第15話

「ただいまー」


今度は玄関で祖父が待ちかまえていなくてほっとする。


「おじゃまします」


「適当に座っててください、いまお茶を……」


三橋さんを茶の間へ案内し、台所へ足を向けたところで背後からドン!と音がした。


「飲むぞ」


「……え?」


振り返ったらコルセットを着けた祖父が、テーブルの上にとっておきの日本酒の一升瓶を置いたところだった。


「鹿乃子。

コップを持ってこい」


「じいちゃん、腰悪いのに飲んだらダメだよ」


「いいからコップを持ってこい。

俺はこいつと、腹割って話さなければならない」


いつもなら鹿乃子がそう言うなら……って諦めてくれるのに、今日の祖父は完全に本気だ。


「鹿乃子。

おじいちゃん、言いだしたら聞かないから。

諦めて?」


はい、と母からグラスをふたつ握らされた。

母と一緒に台所仕事をしていた祖母も、うんうんと頷いている。


「ええーっ、でも……」


ちらっと三橋さんを見たら、目のあった彼は目尻を下げてにこっと笑った。


「大丈夫ですよ、私はお酒、けっこう強いので」


強いとかそういう次元の話じゃないのだ、ワクの祖父と飲むというのは。


「絶対やめた方がいいですよ」


「ご心配、ありがとうございます。

でも、大丈夫ですから」


私からグラスを受け取り、ひとつを祖父に渡す。


「ほら」


「いただきます」


祖父が差しだす瓶を、三橋さんがグラスで受ける。

こうしてふたりの戦いの火蓋が切って落とされた。


「てめぇは鹿乃子と結婚したいとか言うが、ほんとに鹿乃子を幸せにできるのかよ?

家庭環境があれなようだが」


「絶対に鹿乃子さんを幸せするとおじい様に誓います。

親族からも必ず、鹿乃子さんを守って見せます」


ぐいっ、と一気に三橋さんが空にしたグラスに、すぐに新しい酒が注がれる。


「おっ、もうはじまってるのか」


そのうち、風呂に入っていた父が上がってきた。

無言でやめさせてと視線を送るが、父はどうも、争点は娘の私だというのに面白がっているようだ。


「だいたいてめぇ、なんでそんな歳まで結婚してないんだ?

大店の跡取りがよ」


祖父が酒を飲み干し、三橋さんが瓶を取る。


「それだけ、家庭環境が複雑ってことじゃねぇのか。

そんな、嫁げば不幸になるようなところへ鹿乃子はやれねぇな」


「はいはい、お待たせー」


ドン、と祖父と三橋さんのあいだへ母が刺身盛りを置く。

私もできあがった料理を運んだ。

最初からその気だったのか、ちらし寿司まで作ってあった。


「ほら、食べましょう?

三橋さんも遠慮せずに、どうぞ」


「てめぇは俺との、話が終わってからだ」


祖父が酒を呷る。


「そうですね」


受けて立つ、とばかりに三橋さんもグラスの中身を一息に飲み干した。


「だからよぅ、てめぇは鹿乃子を幸せにする、幸せにすると言うが、具体的にどうするんだ?」


あれから幾分時間がたったが、三橋さんの姿勢は崩れない。

相変わらずきっちりと正座をして、すらりと綺麗に姿勢を正していた。


「そうですね。

私が金沢へ通いますから、鹿乃子さんには東京へ来ていただく必要はありません。

ゆくゆくは私もこちらへ移ります。

私はもう、あの家を捨てる覚悟ができていますので」


さらりと重大な決意を口にし、三橋さんがグラスを口に運ぶ。


「こっちへ来てどうするんだ?

あてはあるのか」


「そうですね……。

そのときになったらまた、ゆっくり考えます。

蓄えも、仕事以外からの収入も十分にありますから」


「てめぇまさか、ヤバいことでもやってるんじゃないだろうな」


祖父の眉間に、深い皺が刻まれる。

それは私も同じ疑問だった。


「まさか。

ちゃんと合法ですよ。

ご心配はご無用です」


なんてくすくす笑っていたが。

あとで、投資で稼いでいると知り祖父は、やっぱりうさんくせぇじゃねぇか ……と吠えた。

とはいえ、投資は趣味で副業は経営コンサルだったが。


「いや、家を捨てるって、そんなに三橋の社長はヤバい人なのかよ……」


「そうですね、人当たりもいい、常識もある人ですよ。

ただ、人間を自分より上か下かで区別しているだけで」


にっこりと笑う三橋さんのその顔に、背筋がぞくりとした。

それはみんな同じだったみたいで瞬間、しん、と静まりかえる。


「上の人たちには当然、礼儀正しいですよ。

当たり前ですよね。

下の人たちにも優しいです。

だって哀れむべき相手ですから。

そうやってあの人は、人を差別しているのです」


淡々と語りながら、三橋さんはグラスを重ねていっている。

そういう親に育てられ、周りもそういう人の中で、三橋さんのような考えの人ができたのか不思議だ。


「もう飲まれないのですか?」


くいっ、と中身を呷り、祖父の空になったグラスへと目を向ける。


「飲むに決まってるだろーが」


酒瓶を奪い、祖父が手酌で酒を注ぐ。

ついでに、三橋さんのグラスへも注いだ。


「てめぇこそ、もう音を上げたんじゃねぇだろうな」


「いいえ。

まだまだ全然です」


にやりと笑い、ふたり同時に一気にグラスの中身を飲み干した。

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