第23話 夜明けの目覚め⑥ あの日、あの時と重ねて

「見ろよ。ノクトヴァルト城が見えてきた」


「いよいよ吸血鬼の根城ってことですね、ヴァルグリム」


森の木々を抜けると、視界が一気に開けた。前方のはるか遠くに、巨大な城が見える。


「あの城に魔王軍幹部がいるんだろ? ちょうどいいな。そこらの魔族じゃ飽きてきたころだ」


「も、もう少し貴方は勇者らしくできませんか? いつも戦闘のことばかり……」


小綺麗に整えられた鎧を身に着けた剣士が、ヴァルグリムと呼ばれた戦士に向けて苦笑いをした。


「何言ってんだよ。俺は腕試しできる! 世界は平和に近づく! いいことばっかだろ?」


「腕試し感覚で魔王討伐に出ないでくださいよ。あと、あまり先に行かないで下さい。彼女たちも女性なわけですから、貴方が合わせるべきですよ」


「……仕方ねぇなぁ。おーい! 早く来いよ! レヴリ! ノエル!」


ヴァルグリムから少し遅れて、二つの人影がゆっくり追いかけていた。一人はローブに身を包んだ薄紫色の長髪の魔法使い。そして、もう一人は銀色の髪の聖職者だ。


「はぁ……はぁ……あんまり先に行かないでほしいです……。クラウスも、ちゃんと彼を止めてください……」


「申し訳ない……。これでも止めてるんですけどね」


ヴァルグリムに言っても無駄と分かっているのか、レヴリはクラウスに詰め寄っている。マイペースな勇者と、不満を募らせる魔法使い。クラウスは、板挟みにあってため息をついている。


