第6話 真紅の焔① 屍を超えて

平地と自然に囲まれた街『ルミエラ』。


冒険者たちや商人たちが行き交う賑やかな場所で、その一角には、ひっそりと存在する小さな教会があった。


その教会の横には芝生が広がり、一人の青年が寝転がって空を見上げている。


「今日も暇だな……」


青年の名はルカ。もう7日間も街の外に出ず、教会で過ごしていた。


「留守番ってこんな暇なもんなのか。ノエルが王都に向かってから7日かぁ」


「そろそろ戻ってきても良い頃だと思うんだけどな……」


ノエルは、あれでも聖職者だ。


その彼女が所属している教団から、本部がある王都へ招集がかけられたのが始まりだ。


たまにあることだよ、とノエルは言っていた。


留守の間の教会はルカが守っていてほしい、などとノエルに言われ、都合良く留守番をルカは任されているのだった。


王都までは馬車で約一日ほどの距離。ルカとしては、てっきり4、5日程度で戻ってくるもんだと思っていたようだ。


「まぁ……住まわせてもらってる身だから文句は言えないけど」


「けど、こんな寂れた教会に泥棒も強盗もこないだろ……」


ルカはそんなことをぼやきながら、芝生の上でゴロゴロと転がっていた。


そうしていると、何やらギルドのある方角から、男たちが何人かこちらに走ってくるのが見えた。


ルカが眠そうな目で眺めていると、男たちはどうやら教会の方へ向かってきているようだった。


それを見たルカは、何かを察したように体を起こし、腰の剣の柄に手をかけた。


「おい! 誰かいないか――」


「お前ら強盗だな!? こんな教会に金品なんて何もないぞ!」


ルカは近づいてきた男たちに向かって威圧的な声を放つ。だが、男たちは驚いたようにルカを見て、慌てて言い返す。


「お、おいおい! ルカ、何言ってやがる!?」


「ん? あぁ、お前らはギルドでいつも昼間から酒飲んでる連中か……」


はぁ、とため息をつくと、ルカはまたその場に横になってしまった。


「平和だなぁ……」


ルカが、ぽつりと呟くと


「いやいや! 平和なもんか! 事件発生だ!」


男の一人がルカにそう言った。


事件……? ルカが眉を潜めながらも興味を示す。


「近くの森に強い魔物が出たんだよ! それなのに腕のいい傭兵や冒険者は、全員ちょうど出払っちまってる!」


傭兵や冒険者は、ギルドから依頼を受けて生計を立てている。その依頼内容は、魔物討伐やダンジョン探索が主だが、行商や旅の護衛をすることも多い。


最近、近隣の街との往来が増え、多くの冒険者や傭兵が旅の護衛などの依頼を受けて街を離れている。そんな時に限って、森で強力な魔物が現れたという。


「そういえば、ノエルにも護衛で一人騎士がついて行ってたな……」


重装備で頑強そうな盾を持った男が、王都までの護衛としてノエルに同行していた。


「俺だと護衛として役に立たないっていうのかよ……」


ルカは、面白くなさそうに呟いた。


「なぁ。勝手に嫉妬してるところ申し訳ないんだけどよ。ルカにも一応話を――」


「別に勝手に嫉妬してねーよ!」


ルカは苛立ちを覚えながらも男たちの話に耳を傾けた。


「それで? 俺がその強い魔物を討伐しろって話か? わかってると思うけど俺はそんな強くないぞ」


「違う違う! 壁外へ出歩くなって注意しに来たんだよ!」


「あぁ。だったら大丈夫だ。俺は街から出るつもりはない」


「そ、そうか……。ならいいんだけどよ……」


そういうと男たちは、ギルドの方へと戻っていった。


しばらく目を瞑って横になっていたルカだが、なんだかスッキリしない気分になり、ふいに立ち上がった。


「はぁ……。俺もギルドでなんか軽く食べてくるか」


ギルドに到着したルカは、カウンターに腰掛け、適当に軽食を注文した。


大通りのパン屋の方が旨いけど、俺には高いしな……、とルカは食事が運ばれてくるまでの間、呆けた顔で待っていた。


周囲では、冒険者たちが自慢話や愚痴をこぼしている。


自分の先祖は大魔導士だっただの。


あそこの商店の看板娘が可愛いだの。


仲間の弓使いが気に食わないだの。


どれも他愛無い話ばかりで、ルカは興味がそそられなかった。


自分の席に食事が運ばれてくると、ルカはそれを口に運ぼうと手に取った。


その時だった。聞き覚えのある話題が、ルカの耳に飛び込んできた。


「最近ずっと近くをうろついてる魔物の話、聞いたか?」


「もう誰でも知ってるだろ。通りがかった人間を襲って食っちまうって奴だろ?」


先ほどルカが教会で男たちから聞いた話だった。どいつもこいつも、その魔物の話題で持ちきりなんだな、とルカは食事を続けていた。


「しかも、行商や旅の馬車も襲うって話じゃねぇか」


「本当かよ! 森の中にいるって話じゃなかったのか」


「もうすでに何人かやられてるらしいぜ……城の連中は何をしてんだよ」


「被害が出てるのかよ。俺たちは関わらないほうが良さそ――」


陽気に談話していた男たちは、自分たちの席の前にルカが立っていることに気づいた。


「馬車に被害が出たのはどのあたりだ」


ルカが、男たちに詰め寄る。


「な、なんだよ兄ちゃん……」


「馬車に被害が出たのは! どのあたりだと訊いている!」


「く、詳しくは知らねぇよ! けど東の街道だって話だぜ……」


馬車がやられている。そう耳にしたルカは嫌な予感がしていた。


その馬車に、もしもノエルが乗っていたとしたら?


