第22話 夜明けの目覚め⑤ 唯一の生き残り

フォルスラン城の城内、月明かりに照らされ、宙に立つルカ。


いや、かつてルカだった者は、自身のことを吸血王だと告げた。


圧倒的な存在を前に、スズは為す術もなく座り込んでいる。奴はもうこの世界にいないはずだ。王国の人間なら誰もが知っていることだ。何故なら、吸血王は勇者によって封印されたはずだからだ。


「あぁ……夜風が身に染みる。心地良いものだ。肌の感覚など、しばらくぶりだ」


吸血王が肌を撫でながら、解放の喜びに浸っている。そして、怯えて震えている少女に、自分が封印されてから、どの程度の時が経ったか尋ねた。


「に……二年……くらい……」


それを聞いた吸血王は、一瞬だけ怪訝な顔をしたが、すぐに声を上げて笑い出した。


「たったそれだけだと? 笑わせてくれる。封印の縛りは余程甘かったようだな。あやつも所詮はその程度か」


「ゆ、勇者は……自分の命を犠牲にしてまで……お前を……」


スズが声を震わせながらも、この世界のために戦ったとされる者の尊厳を守るように、必死に抵抗の言葉を呟いた。しかし、吸血王の反応は薄かった。ただ冷徹なだけかと最初はスズも思っていたが、それは違うようだ。不思議そうな、何を言っているかが理解できない様子で、スズを見ていた。


「勇者? あぁ、あの戦士か。やっと思い出したぞ。そいつが、どうしたというのだ?」


「お前を封印したのは勇者なんだろ!」


「……ふむ。なるほど、理解したぞ。大した美談になっているようだ。あの女、面白いことをする」


美談? あの女? スズには、目の前の魔族が何を言っているのかわからなかった。


「その勇者とやらが、余を相手に奮闘し、封印まで施した、そう聞かされているんだな?」


吸血王は、自身の首元から胸の順に優雅に指でなぞりながら続けた。


「あの戦士は余に対して、傷どころか、指一本触れられずに散っていったぞ」


「…………!? そんなはずは……!」


「余に対して、滅ぼすだの、世界を救うだの、意気込んでいたがな。何もできずに塵になったわけだ。あの戦士だけじゃない。連れていた愚か者どもも一瞬で灰にしてやった」


誰もが知っている話とは、あまりに違う事実に、スズは困惑していた。


「しかし、だ。たった一匹だけ逃してしまったんだ。余としたことが、不覚であった。我らの地を脅かす侵入者どもを狩り切る前に、まさか封印されてしまうとは」


吸血王は、手で頭を押さえながら肩をすくめた。


「復活の手始めに、まずはその女を狩りに行くとしよう。……だが、その前に――――」


騒ぎを嗅ぎつけた城中の兵士が、吸血王のもとに集まってきていた。皆、戸惑いながらも宙を舞う強大な敵相手に剣を向けていた。


「こいつらを始末しないとな」


突如、兵士たちの足元から無数の氷の槍が轟音と共に姿を現した。それらは、天を目指して伸び上がり、彼らを貫く。


その間、吸血王は優雅にただ舞っているだけだった。魔法を詠唱した様子は全くなく、手を後ろで組んだまま、ただその景色を楽しんでいるだけだった。


「ふむ。寝起きにしては、上々」


続いて、眩い光を放ちながら何度も稲妻が大地に降り注いだ。雷鳴が響き渡り、大地が震わす。


瞬く間に、兵士たちは半壊し、直撃を免れた者も地面へ倒れこみ、怯えているだけだった。


その時、一人の男が、吸血王の前に姿を現した。


「我こそは、フォルスラン城を守護する兵の指揮官、レオハルト! 吸血王、覚悟せよ」


精巧に彫刻が施された銀色の鎧を身に着け、ひるがえしたマントには家紋が輝いていた。背中に紋様が描かれた大盾、腰には美しい細工の入った剣。どこか、他の兵とは違う雰囲気を醸し出していた。


「指揮官殿……!」


スズは、レオハルトという指揮官を知っていた。ダールケイン家の支配以前から、フォルスラン城を守っていた貴族出身の男だ。そして、親衛騎士団や本家の人間が幽閉される中、唯一立場を奪われず、その責務を全うし続けた者でもあった。


「ほう。貴様、微小だが神聖な力を感じるな?」


「教団で数年ほど修行を積んだ。魔族狩りは慣れている」


そう言うと、レオハルトは剣を抜き、大盾を構えた。その剣は、夜空の下であっても尚、純白に光を放っていた。


次の瞬間、吸血王の体を一筋の閃光が襲った。


レオハルトが構えた剣から、一直線に光の軌跡が描かれていた。スズは、生涯の中でフォルスラン家の者として戦いに参加したことはない。その為、レオハルトの剣技は話には聞いていたものの、実際に目にするのは初めてのことだった。


「破壊の光刃。対魔族に特化した魔力のこもった剣だ」


「なるほど……よい剣だ。しかし、残念であったな」


吸血鬼を貫いたと確信した。しかし、放たれた光は、敵の前で飛散し、さらさらと舞うだけだった。


「夜の帳は既に下りている。闇の中では、如何なる攻撃も余には届かん」


それでもレオハルトは、剣を構え直し、冷静に言った。


「そうだろうな。だが、私はそれでもお前に撃ち続ける」


またしても、光の筋が吸血王に向けて放たれた。が、やはり手前で散り散りに消えてしまう。


「何度やろうとも、同じことだ」


「それでも撃ち続けなければならないのだ。私が諦めれば、もう城を守る者はいない」


レオハルトは、感情に揺れることなく、真っ直ぐに吸血王を見据えていた。そして、剣を構え、何度も吸血王へ光の攻撃を放つ。しかし、そのどれもが届かず、ただ虚しく消えゆくのみだった。


「貴様はもういい。飽きたぞ」


一度ため息をつくと、吸血王は腕を背後で組んだまま、冷たく赤い瞳でレオハルトを睨みつける。その瞬間、レオハルトの全身に真紅の炎が襲いかかった。


だが、レオハルトの身体は微かに光で包まれていた。彼は耐え忍ぶように歯を食いしばり、大盾を掲げている。


「ふむ。魔族の魔法に耐性がある盾か」


吸血王は、大盾を観察するように眺めている。そして、次第に、その口元は笑みを浮かべていく。


「だが、勉強不足だ。余の魔法は、マナごと喰らうぞ」


レオハルトは、徐々に息が荒くなり、力が抜けていくのを感じた。それでも耐えるように、震える腕で大盾を掲げていた。しかし、それも限界が近づいてきたのか、彼は膝をつき、やがて、その身は炎に焼かれていく。


「ぐうううう……!! わ、私は諦めない……! この身が焼きつくされようとも!!」


「指揮官殿! なんで、そこまで!」


その姿に耐えかねたスズは、咄嗟に声を上げた。ルドガーに従っていたこの男が、なぜここまで命を賭けるのか不思議だった。


「私は……! フォルスラン家への恩義に背き……権力に下った男だ!」


レオハルトの身体を炎が蝕んでいく。必死に大盾を掲げているが、既に効力はほとんど薄れている。


「襲撃の夜に待機を命じられた時も、私は動けなかった! 民が傷つくのをただ見ているしかできなかったのだ!」


「だが……今も幽閉されているあの方が帰る場所だけは、守らねばならない!」


「我が名にかけて!! フォルスラン城だけは、守らねばならないのだ!!」


その時だった。




「封印、やっぱり解かれたんだね」




突如として、一人の女性がその場に現れた。


気配が感じ取れなかった吸血王は、咄嗟に振り向く。銀色の髪に、純白の装束、そこにいたのは――。


「探す手間が省けたな。貴様からやってくるとは。今度こそ余に消されに来たか」


ノエルが吸血王の前に立っていた。白いローブを風になびかせながら、鋭い目で見上げている。


吸血王の視線がレオハルトから離れたからか、真紅の炎は既に消えていた。彼は、膝をついたまま、ノエルの方へ視線を向けると、かすれた声で叫んだ。


「聖職者殿!」


「休んでていいよ。君は精一杯頑張ったと思うから」


「しかし! まだ私は戦えます!」


「戦える、じゃ駄目なんだよね。君はあいつに勝てるの?」


「それは……」


「ないなら足手まといだよ。世の中どうにもならないこともある。だけど――」


「君がさっきまで魔王軍幹部相手に必死に抗った些細な抵抗は、もしかしたら誰かを救うきっかけになるかもしれないけどね」


ノエルは、優しく彼に告げた。


「だから、十分だよ。あとは任せて休んでて」


レオハルトは、頭を少し下げると、ノエルを信じるように後退した。


「ふん。貴様も偉そうによくそんなことが言えたものだ」


吸血王は、ノエルを見下すように冷たい目で睨む。やがて、不気味な笑みを浮かべながら続けた。


「あの日、余の前から愚かにも一人で逃げ出し、生き延びた貴様がな」


その言葉を聞いたスズは、驚愕した表情でノエルを見つめた。


ノエルちゃんが、勇者と一緒に? 一人だけ生き残りがいるというのはノエルちゃんだったの?


当然、スズにはそんなことは信じられなかった。


「そうだね」


「仲間を見捨て、生き永らえて、今さら余の前に出てきて何になる?」


先ほどまで鋭く睨んでいたノエルの目は、徐々にどこか遠い目で何かを思い出しているような、寂しそうな目へと変わっていく。


「約束だからね。迎えに来たよ。ルカ」


いつもの優しい目で、ルカを見つめた。ノエルが見ているのは、吸血王ではない。確かにルカだった。

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