「まったく……ノエルさんも困ってますよ?」


レヴリは、隣で涼しい顔をしたノエルを指さして訴えかけた。


「なんでもいい。早く急ごう」


ノエルは、冷たく光る灰色の瞳で、敵の居城を見つめたまま呟いた。


ノエルの冷めた態度に、レヴリは気まずそうに慌てると、足早に歩き出す。クラウスは、ヴァルグリムの横に立ったまま、二人を心配そうな顔で見守っていた。


「おい、ノエル。もう少し肩の力抜けないのかよ。レヴリもクラウスも、やりにくそうだろうが」


ヴァルグリムの視線は、城の周囲を見渡したまま、ノエルに注意をした。それを気にも留めない様子でノエルは歩いてくる。


「楽しい冒険ごっこがしたいの? だったら帰った方がいいよ。私は一人で行く」


「ちっ……こえぇな。教団の聖職者様はよ」


「それ、関係ある?」


ヴァルグリムとノエルは、一瞬の間だけ睨みあった。しかし、ヴァルグリムは諦めた様子で、再び城の方へ視線を戻す。


「まぁ、ねぇな! 吸血王アスヴァールさえ、倒せればいい。そうだよな」


レヴリとノエルが追いついたのを確認すると、ヴァルグリムは前へと歩き出した。


「とにかく陽が沈む前に乗り込もうぜ! 夜じゃなけりゃ吸血鬼なんてただの魔族だろうからな!」


ヴァルグリムは、豪快に笑いながら三人を先導するように進んでいった。








しかし、完全に読みが甘かったようだ。


ノクトヴァルト城の正門を抜けた先には、広大な中庭が広がっていた。四人は息も絶え絶えに、中庭の地面に膝をついている。


「全くの予想外だったぜ……こんなのありかよ……」


「おかしい……。僕らが城に到着した時は……間違いなく太陽が昇っていました……」


「そうだよな……けど、どう見たって頭上にあるのは夜空じゃねぇかよ!!!」


空には漆黒の闇が広がり、欠けた月が怪しく輝いていた。そして、月光を背に、夜よりも深い黒のマントを風に揺らしながら、吸血王が優雅に舞っていた。


「それは驕り。それは自惚れ。くだらん連中だ。余の周囲には常に夜の帳が下りている。陽がどうだろうと関係ない」


「で……でたらめ過ぎます……常に無敵ってことじゃないですか……」


絶望の表情を浮かべ、レヴリは両手を地面について俯いていた。


「……みんな、退こう。逃げれるかわからないけど……、勝つのは不可能だよ」


ノエルは、ゆっくりと立ち上がると、痛みに震える体を抑えながら声をかけた。


「……ノエル。俺は退かないぞ……。……戦いから逃げるのは、死ぬよりつらいからな!」


ヴァルグリムは、勢いよく立ち上がると、背丈ほどある大剣を地面に叩きつけた。大剣は、徐々に光に包まれていく。


そして、宙に浮かぶ吸血王をめがけて、ヴァルグリムは跳躍して斬りかかった。


「なるほど。その光は、魔族が苦手とする魔力だな。貴様はそれを剣に付与したというわけだ」


ヴァルグリムが渾身の力で斬りつける。しかし、呆気なく剣は弾かれ、彼は空中で大きく体勢を崩してしまった。


「学習しない奴だ。闇の中では余に攻撃は届かん。……灰になるがいい」


吸血王の一声で、ヴァルグリムの体が真紅の炎に包まれた。だが、よく見るとヴァルグリムの体を大きな泡のような球体が守っているようだ。炎は、彼の体まで届かず、致命傷は免れた。


「ギリギリ……間に合いました……。炎魔法に耐性のある防護魔法です……」


レヴリの持つ杖が、ヴァルグリムに向けられていた。彼は、レヴリの方に笑顔で親指を立てると、大剣を空中で構え直した。


しかし、吸血王は全く動じることなく、むしろどこか残念そうな顔で、目の前の勇者を憐れむように見ていた。


「だから学習不足だと言っているのだ。余の魔法はマナごと喰らう。防護も例外ではない」


炎が防護を突き破り、ヴァルグリムの体へと絡みつく。彼は焼かれる苦しみから耐えるように歯を食いしばっていた。


「アスヴァール……てめぇ……構えも詠唱もなしで……こんな無茶苦茶な魔法……」


「そんなものは、余には必要ない。視界内であれば、いつでも魔法を召喚できる。貴様らに、それを教えてやったところで何も変わらんがな」


次の瞬間、横から巨大な氷塊がヴァルグリムの体に炸裂する。あまりに強い衝撃は彼の肉体を貫き、体が中庭の石壁を突き破った。石壁の向こう側は、崖だ。そして、ヴァルグリムは今まさに落下しようと空中に浮いていた。


吸血王がヴァルグリムを睨むと、彼の体は真紅の炎と共に激しい爆発を起こした。


誰もが息を呑み、立ち昇る黒煙を見つめていた。次第に煙が薄れていくと、そこには既に何も残っていなかった。


「ヴァルグリム……!!」


クラウスは、仲間の死を受け入れられずに、ただ呆然と石壁に空いた大穴を眺めていた。


ノエルは、次の吸血王の一撃を警戒するように構える。


そんなノエルの腕を、突然レヴリが掴んだ。


ノエルには、レヴリの意図が分からず、恐怖に気が触れてしまったかと抵抗した。


「一体なに……!? お前……おかしくなっ――――」


「ノ……ノエルさんは……逃げてください……」


消えてなくなってしまうような、震えた小さな声は、ノエルを困惑させた。しかし、理解する時間も与えぬまま、レヴリは魔法を唱えた。たちまち、ノエルの体をキューブ状の防護魔法が包み込む。


「ノ、ノエルさんが、この中で一番生き残る確率が高い……それに貴女は強いから……きっといつか吸血王を倒してくれる……気がする……」


「こんなことやめて! 逃げるなら、全員でだ!!」


「全員は無理です……逃げ切れるイメージができません……」


レヴリの薄紫の髪が風で揺れている。うつむく彼女の顔は見えなかったが、震える声を聞けば、どれほどの覚悟があるのか、ノエルには伝わってきた。


「あーあぁ……こんなことなら……ノエルさんと、もっと仲良くなりたかったです」


レヴリは満面の笑顔で、ノエルに微笑んだ。わかっている。彼女が必死に作り笑いをしていることを。とてつもない恐怖に耐えながら、彼女は笑顔で見送ろうとしている。ノエルは、そう察すると胸が締め付けられる思いだった。


レヴリがノエルに杖を向けると、その瞬間、ノエルの体は正門の方へと、閃光のような疾さで吹き飛んでいった。やがて、ノエルが見えなくなるのを確認すると、レヴリは吸血王の顔を精一杯の勇気をもって睨んだ。


