第60話
気持ちが落ち着いたので、晩ごはんの買い物に出た。
一週間、家を空けていたので冷蔵庫はほぼ空だ。
「ぜーん。
なに、食べますー?」
スーパーでふたり並んで買い物をすると、注目される。
ふたり揃って着物、しかも漸は私よりかなり年上。
仕方ないというものです。
「可愛い鹿乃子さんが作ってくれるものなら、なんでもいいですよ」
カートを押しながら、嬉しそうにへらっと笑われたって、困る。
「肉と魚はどっちがいいですかー」
しかしながら「なにが食べたい?」は選択肢になにがあるのかわからなくて答えに困るのだ、と訊いたこともあるので、少しずつ範囲を狭めていく作戦に出た。
「んー、魚ですかね。
こちらの魚に慣れると、東京の魚はいまいちで」
「なら、煮る、焼く、揚げるはどれがいいですか?」
話しながら魚売り場へと向かう。
スズキだといろいろ使えるからいいかなー。
「カニにしましょう!」
「……は?」
いきなり決定だと漸が小さく手を叩き、その顔を見る。
「私、よく考えたらこちらへ来て、まだカニを食べてないんですよ。
石川県といえば、カニが有名なのに」
漁が解禁されたばかりなので、店頭にはカニが並んでいた。
カニだけだとおかずにならないから、お鍋にしようか。
とか考えつつ、二杯くらいでいいかなと取りかけたが、視界の隅で見覚えのある手が箱ごとカニを持ち上げた。
「……え?」
「え?」
同じ一音を発し、仲良く顔を見あわせる。
「そんなにいらなくないですか?」
「これくらい豪快に買いたくないですか?」
いやいや、ふたりで二杯も贅沢かな、でも漸は堪能したいだろうしと二杯にしようとしたのだ。
でもその箱、六杯は入っていましたよね?
「えーっと……」
「あ、ご実家に差し入れしてもいいですね」
なんて戸惑う私をよそに、さらに漸がもうひと箱積む。
「……うん。
もーいいです……」
なんか、考えたら負けな気がしてきた。
それに漸にとって、これくらいはあまり負担じゃないわけだし。
あとは野菜と明日の朝ごはんを選び、会計を済ませる。
「ドラッグストアに寄ってもいいですか」
車に戻り、シートベルトを締めながら漸が訊いてきた。
「どこが具合でも悪いんですか」
東京で疲れたのかな。
なら、カニはやめておうどんとかにした方が……。
「あー、いえ。
その」
漸が私の耳もとへ口を寄せる。
「……――、買いたいので」
今日は抱くのだと宣言するかのようにその単語を言われ、ぼっ!と顔が火を噴いた。
「えっ、あっ、その」
「私は早く鹿乃子さんとの子供が欲しいんですが、式を挙げる前に妊娠となるとおじい様から……こ、殺される……」
みるみる漸は青くなっていき、しまいにはガタガタと震えだした。
あのお父さんですら冷たく切り捨ていたのに、私の祖父はよっぽど苦手らしい。
「ですから、ね」
「……はい」
これって今夜、ってことですよね?
ううっ、なんかハジメテのときみたいに緊張するー。
近くのドラッグストアに漸は車を入れた。
「あ、私は化粧品とか見ているので、買い物終わったら声をかけてください」
そそくさと別れようとしたものの、漸の手がそれを止める。
「なにを言っているんですか?
鹿乃子さんも一緒に使うものですから、一緒に選んだ方がいいに決まっているじゃないですか」
なんとも言えない気持ちになって無言で漸を軽く睨む。
漸の言うことは正論だ。
でも、恥じらいとかあるわけですよ、こちらには。
「あの、その、……恥ずかしい、ので」
小さな、小さな声で申告する。
それで納得してくれたのか、手を離してくれた。
「そうかもしれませんね。
なら、次からはネット通販で一緒に選びましょう」
うんうん、と頷きつつ売り場へ消えていく漸を見送りながら、はぁーっとため息が漏れた。
「一緒に、ってさ……」
理屈はわかるが、それだって恥ずかしいに決まっている。
「……まあ、人目がないからマシか」
とぼとぼと化粧品コーナーへ向かう。
私の経営状態はあんな感じなので、化粧品も当然、プチプラコスメを使っていた。
「あ、アイブローの予備、買っておかなきゃ。
アイシャドーも新しい色、欲しいな」
いつも買う、ブランドの棚の前に立ち、商品を選ぶ。
……と。
「鹿乃子ちゃん?」
漸ではない声に名前を呼ばれた。
「……はい?」
そちらへ顔を向けたら、見知った男性が立っている。
「あ、
出そうになった〝お兄ちゃん〟は飲み込んで言い直した。
「ひさしぶりだね、元気にしてた?」
相変わらず爽やかな笑顔で駿平さんは私へ話しかけてくる。
「ええ、はい」
どうして貴方がここに?
などと思ってもいいよね。
駿平さんは七月に結婚した、昔、憧れていたお兄さんだ。
勝五郎をお供にうろうろしていたような私が、人並みのレディに……になれたかどうかは微妙だが、まあおとなしくなったのは彼のおかげだといってもいい。
しかし駿平さんは県外に就職し、いまはそちらに奥さんと共に住んでいるはずだ。
「ちょっと用事で実家帰ってきたら、急に妻が熱出してさ。
鹿乃子ちゃん、どれが一番効くかわかる?」
真剣に彼は、薬を選んでいる。
「胃に優しいとかだとこの辺ですけど、効き目で選ぶとしたら……」
奥さんが大変なのに悪いが、微笑ましいな。
奥さんのために薬を買いくるとか。
「よし、決まった!
ありがとう、鹿乃子ちゃん!」
「鹿乃子さん、お待たせしました」
薬を決めて駿平さんが私に笑顔を向けるのと、買い物を終わらせた漸が来たのは同時だった。
「誰?」
「その、どなたですか……?」
ふたりの視線が私へと向かう。
「駿平さん、私の……旦那様になる、漸です。
漸、小さい頃にお世話になった駿平さんです」
ううっ、旦那様とか言うの、照れくさいよー!
「ああ!
鹿乃子ちゃんの旦那!
へえ、あの鹿乃子ちゃんが結婚か!
勝五郎連れて、町内を闊歩していた鹿乃子ちゃんが!」
「……鹿乃子さんが昔、お世話になったみたいで」
駿平さん、そこは黒歴史なので触れないでほしい……。
漸はといえば余裕を滲ませてにっこりと笑っているが、あれは絶対……怒っている。
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