第16話

……その後。


「俺はまだ、認めたわけじゃねぇからな……」


一升瓶を抱え、祖父が転がっている。

三橋さんといえば。


「このお素麺、美味しいですね。

特にこの、お出汁のよく染みたナスが」


けろっとした顔で〆だといわんばかりにナス素麺を食べていた。


「あの。

大丈夫ですか……?」


ちらりと見た部屋の隅には、祖父が抱くのともう一本、空になった酒瓶が置かれている。


「ああ。

私、いくら飲んでも酔わないんですよね、不思議なことに」


「そう、ですか……」


涼しい顔で三橋さんはお漬物のキュウリをバリバリ囓っている。

今回ばかりは祖父も、勝負を挑んだ相手が悪かったようだ。


「今日はもう、泊まっていってください。

さすがに、心配です。

……いいよね、お母さん」


うんうん、と母が頷く。


「大丈夫ですよ、これくらい」


証明するかのように三橋さんが立ち上がる。


「バカ、無理するもんじゃない」


「あれ?」


けれど父に軽く胸を押されただけで、その場に尻餅をついてしまった。


「自覚してなくても酔ってるんだ。

今日はもう、泊まっていけ。

……親父、そんなところで寝たら風邪引くぞ」


父が祖父を支え、部屋へと連れていく。


「お父様の言うとおり、酔っているみたいですね。

お言葉に甘えて泊まらせていただきます」


へら、と笑った三橋さんはちょっと情けなくて可愛かった。


「かーさん、布団、どこに引くー?」


風呂はさすがに危ないので、明日の朝に入ってもらうようにした。


「鹿乃子の部屋でいいんじゃなーい?」


「……は?」


母はいったい、なにを考えているんだろうか。

嫁入り前の娘の部屋に男を一緒に寝せるなど。

祖父が聞いていたらまた激怒しそうだが、もう父に部屋へ連れていかれていない。


「可愛い鹿乃子さんと一緒に寝られるんですか」


三橋さんはもう、嬉しくてたまんないって顔をしているが、一緒に寝るんじゃなくて一緒の部屋で寝る、だから。

そこは大きな違いだから間違わないでもらいたい。


「ほら、お風呂入ってるあいだに引いとくから、あんたはさっさと入っておいで」


「いってらっしゃーい」


いい感じに酔っているのか、へらへらと笑いながら三橋さんが私へ向かって手を振る。


「ええーっ」


渋々ながらお風呂に入る。

上がったときには宣言どおり、私の部屋に三橋さんの分の布団が引かれていた。


「ここが可愛い鹿乃子さんの部屋ですか」


昔の彼氏がゲーセンで取ってくれた、ピンク色の大きなうさぎのぬいぐるみを抱いて三橋さんが部屋の中を見渡す。

ちなみにぬいぐるみは未練があるとかではなく、なんとなくそのまま置いてあるだけだ。

あと、抱き心地がいいからというのもある。


「可愛い鹿乃子さんらしく、可愛い部屋ですね」


にへら、と実に締まらない顔で三橋さんは笑った。

小学校高学年になってもらったこの部屋は、あの当時からあまり変わりがない。

学習机は若干のカスタマイズはしたもののそのまま使っているし、ベッドもマットレスは替えたが、フレームはそのままだ。


「幼いだけですよ」


なんとなく、お婿さんをもらってこの家で暮らし続けていくんだって思っていたから、今の状況が不思議でしょうがない。


「我が家も、素敵な家にしましょうね」


にこにこと嬉しくて仕方ないという顔で三橋さんは笑っている。

結局、祖父との飲み比べに勝った彼は、私との同居をもぎ取った。


「そう、ですね……」


とはいえ、どこまでカスタマイズしていいのかは悩むところ。

住むなら居心地がいい方がいいが、最大四ヶ月ほどの話なのだ。

三橋さんと結婚すればずっとあそこに住むのだろうが、私にはまだその気はない。


「明後日、また来ます。

今度は連休なので、ゆっくり……」


次第に声が小さくなっていき、そのうち聞こえなくなった。


「三橋さん?」


ベッドから見下ろすと、ぬいぐるみを抱いたままぽてっと倒れ、スースーと気持ちよさそうな寝息を立てている。


「風邪、引きますよ」


苦労して身体の下からタオルケットを引き抜き、かけてやる。


「……ふふっ。

鹿乃子、さん……可愛い……」


幸せそうに笑いながら、三橋さんはぬいぐるみを私と思っているのか、ぎゅーっと抱き締めて眠っている。

そういうのが可愛くて、憎めないんだよね、この人。


「私も寝るか……」


電気を消してベッドへ潜り込んだ。

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