第24話 夜明けの目覚め⑦ 星霜の楔

吸血鬼の王が居城とするノクトヴァルト城。


そこから少し離れた場所に、森林に囲まれた洞窟があった。


「ふーん。ノエルって言うのか、お前の名前」


吸血鬼の青年は、ノエルという聖職者と向き合うようにして、地面に座りながら話していた。


「聖職者がここにくるってことは、親父を倒しに来たのか?」


「そう。アスヴァールを倒しにここまできたの。あいつは、君の父親なんだね、ルカード」


ノエルは、両手で膝を抱えて座りながら、先ほどまで戦っていた吸血王のことを思い出していた。


「親父は強いだろ? 普通の人間には無理だぜ、あれは」


ルカードは、肉親が討伐対象ということを聞いても、別段気にする様子もなく、大きくため息をついた。


「そうだね。勇者でさえ、何もできずにやられてしまった。生き残ったのは私だけ」


「噂の勇者でも、やっぱだめだったかぁ」


「くっ……誰かがあいつを倒さないといけないのに……世界のために……」


ノエルの握った拳に力が入る。思いつめた様子のノエルとは裏腹に、ルカードは表情を変えずに洞窟の外を眺めていた。


洞窟の外では、まだ雨が降り続いているのが見える。


「世界のためか……。人間にもいろいろあるんだろうな」


「ルカードは命の恩人だから言いたくないけど、魔族は世界の害なんだ。早く奴らを――――」


「親父も同じこと言ってたぜ。人間は、世界を狂わす存在だってな」


ルカードは、眉をしかめていたが、どこか寂しそうに呟いた。ノエルは、何か言い返そうとしたが、


「魔族にも人間にも、それぞれの事情ってやつがあるんだろうな。俺にはよくわかんねぇけど」


目の前の吸血鬼が、魔族でありながら人間を一方的に敵視していないことがわかると、なんだか自分が小さな存在のように思えて、何も言わず俯いた。


「ねぇ、やっぱりルカードは父親を誇りに思ってるの?」


魔族の息子は、強大な父のことをきっと誇りに思っているだろう。ノエルは、わかりきったことを尋ねた、と思っていた。しかし、答えは意外なものだった。


「いや? この手で消し去りたいほど憎いぜ?」


言葉は嫌悪感に満ちていたが、それを口にした本人は笑っていた。


「そんなことがあり得るの……? 魔族が、強い仲間を消したいだなんて」


不思議そうな顔で見つめてくるノエルに、ルカードは一度ため息をついて話を始めた。


「……魔族は、人間よりはるかに長寿だ。けど、それでも魔族としての力の成長はいつか止まっちまうんだよ」


「……けど、あいつは、遥か昔から強くなり続けてる。魔王ですら手を焼くほどにな」


ノエルは驚いてはいたが、同時に納得もしていた。魔族の中には、他と比べて恐ろしいほど力を持っている個体が存在する。魔族を殲滅することに人生を費やしてきたノエルにとって、何度か直面してきた力だ。通常の方法では、手にすることのできない圧倒的な力。


「自分の成長が止まったなら、まだ成長しきってない魔族の体を手に入れればいいんだ」


「……!? それって……!」


「あぁ。親父にとって俺は、ただの器なんだ」


ルカードは、諦めているかのような顔で、小さく笑っている。


「だから君は……アスヴァールをこの世から消し去りたいって言ったんだね」


「そうだな。じゃないと、なんのために生きてんのか、わかんねぇから」


ルカードの声は微かに震えており、弱々しく洞窟内に響いた。ノエルは、そんな彼の表情から目を逸らすことができなかった。この魔族は、なんて残酷な運命の下にいるんだろう。ただ、何も言えず、ローブの裾を強く握った。


