第59話

次の日は実家へ、お土産を届けに行った。


「んで、東京はどうだったんだ?」


早速お土産を開け、揚げ最中をパリパリさせながら祖父が聞いてくる。


「……漸の家族が聞いた以上に最低だった」


漸の前でこんなことを言うのは悪いが、でも最低だった。


「漸が嫌だって言うのに、無理矢理結納させて好きでもない人と結婚させようとするんだよ!?

しかも、嫌がる漸にホストどころか男娼みたいな接客させてさ!

漸の家に行ったら、私にだけお茶すら出さないんだよ!?

すみませんね、それだけ相手にもしたくない人間で!

湯飲み投げつけられるし、殴られそうになったし。

バンバン、ゴリラみたいに机叩いて威嚇してくるしさ!

でもあとで動物園行ったら、ゴリラの方が社会的でイケメンだったから、ゴリラみたいとか思ったの、ゴリラにあやまったけど!」


一気に捲したてて喉が渇き、湯飲みのお茶を一息に飲み干す。


「なんだ鹿乃子!

殴られそうになったのか!

いますぐ東京行って俺が……うっ」


祖父が腰を浮かせた途端、ごきっ!ともうお約束的に腰が鳴った。


「じいさん、無理すんな」


父に支えられ、祖父がその場に横になる。

ほかの家族はみんな私の勢いに面食らっていたが、漸はひとり、おかしそうにくすくす笑っていた。


「ゴリラにあやまった、ですか。

確かに父より、ゴリラの方が上です」


笑いすぎて出た涙を、漸は眼鏡を浮かせて指の背で拭った。


「しっかし女に手を上げるような最低な人間なのかよ、漸の親は。

……いや、漸には悪いけどよ」


祖母が祖父の腰に湿布を貼る。

今日は軽かったみたいで、それでそろそろと祖父はまた身体を起こした。


「かまいませんよ、もう親ではありませんから。

戸籍は抜きましたので」


きっぱりと言い切り、漸が姿勢を正す。


「そこまで親と、縁を切りてぇのか」


「はい。

あの人たちと血が繋がっていると思うだけでおぞましいので、できることならこの血を全部、入れ替えてしまいたいくらいです」


漸の決意がわかったのか、祖父はそれ以上なにも言わなくなった。


「……まあ、俺たち職人を大事にしない人間だしな。

そういう人間と縁が切れて、よかったってことだな」


ぽつりと呟き、祖父はパリンと最中を囓った。


父と祖父にだけ話があると、漸たちは工房へと移動した。


「心配させるから、鹿乃子にだけは絶対に言うなって言われたんだけど」


母が新しいお茶を淹れてくれる。


「馴染みの問屋さんから突然、取り引きを切られて。

理由を訊いても後生だからなにも訊かないでくれ、って言われたみたい」


「え……」


それって、私が三橋の家から漸を奪ったから?

漸のお父さんは有坂染色を潰してやると言っていると、漸から聞いた。

一呉服屋にそんな力はないと思っていた。

でも、現実は。


「大丈夫なの?」


「方々に話を持っていっているけど、どこもダメみたいなのよね……」


はぁーっと、母が重いため息をつく。

これって、私のせいなのかな。


しばらくして漸たちが戻ってきた。

夕飯は食べて行けと言われたけれど、そんな気になれなくて辞退した。


「じゃあ帰るねー」


母からの話は聞いていないフリをして明るく家を出る。

けれど車に乗ってから、ずんと現実が重く肩に乗っているのを実感した。


「……鹿乃子さん?」


助手席でずっと私が黙っていて、漸は心配そうだ。


「……私のせいで有坂染色はなくなるんですか」


漸を幸せにすると誓った。

でもその代償がこれだなんて、あんまりだ。


「なくなりませんよ。

私がなくさせたりしません」


「でも!」


「鹿乃子さん!」


漸が大きな声を出し、びくっと大きく肩が跳ねた。


「落ち着きましょう?

家に帰ったらお話ししますから」


「……はい」


真っ直ぐに前を見て運転する漸は、こんな状況なのに少しも揺るいでいなかった。


家に帰り、漸がコーヒーを入れてくれたけれど、手をつける気になれない。


「父が問屋や工房に圧力をかけたんです。

有坂染色と繋がりのあるところとは今後二度と、取り引きをしないと」


隣に座った漸が、そっと私の手を握る。


「呉服業界はいまや、狭い業界です。

直接でないにしてもどこかで繋がっていてもおかしくない。

三橋と直接取り引きをしているところが切られたくないがために、同じように圧力をかけたら……わかります、よね?」


黙って、頷いた。

理解したくなくても、わかる。


「金池様、覚えていますか?」


唐突に三橋呉服店で会ったお客の名前が出てきて、思わず顔を上げた。


「あの方はもちろん、ほかにもおじい様とお父様が作る作品を、きっと気に入ってくださる方を知っています。

そういう方に直接、有坂染色の作品を売ります」


「でも、それだけじゃ……」


売れる枚数はたかがしれている。


「ネット通販もしようと思います。

いまどき、問屋を介さないで売る方法なんていくらでもあるんですよ」


漸はそれですべて解決だ、みたいな顔をしているが、通販で高価な呉服が簡単に売れるとは思えない。

私だってネットで見ながら、何十万もするようなものをネットで買うような人がいるんだろうか、なんていつも思っているし。


「それに金池様に連絡したら、仲間内で販売会を行ってもいいと言ってくれました。

金額も最低ラインはおじい様たちに提示していただきますが、それ以上なら自分が出していいと思える価格で買ってくださるそうなので、単価が上がります」


「そんなの、いいのかな……?」


窮地に立たされても、助けてくれる人がいる。

漸のお父さんは最低だけれど、人間全部が最低なわけじゃない。


「いいんですよ。

あとはときどき、ギャラリーを借りて展示会を行います。

明希さんも店を使っていいと言っていました」


「漸。

……ありがとうございます」


ぎゅーっと力一杯、漸の手を握り返す。


「鹿乃子さんが私のために、頑張ってくれたからです。

だから私も、鹿乃子さんのために頑張りたいんです」


眼鏡の奥から私を見る漸の目は、決意で溢れていた。


「それに有坂のご家族はもう、私の家族です。

家族を絶対に、不幸になんてしません」


力強く漸が頷く。

それがこんなにも、頼もしい。


「ありがとう、漸。

ありがとうございます」


ああ、私の決断に間違いはなかった。

私の家族まで幸せにしてくれる、最高の旦那様を私は選んだんだ。


「お礼なんていいですよ。

これだけ大言豪語しておいてあれですが、まだ上手くいくと決まったわけではないので」


決まり悪そうにぽりぽりと人差し指で漸が頬を掻く。


「ううん、きっと上手くいきます。

私も頑張るから……!」


大丈夫、漸がいる。

それに、金池さんだって。

漸には苦痛でしかない店での接客だったけれど、これで少しは報われるのかな……?

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