不意にストンと全ての表情をかき消した。
「あの子が『双狼黒蓮』に噛み付くような不届者ならば、『双狼』の名にかけて始末しろ」
その絶対の命令に。
蓮は一度溜め息をこぼしてから、小さく『是』と囁くのだった。
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