「ねぇ、ルカード。実はね。私には、まだあと一つだけ切り札があるんだ」


「切り札? あいつを倒せるのか?」


「倒せない。けど無力化できる。それがこれだよ」


ノエルは、ゆっくりとローブの内側に手を入れ、銀の十字架を取り出すと、ルカードに見せた。


「これは、星霜の楔。永遠に時を凍らせる伝説の魔道具だよ。これで奴を封印する」


十字架は、ノエルの手のひらに収まるほどの大きさで、先が杭のように鋭利に尖っている。ルカードは、少し距離をとって、それを恐る恐る眺めていた。


「そんなやばいもん持ってるって、聖職者ってすげぇんだな……」


「封印には条件はあるんだけどね。封印する魂に、この星霜の楔を打ち込むこと。魂を封印する媒介が必要なこと。そして――――」


「封印が永劫続く為の縛りを設けること」


ノエルは、ルカードを真っ直ぐ見つめながら説明した。


「媒介は、『ノクトヴァルト城』。縛りは、『城が誰にも侵されないこと』にすれば条件としては足りるはず。でも……」


「あいつの魂に、それをぶっ刺すって……そんなことできる気がしないけどな……」


封印の条件の一つが、かなりの難関であることに、ルカードは肩を落とす。ノエルもまた、眉をしかめながら、黙ってしまった。


「親父は、常に無敵だ。あいつの体に、そいつは届かねぇよ。ましてや、魂になんて」


「ルカードってあいつの息子でしょ? 君も無敵だったりしないの?」


「俺はそんなことできねぇよ……。でも魔法はけっこう得意だぜ?」


ルカードは、そう言うと二人の間に小さな炎の玉を召喚した。炎の灯りが、洞窟の中を明るく照らす。


「驚いた。君も、詠唱動作もなく魔法を使えるんだね。さすが息子――――」


その瞬間、ノエルの頭に何か嫌な予感がよぎった。洞窟の中とは言え、あまりにも炎の灯りが明るく感じる。


ノエルは、すぐさま洞窟の外へと走り出した。外は、既に暗闇に包まれていた。おかしい、日没までまだ時間はあるはずだ。


「……! まずい! 私を追ってきたのか!!」


「こんなところに隠れていたのか。聖職者」


ノエルが空を見上げると、赤い羽を広げた吸血王が、怪しい月光の中に立っていた。


「ゆっくりしすぎた……! ……ここでやるしかない!」


「仲間を捨てて逃げ出した貴様が、いまさら余に抗うというのか? 面白い」


突如、ノエルの頭上に無数の鋭利な氷のつららが現れた。つららは、そのままノエルを目掛けて矢のように放たれる。しかし、


「…………。なんの真似だ、ルカード」


無数の氷の矢は、真紅の炎によってかき消された。真紅の炎は、ノエルの頭上で燃え続けている。


「こいつを殺すのはやめろ。親父」


「貴様が、余に意見するとは珍しい。余興だ。理由を申してみよ」


「わかんねぇよ。けど、放っておけないからだ」


ルカードの返事に、吸血王は心底残念そうな表情で、大きなため息をついた。


「くだらん」


吸血王が呟くと同時に、ノエルの周囲を炎が包み込む。しかし、その炎を、ルカードの炎が横から吹き飛ばすように、双方の炎は相殺されて散り散りに消えていった。


「ルカードォ……。この愚息が、余の邪魔をするか?」


「こいつと初めて話した時にわかった。こいつは、自分の運命に苦しんでるってな。今までずっとそうだったはずだ」


ルカードは、続けながらノエルの前に立ちふさがる。


「まるで俺みたいだ。だから助けた。それだけだ」


ノエルには、前に立つその背中がとても大きく見えた。


「貴様が何を自分と重ねてるか知らんが――」


吸血王がそう言いかけた時、一瞬姿が消えたかと思うと、次の瞬間にはルカードの前に立っていた。


「貴様は、余のために存在している。それだけだ」


突然、吸血王の体から、漆黒に染まった無数の槍が突き出てきた。槍は、ルカードの体を貫き、鋭い痛みに彼は後方へよろけ、膝に手をついた。


吸血王は、ルカードに対して追い打ちをかけようと、体から突き出た槍を一本手に取ると、大きく振りかぶった。


その隙を、ノエルは逃がさなかった。


吸血王の真横から、敵の胸を目掛けて、星霜の楔を振り下ろそうと飛び掛かる。


「ノクトヴァルト城じゃなくてもいい……! この位置ならギリギリ洞窟に封印できる……!」


一瞬反応に遅れた吸血王だったが、すぐにノエルの奇襲を察知すると、そちらへ警戒を向けた。


「貴様……何か企んでいるな?」


手に握った槍の向き先を、ルカードからノエルに変えるように、吸血王は体を反らした。


「親父……俺から目を離していいのかよ!」


声に反応するように、吸血王は視線をルカードに戻した。ルカードの赤い瞳と目が合う。


吸血王の上半身は、瞬く間に炎に包まれた。しかし、すぐに吸血王は炎を払うように腕を振り上げた。


「愚かな! 貴様ごときの炎が、余に届くと思ったのか!」


だが、その直後、吸血王の胸に、星霜の楔が打ち付けられた。ノエルの決死の一撃は、ルカードの炎の死角から、見事に敵の胸を捉えたのだった。


「…………。拍子抜けだな。何か秘策があるのかと思ったが」


星霜の楔は、吸血王の胸を貫いていなかった。ノエルが、どんなに力を込めても、全く届く気配がない。


