第25話 夜明けの目覚め⑧ 永劫滅却の星光
フォルスラン城内、怪しげな月光の下。
ノエルは、かつての記憶を辿るかのように、静かに目を閉じて佇んでいた。
「あの日の私は、たしかにお前から逃げたよ。そして、ルカに救われた」
目を閉じたまま、まるで物語を読み聞かせるように、ゆっくりと話し始める。
「近くにルミエラって街があるって知って、眠ったまま動かない君を連れて歩いて」
「街には誰にも使われていない教会あったから、そこで君が目を覚ますのをずっと待ったんだ」
――――もっと一緒にいれたら、もっと楽しいんだろうな。
「私は楽しかったよ、ルカ」
ノエルは、そう呟くと、力強い眼差しで空を見上げた。
「だから、今度は私が、こいつを倒さないとだね」
見上げた先には、ルカの体を支配した吸血王が、優雅に夜空を舞っていた。
「あの時と同じことだ、聖職者の女。貴様は何もできず、地に伏せるのだ」
吸血王は冷たい笑みを浮かべながら、ノエルを見下ろしている。
「だが、貴様の存在はたしかに厄介だ。その血は絶やさねばなるまい」
赤い瞳が不気味に光りを帯びている。
「まずは準備運動だ。遊んでやる、女」
吸血王が呟いた瞬間、ノエルの周囲を氷の剣が包囲した。襲い掛かる氷の剣を、彼女は身をかがめながら、後方へ跳躍して回避する。
次々と斬りかかる氷の剣を、ノエルは軽やかにかわしていく。だが、次第に、城壁を背にして追い込まれていく彼女は、自分の頭上に魔法の気配を感じ取った。
咄嗟に、ノエルが身をひるがえした時、足元を落雷が貫いた。寸前でかわしたものの、これだけの猛攻を前にしても、ノエルの表情は常に冷静だった。
「防戦一方だな。反撃はないのか?」
「お前も、狙いが甘いみたいだけど。まだうまく同化できてないんじゃない?」
ノエルは、吸血王の攻撃が以前ほど的確でないように感じていた。その指摘が図星だったのか、吸血王は面白くなさそうに顔をしかめた。
「いずれ馴染む。それに、貴様を消す程度のこと、今のままでも造作もない」
次の瞬間、炎が渦を巻きながらノエルに牙をむく。ノエルはすぐに身をひるがえして逃れようとしたが、炎は追尾するように回り込んでくる。
炎が絡みつくように彼女を捕えようとした寸前、何かが吸血王の視界を遮った。
「ノエルちゃんは! あたしがやらせないから!」
スズは、吸血王の前に姿を現すと、そのまま両手の剣を突き立てた。
「貴様……。どこから現れた?」
スズの奇襲を初めて目にした吸血王は、自分が接近を見逃したのかと疑った。剣は吸血王には届かず弾かれたが、ノエルを包囲していた炎は消え去ったようだ。
「…………! ええい。邪魔だ、剣士の女!」
吸血王が、スズを追い払おうと視線をそちらに向けようとした時、彼はどこからか魔法詠唱による魔力を感じ取った。
魔法を詠唱していたのは、ノエルだった。スズは、その隙に地面へ着地すると、すかさずノエルを見つめた。
「ノエルちゃん!? ヒールしかできないでしょ!? そんなことしても、こいつには意味なんかないよ!」
しかし、ノエルはただ目を瞑ったまま、なにか準備をしているかのように詠唱をつづけた。
「スズ、君の姿を消せる力ってすごいよね。そんなの今まで見たことないよ」
「こ、こんなときに何を言って!?」
「魔族には、珍しくないけどね。でも、人間にも、たまにいるんだ。君みたいな力を持った人が。その力は、魔法みたいに習得できるものじゃない。その人だけの力なんだ」
ノエルはじっと動かず、口だけを動かすようにスズに続けた。
「最強の盾も、前に遺跡であったフリズも、たぶんその一人だよ」
次第に、ノエルの周囲を包み込むように風が舞い始めた。
「スズ、私は――――」
「ヒールしか使えないわけじゃないんだよ」
次の瞬間、夜空を突き破るように、黄金の光がノエルの周囲に降り注いだ。
「ノエルちゃん……これって?」
スズは、治癒以外の魔法を操るノエルを驚きながら見つめていた。
吸血王もまた、何も言葉にせず、周囲を見回していた。しかし、それはいつもの余裕のある顔ではない。明らかに、警戒を強めていた。
吸血王には、ノエルの詠唱を中断させることはできたはずだった。だが、絶対的強者の慢心が、それをさせなかった。
無敵の存在は、生まれて初めて身構えた。
「アスヴァール、お前が今まで無敵でいられた理由を教えてあげるよ」
ノエルは、吸血王に静かに語りかける。
「それは、お前が、地上の魔法しか相手にしてこなかったからだ」
「…………貴様、何をわけのわからぬことを」
「アスヴァール、今からお前が、その身に受けるのは――」
「天界の魔法だ」
ノエルの周囲に漂う風が、一層強くなる。いくつもの光の筋を垂らしている空を睨みながら、吸血王は焦った様子で口を開いた。
「天界……ハッタリはやめておけ。そんなもの、ただの聖職者に使えるものではない。難度やマナの問題ではない。人間では、出力が足りぬのだ。威力が出せなければ、なんの意味もない」
「そうだね。私では扱えない。だから、あの日、お前に敗けた」
スズは、これから何が起こるのかわからずに、ただ心配そうにノエルを見つめていた。
「ノエルちゃん。使えないんだったら、いま空から降ってきてる光は一体……」
「スズ、私はいつもヒールを君にかけてたよね」
「え? う、うん……凄く助かってたけど」
「私は、ヒールを唱え続けた。毎日、毎日。アスヴァールを封印したあの日からずっと」