「レヴリ、君の判断は正しいと思います。ここを死守しないといけませんね」


「ありがとう……クラウスさん。絶対にここは通しません……!」









気がつくと、ノエルは森林に囲まれた岩肌で寝ていた。遠くにノクトヴァルト城が見える。彼女は、仲間によって救われた命をどうしたら良いかわからずに、ただ呆然としていた。


やがて、雨が降り出した。大粒の雨は、ノエルをあっという間に濡らす。まるで、ノエルの代わりに空が泣いているようだった。


ノエルは、雨宿りができる場所を探した。周囲を見回すと、ちょうど良いところに洞窟がある。


歩き出そうと体を動かすと、全身に激痛が走る。足を引きずりながら、なんとか洞窟までたどり着くと、地面に腰を下ろした。


「女神の刃……教団の魔族殲滅部隊……その私が……このザマじゃ……」


視界がぼやける。勇者を失い、魔族に手も足も出ず、女神の刃としての心も折られた。ノエルには、もう何もなかった。


「あぁ……いっそこのまま……目を閉じて……永遠に……」


「聖職者が、こんなとこで何してんだ?」


突然、誰かの声が洞窟内を反響した。誰だろう、とノエルは弱々しく声の方へ視線を向ける。霞んだ視界の中で、ぼんやりと人影が見える。


そこには、吸血鬼の青年が立っていた。赤い瞳で、顎あたりまで伸びた黒髪。ここは、吸血鬼の根城だったことをノエルは思い出した。


「私が息を引き取ったら……好きにしていいから……お願い。今はこのまま……寝かせ……」


「傷だらけだな。ってか聖職者なら自分で治癒できるんじゃないのかよ?」


「もう……いいよ…………。魔族を殺すために生きて…………それも失敗して……空っぽな私を……食べたければ食べれば……」


「さっき、熊を狩ってきたからいらねぇや。人間なんて食ったことないしな」


なんなのだろう、この吸血鬼は。ノエルは痛みと寒気に苦しみながらも、目を細めて、不思議そうに、その吸血鬼を眺めていた。


「お前、もしかしてマナがもうないのか?」


吸血鬼はしゃがむと、こちらを覗き込んでくる。


「うーん……。やったことないから勝手がわかんねぇけど」


そう言うと、突然、吸血鬼はノエルの肩を掴んで抱き寄せる。


「ごめんな。たぶん、痛いぞ」


吸血鬼はノエルの左肩近くの首元に噛みついた。


首元に鋭く強い痛みが走った。ノエルは、思わず顔をしかめ、吸血鬼の服を力一杯掴んだ。


あぁ。使命を果たせない自分には、静かに眠ることも許されないのか。ノエルは、自分の運命を呪いながら、首の痛みに身をゆだねた。


「あ! やべ……思わず血吸っちまった!」


突如、吸血鬼は焦った様子で、ノエルから飛び退いた。


「うぇぇ……人間の血ってなんか変な味だな……」


なんだか失礼な奴だな。だったら最初からそっとしておいてほしかった。ノエルは、はっきりとした視界の中で、吸血鬼を見つめていた。


「あぁ……悪かった……。でも、これでマナが少し戻ったんじゃねぇかな?」


「え……?」


目の前の吸血鬼は、楽し気に笑っていた。鮮明に視界がひらけている。試しに治癒魔法を唱えてみると、みるみる傷が癒えていった。


「うまくいったみたいだな! じゃ、あとは一人で帰れそうか?」


ノエルは、自分を助けた魔族をずっと眺めていた。自分に手を差し伸べて嬉しそうに笑う魔族。その時、自分の使命なんてどうでもいいことだと、心の枷が外れるのを感じた。


「あ…………」


「ありが……とう……!」


ノエルは、この名も知らぬ吸血鬼に救われたのだ。


「お、おい! 帰りたくなかったのか? なんだよ、泣くなよ」


ノエルは、感情に任せて吸血鬼にしがみついた。顔をうずめていたので、いくら言葉を発しても声は響かない。吸血鬼は、対応に困っていたが、しばらくはこのままにしてやろうと、体の力を抜いた。


「俺の名前はルカード、お前は?」


吸血鬼の優しい声だけが、洞窟にこだました。

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