第四章これは同情で愛情ではない

第18話

私の朝は三橋さんの声ではじまる。


『可愛い鹿乃子さん、おはようございます。

お目覚めの時間ですよ』


「……おはようございます」


もそりと起き上がり、あくびをしながら大きく伸びをした。

キングサイズのベッドは、小柄な私がひとりで寝るには広すぎる。


『今日は一日、おうちにいる予定ですか』


歯磨き中も三橋さんが話しかけてきた。

新居にはすべての部屋どころか風呂や洗面所にまでスマートスピーカーが置いてある。

いや、家だけじゃない。

実家の工房にも設置された。


『これでいつでもどこでも、可愛い鹿乃子さんとお話しできます』


……なーんて言いながら、大量に届いたスマートスピーカーの梱包を解いている三橋さんを見たときはどうしようかと思った。


『可愛い鹿乃子さんの今日の朝ごはんはトーストとヨーグルトですか?

私と同じですね』


目の前に置かれているスピーカーのディスプレイには、三橋さんと共に朝食であろうトーストとマグカップが見えた。

ダイニングとリビング、工房に置いてあるのはディスプレイ付きのビデオ通話のできるタイプだ。

寝室にもそのタイプを置きたいと言われ、さすがに拒否した。


『可愛い鹿乃子さんの寝顔を眺めながら寝たいんです』


などといくら懇願されたところで、着替えたりもするところは却下だ。


「今日は夜、こちらへ来るんですよね?

晩ごはんはどうしますか」


『そうですね、可愛い鹿乃子さんの作ったごはんは食べたいですが、遅くなりそうなのでいいです。

新幹線の中でなにか食べますよ』


はぁっ、と物憂げに三橋さんがため息を落とした。


「わかりました。

じゃあなにか、軽いものを準備しておきます」


この場合の三橋さんの食事は、よくておにぎりかサンドイッチ、悪いとカロリーゼリー飲料で済ませたりする。

あれは絶対的に、身体によくない。

でも彼は、自分自身のことに無頓着……というよりも、関心がないのだ。

ここひと月ほどの付き合いでわかってきた。


『え、いいですよ、そんな。

迎えもいいですからね、タクシーで帰りますから』


はぁーっ、と今度は私の口からため息が落ちていく。

三橋さんと同じように、私も彼を甘やかせたいのだ。

そろそろそれに、気づいてほしい。


「迎えも行きますよ。

早く会いたい癖に無理、しない」


『鹿乃子さん、優しい。

私はこんなに優しくて可愛い鹿乃子さんが妻だなんて、幸せ者です』


画面の向こうでにへらと、だらしなく三橋さんが笑う。


「まだ妻じゃないですし、残念ながら妻になる気もまだありません」


『大丈夫です、すぐにそうなりますから。

……すみません、そろそろ出ないといけないので』


カップの中身を一気に呷った三橋さんが立ち上がる。


「はい、いってらっしゃい」


『いってきます、私の可愛い鹿乃子さん』


ちゅっ、とリップ音のあと、スピーカーを切るコマンドの声と共に画面が切れた。


「相変わらず、諦めるという字は辞書にないんですね」


私も残りのコーヒーを飲んで立ち上がった。


三橋さんの二度目の訪問から半月ほどたった九月の半ば、私も例の家に引っ越しした。

とはいえ、実家の部屋はまだそのままにしてある。

だって私はまだ、あの家に帰る気満々だし。


……嘘です。


最近少しだけ、揺らぎはじめている自分を自覚していた。


「さて。

洗濯からはじめよーっと」


小物はちょいちょい洗っているが、休みじゃなきゃできない大物が溜まっているのだ。


「着物は洗濯機に入れてもいいですか?」


などと間抜けにも、持ち上げた洗濯物に話しかけてみる。

私はデニムだとか洋生地で作った着物はネットに入れて手洗いコースで回すが、三橋さんのはどうしていいか、悩む。

それにこれ、生地こそデニムだが、たぶん特注。

しかも高級手仕立て。

と、なると、洗濯機でガラガラ回すどころか、お家で手洗いすら迷うレベル。


「うーん。

知り合いの洗い屋さんにお願いするか……」


仕方ないのでそれは分けて、自分の着物だけ洗濯機へ入れた。


「よし、洗濯完了!」


着物の洗濯は大物だけに、ひと仕事終わった、って感じだ。

あとは家の掃除をするところだろうが、週二で三橋さんがハウスキーパーを入れてくれているので、特にすることはない。


「少しだけ、ミシンしようかなー」


ちなみに、これは趣味ではなく仕事だ。

うちの主力商品には嘘つき襦袢と裾よけパンツがあって、特に裾よけパンツは人気でサイトにアップした端から売れていく。


「よーし」


少しばかり気合いを入れ、三橋さんが自宅の作業用に与えてくれた部屋にこもった。

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