天空の光が、より強まる。今すぐ目の前の聖職者を消さなければ危ないと、吸血王の本能が告げていた。
「一日だって欠かしたことはなかったよ。だから、今なら使えるんだ」
「貴様……。戯言をォ!!」
「アスヴァール! 私の持って生まれた力は『反響昇華』! 同じ魔法を使い続けるほど、次の一撃の威力が増すんだ!!」
ノエルが叫ぶのと同時に、吸血王は赤い瞳で彼女を鋭く睨んだ。何かが自分に向けて発動されようとしている。その前に、なんとしても吸血王は彼女を止めなければならなかった。
ノエルを目掛けて真紅の炎が襲い掛かった。だが、
「聖職者殿! わが身に代えても、お守りいたします!!」
フォルスラン兵の指揮官であるレオハルトが、ノエルと吸血王の間に入り、大盾を高く掲げた。
「ぐっ……! 長くはもちません! どうか、ルミエラを……世界をお救い下さい!!」
「ありがとう、指揮官の人。君の勇気は、この瞬間、世界を救う一歩になったよ」
「…………! その言葉、痛み入ります!!」
吸血王は明らかに狼狽えていた。今まで味わったことない焦り。無敵の体があれば、どんな相手だろうと問題にはならなかった。
「人間どもめ! どけェ! いますぐ、その聖職者を…………!?」
突然、漆黒の幕が引き裂かれたように夜空が光に包まれていく。そして、吸血王の頭上に、光の筋が巨大な文様を描き始めた。
やがて、文様は、八芒星となって天空を覆いつくした。
「馬鹿な……。これは、本当に天界の……」
「アスヴァール。お前が、最強最悪で、無敵の魔族でいられた時代も、もう終わりだ」
「貴様、待っ!!」
吸血王が声を上げた瞬間、八芒星から黄金に輝く光の柱が放たれ、一瞬で大地を貫いた。
激しい轟音が、ルミエラに鳴り響く。
「永劫滅却の星光――――、私が使える中で、最も威力のある魔法だよ」
スズとレオハルトは、しばらく呆けた様子で、光の柱が消えていくのを眺めていた。
その跡には、強い衝撃でえぐり取られたような窪みが残されていた。ノエルは、窪みの中心に向かって歩き始める。
「ぐ……ノエルか……。こんなやべぇ魔法使えるんだな……」
窪みには、先程までは吸血王アスヴァールだった吸血鬼の青年が、地面に横たわっていた。自分のことを『ノエル』と呼ぶ声を聞いて、彼女は駆け寄り、倒れている青年の前でしゃがみ込んだ。
「ルカなの!? ごめんね。すごく痛かったと思うけど……」
「いや、よくやった……ノエル。でも、まだ終わってねぇよ。……今はあいつが気絶してるだけだ……。俺にはわかる」
ノエルは、久しくルカと会えていなかったような感覚だった。思えば、昨晩、教会で別れたきり、初めて交わす会話だ。
「あんま時間もねぇけど……。ノエルなら、なんとかしてくれそうだな」
ルカは強がるように笑みを浮かべる。ノエルは、そんな彼を悲しそうな目で見つめながら、口を開いた。
「ねぇ、ルカ。少しだけ、いいかな?」
「…………? なんだよ……」
ルカは、全身の痛みに耐えながらも、不思議そうな顔でノエルに返事をした。
「私はね。ずっと魔族を倒すためだけに生きてきて、教団に言われるままに狩り続けてきたんだ」
「魔族を狩り続けることが、ずっと自分の人生の意味だと思ってたんだ。でも、あの日、成すすべもなく死にかけて、それになんの意味があったんだろうって、心が砕けかけてた」
「そんな私を、君は救ってくれたんだ。意味なんて、そんなものなくていいんだって思えるようになったんだよ」
次々と溢れ出る言葉を、抑えることが出来ず、ノエルは声を出し続けた。そんな彼女を、ルカは何も言わずに眺めている。
「君が目を覚ました時は、本当に嬉しかった。封印の後遺症なのかな。記憶は失っちゃってたけどね」
「それから毎日一緒にいて、ご飯を食べたり、街に出かけたり…………。人間として生きる君は、ほんとにだめな奴で、寝てばかりだし、世話も焼けるし、君のせいでしっかり者になっちゃったよ」
ルカは、黙ったまま、少しだけ顔をしかめて笑った。
「き、君と……そんな風に過ごして……ただ楽しくて」
「強くないくせに……私を……守ってくれようとして」
「洞窟の時も……あ、あの日みたいに……助けて……くれて」
「それから……、それから……」
「おい、ノエル」
ノエルは、感情が抑えられず、自分でも何を言っているかわからなかった。
ルカは、ノエルを静止すると、静かに優しく呟く。
「言いたいことがあるんだろ?」
ルカの言葉に、彼女は震えながら声を上げた。もう、ルカがどんな顔をしているかさえ、わからない。
「い、いつも、そばにいてくれて……ありが……とう……! 幸せだった……よ……」
「私……! い、生きてて……良かったぁぁぁ……!!」
「……そっか」
泣きわめくノエルを見て、ルカは出来る限りの笑顔で、最後に一言だけ言った。
「やってくれ」
ノエルは、突然切り出されたその言葉に動揺しながら、涙を浮かべてルカを見つめた。
やがて決心がついたように、ノエルは、天空に浮かぶ八芒星に向かって手をかざす。
巨大な光の柱が、ルカを目掛けて落ちてきた。
何度も、ノエルは潤んだ灰色の瞳で真っ直ぐルカを見据えながら。
何度も、ノエルは泣き叫びながら。
何度も何度も、光の柱の衝撃で、大地が悲鳴を上げていた。
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