第61話

「仲良くなー!」


ぶんぶん手を振って駿平さんは会計へと行き、私たちは店を出た。

再び車に乗って実家に向かったものの、漸はさっきから黙っている。


「……漸。

怒ってます、よね?」


「別に怒ってなどいないですよ」


なんでそんな嘘をつくかなー?

その無表情、能面モードは怒っているときじゃないですか。


「駿平さんにヤキモチとか妬いています?」


「別にヤキモチなど妬いていないですが」


あー、これは、図星を指されて意地になっちゃってるなー。


「駿平さんは子供にありがちな、憧れのお兄さんだっただけですよ。

あの頃だってそれだけですし、もちろん、いまは恋愛感情どころか憧れもありません」


「……はぁーっ」


漸の口からため息が落ちていく。

信号で止まったのもあって、ハンドルにがっくりと項垂れかかった。


「あたまではわかっているんですが。

鹿乃子ちゃん、などと親しげに呼んでいたので、ついかっとなりました」


漸の視線は横断歩道を渡る、ベビーカーを押した夫婦に向いている。


「ダメですね、本当に」


信号が青に変わり、身体を起こして漸はアクセルを踏み込んだ。


「漸がヤキモチ妬きなのはわかっているので、別にかまいません。

でも、黙って怒らないでちゃんと話してください。

それだけは、約束して」


なにも言わずに溜め込まれるのは嫌だ。

きっとそういうのが降り積もってのちのち、取り返しのつかないことになる。

だから理由はちゃんと教えてほしい。


「そうですね、約束します」


少し機嫌がよくなったのか、漸の唇が僅かに緩んだ。


さほど時間がたたずに戻ってきた私たちを、祖父が迎えてくれる。


「なんでぇ、忘れ物でもしたのか」


そう言いつつも、祖父の顔はだらしなく崩れていた。


「晩ごはんの買い物に行ったら漸が、実家にも差し入れしようってカニ買ってくれて」


「はい、どうぞ食べてください」


カニの箱を漸が差しだす。


「カニか」


途端に祖父の目が、キランと輝いた。

祖父はカニが、大好きなのだ。


文生ふみお、文生ー!

漸がカニをくれたぞ!」


「あらあら、そうなの?」


祖父が家の奥へと叫び、祖母がスリッパをぱたぱたさせながら出てきた。


「今年はまだ漁が解禁されてから食ってねぇからな。

初物だ」


「漸さん、すみませんねぇ。

この人、カニに目がないもんだから。

よかったらあがっていって」


祖父からカニの箱を受け取り、祖母はまた家の中へと戻っていく。


「あがれ、あがれ。

一緒にメシ、食っていけばいい」


もう祖父はその気だし、できればそうしたいところだが、今日はそうはいかないのだ。


「あー、……今日は、帰る」


見上げて、目のあった漸がにっこりと笑って頷いた。


「今日は少し、都合がありまして。

申し訳ありませんが、失礼させていただきます」


「なんでぇ」


祖父は残念そうだが、もう随分おあずけを食らっていたのだから、……ね?

「またカニを差し入れさせていただきますね」


「カニならいくらでも大歓迎だ!」


上機嫌の祖父に見送られて実家をあとにした。


家に帰って車から荷物を降ろす。

その中に気になるものがひとつ。

漸がドラッグストアで買ったレジ袋の中に、あれと一緒に【スッポンまむしドリンク】【絶倫王】なんて文字の躍るパッケージが見えるんだけれど……。

そんなに不安なのかな。

もし、私とでもそうだったとしても、漸を責めたりしないのに。


晩ごはんの準備はふたり、キッチンに並んでした。

そういえばこの家で、漸とこうやって料理をするのは初めてかも。

いつもだいたい、漸が帰ってくるのにあわせて準備をしているか、実家で食べるかだ。


「なんだか凄く、新婚っぽいですね」


私の隣にいる漸からは小さく鼻歌が出ている。

包丁を持たせるのはなんとなく怖くて、ハサミでできるカニの解体をお願いした。


「そうですね」


店での仕事がなくなり、東京行きが減れば、こういうのが当たり前になるんだろうか。

そうなったらいいな。


準備もできたのでリビングのテーブルの上にカセットコンロを置き、ふたりだけの鍋パーティを開始した。


「カニです……!」


本当に嬉しそうに、漸はカニを食べている。

のはいいが、カニって無言になっちゃうんだよね。


「やっぱりカニは美味しいです。

まさかスーパーで、あんなに簡単に買えるなんて思いませんでした……」


お腹いっぱい食べ、食後のコーヒーを飲みながら漸はしみじみと言っているが……買えるよね?

カニ。

スーパーで。


「金沢はいいです。

魚は美味しいし、カニも美味しいし」


「食べるものばかりですね。

天気の悪い日は多いし、湿度は高いし、それなりに大変ですよ」


いいことばかりあげる漸はちょっと可愛いが、厳しい部分だって知ってほしい。


「全部好きになりますよ。

それが、鹿乃子さんを育ててくれたものですから」


ちゅっ、と唇が重なった。

少しだけ顔は離れたものの、そのまま漸はじっと、私の目を見ている。


「……いまから。

鹿乃子さんを抱かせていただいてもいいですか」


「……なんですか、抱かせていただくって」


つい、ぷっ、と吹きだしていた。


「笑うなんてせっかくの空気が台無しです」


漸は不満そうだが、だっておかしいんだもの。


「せめて抱いていいですか、にしてください」


「でも私は、させていただくわけですし……」


「だから、させていただくって!」


そこまでへりくだる必要が?

私にはわからないけれど。


「じゃあ、漸。

……私を抱いていただけますか?」


「……鹿乃子さんは意地悪です」


拗ねながらも再び、唇が重なる。

私を抱き上げて、漸は立ち上がった。


「お風呂は一緒に入りますか?」


「あー……。

別で」


みるみる漸が萎んでいき、慌ててフォローする。


「ほら、それぞれの事前準備とかあるじゃないですか」


「事前準備ですか?」


少し考えた漸の顔が、ぱっと上がった。


「そうですね、それは大事です」


納得してくれたみたいで、ほっとした。

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