第63話

「鹿乃子さん、大丈夫ですか」


漸の声で意識が次第に戻ってくる。

ようやく焦点があった目に映った漸は、酷く心配そうだった。


「大丈夫ですよ」


漸にキスしたいのに、身体が動かない。

それほどまでにぐったりと、疲れていた。


「あー、えと」


「すみません、少々無理をさせましたね」


代わりに漸の方からちゅっ、とキスしてくれる。

それだけで幸せで、ついへへっとか笑っていた。


「お風呂、もう一度、入るでしょう?」


「えっ、あの、でも」


戸惑う私をよそに、まだ起き上がれない私を漸がお姫様抱っこする。


「私が入れて差し上げます」


「あっ、えっと。

……お願いします」


汚れた身体は洗ってさっぱりしてから寝たい。

そうなると、……そうなるわけで。


「……なんか、えっちするより恥ずかしいです」


「そうですか?」


どうにか椅子に座れるまでは回復したものの、それでも危なっかしいので支えながら漸が洗ってくれる。


……うん。

寝室より明るいから、というのを除いても、恥ずかしい。


「はい、おしまいです」


泡を流してもらい、一緒に湯船に浸かる。


「いいにおーい」


「気に入ってくれましたか?」


「はい」


乳白色のお湯は、少し甘めの匂いがした。


「それはよかったです」


「んっ」


後ろから私を抱き締めた、漸の唇が首筋へ触れる。

のはいい。


……いやよくないが。


それよりも。


「あのー、漸?」


「なんですか」


ふふっ、とか笑ってキスしてくるけれど、もしかして誤魔化す気ですか?


「そのー、……当たってるんですけど」


「バレましたか」


いや、バレない方がおかしいと思う。

だってあれが腰に当たっているんだから。


「えーっと、確認しますが。

……あれ、飲んだんですか」


なら、わかる。

そこまで効き目があるものなのかは知らないけど。


「いいえ。

念のために買いましたが、必要なかったですね」


「えっと……」


じゃあ、なんで?


「鹿乃子さんが悪いんですよ?

とっても美味しそうな身体をしているので、身体を洗っているうちにまた、ムラムラしてきました」


「あっ」


耳朶を甘噛みされ、声が漏れる。


「そんなわけでもう一度、いいですか?」


なんて漸がいたずらっぽく笑って――。


「……鹿乃子さん」


「はひーっ?」


ぐったりと疲れて、漸にもたれかかる。


「もう一度、身体を洗ってあがりましょうか。

そろそろ、のぼせそうです」


「……そう、ですね」


てか、誰のせいだ!?

なんてことは言わないでおく。

私も乗せられたとはいえ、途中からその気だったし。


「あつ……」


リビングのソファーに座り、手で顔を仰ぐ。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


すぐに漸が、炭酸水のボトルを渡してくれた。


「漸ってもしかして、素では〝俺〟になるんですか……?」


冷たい炭酸水が身体に染みる。

前は演技だと思っていたが、あれでそんな余裕はないはず。

なら感情が昂ぶったときにだけ素の自分が出ているのかも。


「どうなんでしょう?

でも鹿乃子さんの前だと……」


隣に座った漸は眼鏡を外し、その長い指先で私の顎を引っかけて視線をあわせさせた。


「……今日は俺に抱かれてくれてありがとうな、鹿乃子」


じっと私を見つめる、レンズの奥の瞳は怪しく光っていて、一度下がった体温はまた一気に上がる。


「……とか言いたくなりますね」


ふふっと小さく笑って眼鏡をかけた、漸の纏う空気はいつものものに戻っていた。


「お嫌いでしたらそうならないように気をつけますが」


「あ、えと。

……大丈夫、です」


いつもの漸も好きだけど俺様モードの漸も好きだ。

それにきっとあれは私の前だけだろうし、だとしたら最高だ。


「そうですか。

……私はシーツを買えてきますので、少し待っていてくださいね」


「えっ、そんなの私が……!」


慌てて立ち上がろうとしたものの、足がふらついてすぐにぽすっ、とソファーに座っていた。


「二度も無理をさせてしまいましたからね、私がやります」


「……お願いします」


ふふっ、と漸が笑い、さらに身体が熱くなる。

今度は素直に頼み、ボトルに口をつけた。


「染みる……」


しかし、不能かもしれないとかいったい、なんだったんだろう?

二回もしたんだよ、二回も。

しかももう一度、身体を洗いながら、またちょっとあれだったし。


「嘘をついてるとは思わないけどさー」


あんなに漸は不安そうだったのだ。

だから、あんなドリンクまで買って。

なのに、あれだ。


「まー、いいや……」


ほてりが治まるとともに眠気が襲ってくる。


「……だから、寝ちゃダメだって……」


けれど瞼は重力に逆らえず、もうすぐくっつきそうだ。


「お待たせしました。

ベッドへ……」


漸の声が聞こえてきて、返事をしたいけれどもう声が出ない。


「随分、無理をさせてしまいましたもんね。

おやすみなさい、私の可愛い鹿乃子さん」


ちゅっ、と優しい口付けを最後に、完全に眠りに落ちた。

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