第27話

朝も一悶着ありつつ、準備を済ませる。

こんなことなら服は全部、洋服にすればよかった。

着物にしてしまった自分が悔やまれる。


トーストとコーヒーだけの朝食を済ませ、マンションを出た。

てか、初めてフライパンでパンを焼いたよ!

でも、確かに溶かしバターへパンを入れて焼くのは美味しかった。


「とりあえず、布団を買いに行かなきゃですね」


「はい」


こちらでの三橋さんの足はタクシーだった。

駐車場、保険やガソリン代、接待のときの帰りなどを天秤にかけると、タクシーの方に軍配が上がるらしい。

あと、店とマンションとの往復がほとんどで、プライベートでほとんど出かけないから、と。


高級寝具店に連れていかれたらどうしようとビクビクしていたが、大手生活雑貨店でほっとした。


「掛敷きセットですかね……」


「でも板間に直接布団って、身体が痛くなりませんか?」


昨晩は寒くはなかったが、寝心地は最悪だった。

もう何年もソファー専用で使われてきたソファーベッドだから当たり前だ。


「そうですね……。

可愛い鹿乃子さんがこちらにいる間だけの問題ですし、とはいえ可愛い鹿乃子さんにはぐっすり眠ってほしいですからね……」


ちょっと!

いま、さらっと、さらっと、聞き捨てならないことを言いました!?


「三橋さん」


「はい」


真剣に布団を選んでいる彼は、私の怒りに気づいていない。


「私がいる間だけじゃなく、いないときもちゃんとした布団で寝てください!

あんな寝方、疲れが全然取れませんよ!

わかりましたか」


「あ、えっと……。

はい」


眼鏡の下でパチパチと何度か瞬きし、とりあえずの返事をした三橋さんはきっと、私が怒っている意味がわかっていない。


「カーテンも買いましょう。

もっと、人間らしい生活をしないとダメですよ!」


「その……。

……ぷっ」


彼が突然、噴き出すので、ついその顔を見た。


「三橋さん?」


「あはは、……すみません……あは、あははは、……鹿乃子さんがこんなに、……あはは、怒るとは思わなくて」


お腹を押さえて三橋さんは笑っているが、……そんなに?


「ちゃんと人間らしい生活をしろだなんて、初めて叱られました。

そうですね、確かにあれはダメです」


眼鏡の下から人差し指を入れ、その背で笑いすぎて出た涙を彼は拭った。


「……でも」


真顔になった彼が、ふっ、と遠い目をする。


「いままでの私は、それでよかったのです。

自分のことすら、どうでもよかったのですから」


なんだか三橋さんが遠くに行ってしまいそうで、思わずその袖を掴んでいた。


「これからは可愛い鹿乃子さんの次に、自分を大事にします。

可愛い鹿乃子さんとはできるだけ長く、一緒にいたいですからね」


ふふっ、と笑った三橋さんはいつもの彼に戻っていて、ほっとした。


どうせならベッドも買おうと、そこでは寝具を決めずに家具店へ移動する。


「そこそこ、のベッドでいいんですが。

どうせひとりで寝るのは、ぐっすり眠れませんから」


金沢の家のベッドを買うときは、最高品質のベッドを! なんてあーでもない、こーでもないと散々迷って選んだのに、今度は随分適当だ。


「サイズは、どうしましょうかね……。

可愛い鹿乃子さんもいないのに、広いベッドは持て余してしまいますし。

でも狭いベッドだと、可愛い鹿乃子さんに窮屈な思いをさせてしまいます……」


はぁーっ、と悩ましげに三橋さんの口からため息が落ちていく。


「えーっと。

セミダブルか、ダブルとかくらいでいいんじゃないですか……?」


あの、キングサイズのベッドは確かに、ひとりだと持て余していた。

しかし実家のシングルベッドは、三橋さんには窮屈そうで。

手足を伸ばしてゆっくり眠ってもらいたいし、少し大きめがいいんじゃないかな。


「そうですね、それくらいならいいかもしれません」


最終的に中ランクのセミダブルベッドに落ち着いた。

布団も、そこそこのランクの羽布団に決める。

ベッドの配送は最短でお願いしたが、それでも明後日になった。


「すみません、早く気づけばよかったんですが……」


タクシーの中で三橋さんは落ち込んでいるが、仕方ないよね。

だって、私がこちらに来ると決めてから一週間しかなかったわけだし、しかも三橋さんは仕事で忙しかったんだし。


「かまいませんよ、別に。

今日の掛け布団と敷きマットは調達できましたから」


ベッドが来るまで可愛い鹿乃子さんが可哀想だからと、三橋さんは敷きマットを買ってくれた。


「本当にすみません……」


三橋さんは落ち込んだまま、浮上してきそうにない。

困ったな。


「んー、じゃあ、夜は最高に美味しいところへ連れていってください。

それで帳消しです」


「……そんなんでいいんですか」


「はい、かまいません」


精一杯、明るくはしゃいでみせる。


「わかりました、期待していてくださいね」


「はい」


ようやく顔を上げた三橋さんが、ふふっと笑う。

機嫌がよくなっているの、丸わかり。

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