「余の体を貫くことができる魔道具かと思ったが……。一体なんだ、それは」


吸血王は、期待外れと言わんばかりに肩を落とした。同時に、ノエルの体を氷塊が殴りつける。そのまま、岩壁へと激突した彼女は、痛みと衝撃で崩れ落ちた。


「さて、ここまでだな。聖職者の女。いま楽にしてやろう」


吸血王はゆっくりとノエルの元へと歩き出す。その行く手を阻むように、ルカードは立ちはだかった。


「ルカード、邪魔だ。どけ」


「だから殺させないって言ってんだろ、親父」


「そもそも、この女を生かしたとして、どうするつもりだ?」


ルカードと吸血王は睨みあっていた。二人は、いつでも相手を攻撃できるように互いに身構えているようだ。


「考えてねぇよ。帰る場所がありゃ、帰らせればいいだろ」


帰る場所。その言葉にノエルは、悲しそうに顔をしかめた。


「それか、帰る場所がないなら、うちで面倒見りゃいいじゃねぇか」


ルカードの予想だにしない発言に、ノエルも吸血王も固まった。


「ル、ルカード……さすがに魔王軍幹部と一緒に生活するのはきついかな……」


ノエルは、その言葉を聞いて、完全に気が抜けてしまったようだった。


「くっ……ふふふ。ルカード、貴様のばかばかしい戯言は、そこの女には、さぞ心地いいものだろうよ」


吸血王は笑いを堪えるように、頭を押さえながら首を横に振っている。


「だが、貴様のその心も、覚悟も、信念も。今すべて無に変えてやる」


突然、吸血王を漆黒の闇が包み込んだ。やがて、黒煙、もしくは瘴気のような姿に変わっていく。そして、冷たく低い声で呟いた。


「貴様は厄介だ。少し早いが、貴様の体をいただく」


次の瞬間、吸血王は煙のようなその姿で、ルカードの全身を覆い始める。ルカードは、必死に振り払おうと足掻き続けるが、やがて、全身を拘束され、ルカードは動かなくなっていく。


「ルカード……! だめだよ! 諦めたらだめだ!」


しばらくして、ルカードの体がゆっくりと動き出した。そして、体の感覚を確かめるように、手を動かしている。


「ふむ。悪くはない。軟弱な肉体だが、それには目を瞑るとしよう」


「ルカード!!」


体を奪われたルカードに、ノエルは必死で呼びかけた。しかし、無情にも、ルカードの口から出てくる言葉は、吸血王のものだった。


「さて。では、残りの仕事だ。聖職者の女、貴様を…………?」


ルカードの腕が震えている。吸血王は、その現象に困惑するように体中を見回した。


「なぜだ。完全に同化していない。こんなことはあり得ない。なにか、理由が――――」


吸血王は何かに気づいたように、突如うろたえだした。


「ルカードォォ! 貴様、一体なんの血を飲んだのだァァ!!!!」


自分の中のルカードにまるで詰め寄るように、吸血王は大声を上げた。そして、彼の視界には、あるものが飛び込んできた。目の前で倒れこむノエル。その左肩に、噛み跡があることを。


「貴様ァ!! 何者だ女ァ!! これは人間の血ではない!! これは天使の――!!」




「黙ってろ!! 親父!!」




突然、ルカードの体が硬直した。


「はぁ……はぁ……。よぉ、ノエル……なんか知らねぇけど、まだ完全に奪われてないみたいだ……」


ルカードは、震える体を押さえながら、ノエルの前にしゃがみ込む。


「あぁ……ちなみに、帰る場所がないなら、うちに来いって言ったこと……別に冗談じゃねぇんだよ」


息を荒くしながら続けた。


「お前は……、初めて喋った人間なんだ……。だから楽しかった…………」


「はぁ……あんな時間が続くんならよ。もっと一緒にいれたら……もっと楽しいんだろうな……」


「ルカード! アスヴァールに負けちゃだめだ……!!」


「……ルカードじゃなくて……最後は親しみやすい名前でよんでくれよ……」


「だめだ!! どこにも行かないでよ……ルカ!!」


「ルカ……いいな、それ……。なんか、ノエルと距離が近くなったみたいで……うれしいな……」


ルカードは、苦しそうに微笑みながら、ノエルの右手をそっと優しく握った。星霜の楔が握られた、右手を。


「それじゃ、ありがとな……。……ちょっと借りるぞ、これ」


ノエルの手に握られていた星霜の楔を奪うように取ると、ルカードは自分の胸に力強く突き刺した。


「え……ルカ……」


そのまま、ルカードは胸に刺さった十字架を押し込むように、腕に力を入れた。そして、何かに訴えるように、大声で叫んだ。


「俺ごと封印しろォ!!!! 代償はなんでもくれてやる!!!!」


ルカードの叫び声が、周囲に広がる。ルカードは、まるで天に向けて懇願するかのように叫び続けた。


「吸血鬼の俺のォ!!! 一番大事なものをォ!! なんでもひとつ持ってけよ!!!!」






二人の間を、永遠とも思えるような静寂が包んだ。風の音や、鳥の鳴き声が聞こえるほどに。


胸に刺さっていた星霜の楔は砕け散り、砂となって地面に落ちていた。


ルカードは、前へ倒れこんだまま、動かない。


そのうち、風の音も、鳥の鳴き声も聞こえなくなった。


ただ、ノエルの声だけが、ずっと響き渡っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る