第48話
昼食は昨日も行った、スーパーでお弁当を調達してくる。
「あー、電子レンジもないんだったよ、この家……」
マンションに帰ってきて、苦笑いが漏れる。
もともとここにあった調理器具は、一口のIHクッキングヒーターとフライパン、あとは電気ケトルだけだ。
フライパンはパンを焼くために買ったんじゃないか疑惑があるけれど、……なんで、フライパン?
普通、トースター買おうと思わない?
漸は前に、料理は上手とか言っていたが、このキッチンだとかなり疑わしい。
「金沢に帰る前に、電子レンジを置きたい……。
トースターはあった方がいいけど、まあなくてもいいか。
炊飯器でごはんを炊けと言ってもしそうにないし、そこはパックごはんか……。
そうなるとやっぱり、電子レンジ……」
冷たいまま買ってきたお弁当を食べながら、携帯へ買い物メモを入力する。
またそこそこ出費しそうだけれど、大丈夫かな?
これからはコンサルだけの収入になるわけだが、昨日会った立本さんはけっこういい身なりをしていたもんなー。
腕時計とかひと目で高級品だってわかるものをつけていたし。
と、いうことは、漸もそれなりに稼いでいる……?
「そこも一応、確認だよね……」
私の稼ぎはあてにならない。
いや、あてにできるほど稼げるようになるのだけれど!
お弁当を食べ終わり、暇つぶしに映画を観ていたら漸から電話がかかってきた。
「はい」
『一時間ほど店で書類整理をして、今日は終わります。
ここまで出てこられますか?』
「えっと……」
一昨日、漸と一緒に店へいったときはタクシーだった。
それも近くまでなので、店に行き着ける自信は全くない。
『タクシー、使ってください。
それでですね……』
言われた内容をしっかり心の中へメモする。
電話を切ってタクシーを呼び、出掛ける準備をした。
このあいだと同じ、銀座三越の前でタクシーを降りる。
「小さめの通りを挟んだ向かい、とは言っていたけど……」
どの通りも大きく見えるんですが?
などとひとりでツッコみつつ、とりあえず三越の周りを歩く。
歩きはじめた方向がよかったのか、さほどかからずに指定されたコーヒーショップを見つけた。
チェーンは場所が変わってもメニューは変わらないから返って安心するな、などと苦笑いしながら期間限定のマロンのフラッペを飲む。
漸は紹介したい店があるとか言っていたが、どこへ連れていってくれるのかな。
正直に言うと、東京で行きたい古着屋や呉服店がいくつかある。
でも今回は漸を知るために行くのだからと諦めたのだ。
「鹿乃子さん」
三十分もしないうちに漸が来た。
「迷いませんでしたか?」
「はい、大丈夫でした」
笑って立ち上がったら、漸の手が空になったプラカップを掴む。
そのまま、ゴミ箱へ捨ててくれた。
「少し離れたところなんですが、鹿乃子さんに絶対、ためになると思うので」
「楽しみです」
店を出て、タクシーを拾う。
漸は必ず、私を先に乗せた。
「可愛い鹿乃子さんに訊くのは愚問だとは思いますが、今日は名刺をお持ちですか?」
「はい、一応……?」
漸から、いつ何時ビジネスチャンスが巡ってくるかわからないから、いつでも名刺は持っておくようにと指導されている。
なので最近の私の持ち物は、携帯、財布、名刺がワンセットになっていた。
「それなら大丈夫ですね」
よくできました、とばかりに漸が笑う。
また、子供扱い。
一回り下だから仕方ないけれど。
でも、名刺を確認されるってことは、ビジネス絡みってことなのかな?
十分ほど走り、裏路地にあるこぢんまりとしたブティックの前でタクシーを降りた。
「ここですか?」
「はい、ここです」
漸がドアを開ける。
中に並んでいたのは想像していた洋服ではなく、着物だった。
「ここはオリジナルの着物を取り扱っている店なんですが、生地もオリジナルで作っています」
「素敵です……!」
以前から呉服店の店先にかかる、プレタや安い反物の柄がマズいと思っていた。
もう母どころか祖母の時代から変わっていないんじゃないかと思えるあの柄が、若い子にウケるはずがない。
だから私は手芸店で好みの生地を買って縫っていたくらいだ。
でもここの着物は洋服屋の店先に並んでいてもおかしくない、チェックや水玉に花柄、色もお洒落だ。
「こんなお店が近所にあったら、散財しちゃう……!」
それくらい、趣味がいい。
私が求めているお店、って感じがする。
「鹿乃子さん」
「あっ、はい」
漸に呼ばれ、我に返る。
それほどにまで、夢中になっていた。
「こちら、店主の
紹介してくれたのはブルーグレーの着物に黒の帯なんてお洒落な、漸と私のちょうど間くらいの歳の女性だった。
「初めまして、有坂です。
素敵なお店ですね!」
「ありがとうございます」
うわっ、笑うと美人さんだよ!
つい、漸の顔を見上げていた。
視線があって、僅かに漸が首を傾げる。
店の客を嫌っているのはわかるから安心だけれど、こういう人はなんか心配。
「明希さん、鹿乃子……有坂さんはご自分の工房で、半襟などの小物を作っているんですよ」
こほん、と小さく咳払いして漸が名前を言い直す。
ビジネス、だからかな。
「はい、子鹿工房という小さなネットショップをやっています」
ああ、名刺の出すのはここなんだな、とバッグの中から名刺入れを出して渡す。
ちなみにこの花柄の名刺入れも、自分で染めて作ったものだ。
「子鹿工房さん……?
ああ、前にお客様が、可愛いからつい買いすぎてしまうんだと、その日の半襟を自慢していらっしゃいました」
「あ、えっと、……恐縮、です」
まさかこんなところで、自分の店の名前が出るなんて思わなかった。
実際に購入してくださった方には会ったことがないので、実は妖精が買っているんじゃ……?
とか謎なことを思ったりもした。
でも、実在しているんだな……。
「ちょっと待ってください……」
カチカチとカウンター下で彼女がマウスを操作する。
「ああ、これですね……。
確かに、可愛いしお手頃ですね。
ちなみに今日の半襟もそうですか?」
「はい、襟も帯も自分で染めました」
今日は黒チェックの着物にあわせて、林檎柄の半襟にしてきた。
濃紺の帯も、お揃いだ。
「ちょっと帯も見せていただいてもいいですか」
「はい」
漸の手を借りて羽織を脱ぎ、背中を向けてお太鼓を見せる。
「これも可愛いですね。
先ほど、自分で染めてらっしゃると言っていましたが?」
「はい、祖父と父が加賀友禅師なんです。
なので染めを習って自分で染めています」
「半襟の柄はどれくらいありますか?
一枚作るのにどれくらいかかりますか?」
次々に明希さんから質問が飛んでくる。
それにひとつずつ、丁寧に答えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます