第21話 夜明けの目覚め④ 封印された名

ルミエラの街の中央にそびえ立つフォルスラン城。


その城内の敷地では、一つの死闘が終わりを迎えようとしていた。


月明かりに照らされたルカの足元には、巨大な鎧が転がっている。リビングアーマーという手駒を失ったルドガーは、ひどく狼狽えながらも、痛手を負ったルカに追い打ちをかけようと兵士へ命令を下した。


「兵士ども! この小僧は瀕死だ!!  さっさと殺せ!!」


しかし、兵士たちは前に出ることを躊躇していた。先ほど、炎で焼かれるリビングアーマーを見てしまった彼らは、それが自身にも起こりえることだと恐れていたのだ。


ルカが、左肩に刺さった大きな片刃の剣を抜くと、服を痛々しく真っ赤に染めた。激しい痛みに耐えながら、ただ、息を荒くして立っている。片刃の剣が、音を立てて地面に転がった。


「くっ……! 小僧ォ……どうした!? 来ないのか!? 我に手を出せば死罪だがな!」


ルドガーは苦し紛れに挑発する。自分が貴族であることを盾にはしているが、もはや、今の状況で効果が薄いことも理解はしていた。しかし、幾ら挑発や罵倒をしても反応をしないルカを見て、ルドガーの口元に薄笑いが浮かんだ。


「小僧ォ……貴様、マナがもう尽きたな? しかも、その出血だ。体も限界なのだろう!?」


ルドガーは高笑いをしながら、再び兵士たちへ命じる。


「兵士ども。こいつはもう魔法は撃てない。さっさと突撃しろ」


兵士たちは互いに顔を見合わせていたが、やがて一人、また一人と様子を伺うように前進を始めた。


あっという間に兵士たちは、ルカを取り囲んだ。ルカは、乱れた呼吸を確かめながら、周囲に警戒を向けた。


兵士の一人が、ルカに向けて剣を振り下ろした。ルカは、左肩をかばうように右手の剣で迎え撃ったが、すぐに別の兵士も斬りかかってきたことを察知する。なんとか避けようと片足に重心をかけた。


しかし、先ほどの鎧との戦いで負った膝の傷が痛み出す。咄嗟に重心を戻そうとするが、体勢を崩してしまった。その隙を、兵士の剣が襲い掛かった。


次々に襲い掛かる兵士の猛攻に、防戦一方のルカ。次第にその体に傷を負っていく。


「ははは! どうなることかと思ったが! これで終わりのようだなぁ、小僧!!」


「ル……ルカ君……逃げ……」


ルドガーの足元で、スズが掠れた声で呟く。その様子を見ながら、ルドガーはスズの首枷に繋がれた鎖を引っ張る。


「貴様らには手を焼いたものだ……そもそも貴様らがいなければ昨晩で決着がついていたんだ」


ルドガーの言葉に、スズは怪訝な顔で返す。


「昨晩で決着って……」


「ヴァイパーの役立たずめ。無駄金だったな」


スズは一瞬動揺したが、すぐにルドガーを睨みつける。


「ヴァイパーってたしか賊の……や、やっぱりお前が……!」


「我があの役立たずを指名したわけではない。便利屋が勝手にやったことだ」


「便利屋って……一体……」


「我は言われた通り、街から兵士を退かせたというのに」


「!?……じゃあ襲撃の時に兵が来なかったのもお前が……!」


「その通りだ、小娘。でなければ能無しの愚民どもが、いつまでの我の街に居座るだろうが」


ルドガーは冷たい目でスズを見下ろしながら、続ける。


「あの場所を愚民どもから奪い、我の望む街へと作り変える予定だった。だが、襲撃は中途半端に終わってしまった。また別の方法を考えねばな」


「お前の好き勝手になんて……!」


「ふふふ。賭博、麻薬、娼館……手段は択ばん。囚人どもを受け入れて強制労働なんてのもいいな……」


ルドガーは歪んだ表情で楽しげに語っていた。


だが、その時、ルドガーの首をめがけてルカが飛び込んできた。傷だらけになりながらも、力を振り絞った一撃を放つ。


「小僧ォ!? ………だがな」


しかし、ルドガーは素早く腰から刺突剣を抜くと、ルカの首元めがけて鋭く突きを放った。決死の奇襲も虚しく、ルカは後方へ倒れ落ちた。


「舐められたもんだ。我に剣の覚えがないとでも思ったのか」


「ル、ルドガー様……申し訳ありません! こいつ、すごい力で我々をはね退けて……」


「ちっ……いいから早く小僧の首をはねろ」


「わ、わかりました!」


兵士たちはルカを押さえつけると、断頭の構えをとった。


「良いことを思いついたぞ! こいつも呪縛で人形にしてやろう。良い見世物になりそうだ」


「ルカ君……」


「そして小娘、貴様は奴隷の商品として並ぶのだ。きっと金を生む良い街になるぞ! ははははは!!」


「ルカ君!!」


その刹那、ルカを押さえていた兵士の一人が悲鳴を上げた。ルドガーは、何事かと兵士に目をやると、兵士の腕からは大量の血が流れていた。


「小僧ぉ…………一体何をしている!?」


ルカの鋭い歯が、兵士の腕に深く食い込んでいた。そして、自分を押さえつけていた兵士たちの腕を振り払うと、その一人の首に襲い掛かる。


スズはただ驚愕し、恐怖していた。彼女の知っているルカではない。それは、鋭い目を真っ赤に染めながら、獲物を喰らう魔獣のように見えた。


やがて、目の前の兵士が動かなくなるのを確認すると、別の兵士を睨むように向き直った。ルカの顔には、もはや憎悪や怒りの感情は見られなかった。ただ、冷徹に小動物を狩る獣のような目だ。


ルドガーは、唖然とその光景を眺めていた。あまりのことに腕に力が入らず、手から離れた剣と鎖が、金属音を響かせて地面に落ちた。


「な、な、なんなのだ……! 貴様……! に、人間じゃ……な、ない!」


怯えるルドガーの声に気が付いたように、ルカがそちらに振り向く。恐ろしく尖らせた目でルドガーを睨みながら、ゆっくりと近づく。彼の口元は血で汚れていて、まるで魔物だった。


ルドガーは、その底知れない恐怖に腰が抜け、その場に尻もちをついた。震える体を無理に動かし、四つん這いのまま必死に這いずり逃げた。


その様子をルカは目で追いながら、ゆっくりと追いかける。


「ルカ君! ……君は、ルカ君なんだよね……?」


スズの震えた声が響いた。ルカは、一瞬足を止め、静かにスズを見下ろし、口を開いた。その声は、いつもの聞きなれたルカの声ではなく、低く重い声だった。


「俺は――――」


ルカが何か伝えようとした瞬間、彼の体が真紅の炎に包まれた。炎は激しく燃え上がり、柱のように空へと昇っていく。その炎は、禍々しく、まるで意志を持って怒り狂っているかのようだった。







気がつくと、ルカは月明かりの下、見慣れない洞窟の前に立っていた。


何が起こったのか理解しようと、周囲を見回す。振り返ると、そこには巨大な城がそびえ立っていた。


「これは……フォルスラン城じゃない。というより……ここはルミエラじゃないのか?」


混乱を振り払いながら、ゆっくりと思い出す。フォルスラン城で、兵士たちに押さえられたところまでは覚えていた。


「えぇぇ……。ってことは、ここはあの世ってやつか?」


肩をすくめながら小さくため息をつく。


「ずいぶんと物々しいとこだな、あの世ってやつは」


ルカは、しばらく城を眺めていた。しかし、ふと、懐かしい気持ちが湧いてくるのを感じる。


「俺はここを知ってるのか?」





「当たり前だ」





突然、不意に声をかけられた。低く、凍りつくほど冷たい声。


ルカは声の主を探すように、空を見上げ、そして、言葉を失った。


漆黒のマントをなびかせ、夜の闇を裂くように真っ赤な羽を揺らしている。


ルカは、この男を知っていた。


男は、ルカと同じ赤い瞳で、彼を見下ろしていた。


「久しいな、我が息子……ルカード」


自分を息子と呼ぶ男を、ルカは眉をひそめて見上げている。


「貴様がここにいるということは…………そうか。血を飲んだな?」


男は、何かを悟ったように口角を上げて笑みを浮かべた。


「血を飲まないという縛りを自分に課したんじゃなかったのか? ルカードよ」


「どうだったかな」


「そうか。しかし、余の封印も、これで解かれるというわけだ。息子の貴様が、自らの手で封印した――――」




「吸血王、アスヴァールのな」




その言葉と共に、吸血王と名乗った男の背後から、幾つもの赤い羽が夜空を舞い上がる。


「また封印してやるよ、親父」


ルカは、吸血王に向けて構えをとった。


「よせ、ルカード。この空間では、剣も魔法も無駄だ。無論、余もな。ここをどこだと思っている」


「もう思い出してるよ。ここは、ノクトヴァルト城。俺ら、吸血鬼の城だろ」


「あぁ、たしかに懐かしのノクトヴァルトだ。貴様の記憶の中の、な」


そびえ立つ巨大な城が、月光を浴び、不気味にその存在感を放っていた。


「貴様、どこに余を封印したのか、まさか忘れたわけではあるまい?」


ルカは何かに気づくと、周囲を見回した。その様子を見て、吸血王は笑いながら続けた。


「そうだ。貴様の魂の中だ」








フォルスラン城内の敷地では、巨大な炎の柱が夜空へ向かって昇っていた。


スズは、その猛烈な風圧に一歩も動けず、ただ荒れ狂う炎を見つめていた。


やがて、炎の中に人影が現れた。ちょうど城壁の高さのあたりだ。すると、次第に炎が人影に吸収されていくように小さくなっていく。


炎が完全に消えると、そこにはルカの姿があった。しかし、異様な様子だった。ルカの背中からは、幾つもの赤い羽が空を舞うように揺れている。


スズは、彼を見上げるように眺めていたが、なんとか声を絞り出した。


「君は……ルカ君なの?」


それに気づいたルカは、スズを見下ろしたまま笑みを浮かべる。


「我が名は吸血王――――アスヴァール」


かつてルカだった者は、低く冷たい声でそう告げた。

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