ルカは代金をカウンターに叩きつけると、一目散にギルドを飛び出した。


東の街道へ向かうには、外壁の東門を抜ける必要がある。ルカは、ただただ東門へ向かって走っていた。


幸いなことに、東門は警備が薄かったため、こんな状況でもすんなり街の外へ抜けることができた。





ルカは街道沿いをひたすら走っていた。どれだけの時間が経ったのか、自分でもわからなかった。息はすでに荒く、足元も重い。それでも、立ち止まることなく彼は走り続けていた。振り返ると、ルミエラの城が小さく見える。


もしかしたら、教会に戻ったら既にノエルが帰っているかもしれない。


「思い過ごしかもしれないな……」


彼の心には、そう考えたい自分がいた。


もう少しだけ探したら帰ろうと、ルカがちょうど考えていた、その時。


「あらぁ? おいしそうな坊やを見つけたわ」


突如、背後から聞こえる不気味な声。瞬時に禍々しい気配を感じ取ったルカは、反射的に後方へ二歩下がった。そのとき、彼の全身を恐怖が襲う。背筋が凍りつくような、言い知れぬ威圧感がその場を支配していた。


「うふ。そんな怖がらないでほしいわぁ。大丈夫、痛くしないわよ」


ルカには、その声の主が危険な存在であることがすぐに理解できた。


彼女の上半身は女性の姿をしていたが、下半身は蜘蛛そのもの。長い爪を持つ指先が鋭く光り、紫と赤のまだら模様が走る胴体からは、いくつもの強靭な脚が伸びていた。


「いやねぇ。そんなに熱い視線を向けられると照れるわぁ」


そいつは、じりじりとルカの方へ近づいてくる。近くで見るとわかったが、脚の一本一本が2メートル以上あるため、ルカよりも遥かに大きい。本気で追われたら、絶対に逃げきれないだろう。


ルカは意を決し、問いかける。


「お前が、通行人を襲っている魔物か?」


「いやよぉ。魔物って呼ばれ方はされたくないわね」


「馬車も襲ったと聞いた。本当か?」


「生意気な坊やねぇ。えぇ、そうよ。昨日だったかしら? ここから少し離れたところだったわ。馬車に乗った連中と遊んであげたわねぇ」


「その中に聖職者は、いたか?」


「なによぉ。質問攻めの男は、あたしは好みじゃないんだけど。でもまぁ、そうねぇ。白い装束を着た聖職者がいたわよ」


凄まじい怒りが、ルカの中にこみ上げた。


憎悪で気持ちが煮えたぎり、食いしばっていた奥歯は砕けてしまいそうだった。


「坊やぁ。もしかして、あたしが遊んであげた連中の中に大切な人でもいたのかしら?」


「だったら残念ねぇ。もうあたしの腹の中よ。消化されたころかしら」


もう黙っていてくれ――。


ルカの心の中で湧き上がる感情が制御不能になりかけていた。しかし、そいつはさらに言葉を続ける。


「一人鎧を着た男がいたのだけど、その子は死ぬまで攻めてきてつまらなかったわねぇ」


「でもね、取り残された聖職者の子は可愛かったわよぉ。命乞いする姿なんて、見物だったわぁ」


もう黙って――。


「そっちの方が、あたしはそそるわねぇ。んふふ」


「ねぇ。坊やは、どう楽しませてくれるかしらぁ?」


「もう黙っていろ!!」


ルカは渾身の力で地面を蹴ると、目の前の敵の懐に飛び込んだ。


すかさず、剣で脚を切り落とそうとする。


「坊や。ずいぶんノロマねぇ。あたしは退屈な男は、好みじゃないのよぉ」


瞬く間に、ルカの背中に鈍い痛みが走った。


ルカは、蜘蛛の脚で踏みつけられ、そのまま地面に叩きつけられた。


身動きが取れない。凄まじい力で押さえつけられている。


「ノロマで、力もなくって、短気って、もうそれモテない男の典型じゃなぁい? 坊や」


「ま、魔物のくせに……ずいぶんお喋り……なんだな……」


ルカは、かすれた声で敵を挑発した。


その言葉に反応したのか、そいつの顔は鬼の形相へと変わっていった。


「ねぇ、坊や。魔物はやめなさいって言ったわよね?」


そう冷たく言い捨てると、そいつは地面に転がったルカをすくい上げるかのように爪で引き裂いた。


その衝撃でルカの体は宙を舞い、再び地面へと叩きつけられた。


「魔物なんて下等生物と一緒にされるなんてぇ、癪だわぁ」


「あたしは、もっと高貴な存在……。強く気高き存在……」


「いずれ魔王軍幹部となる――――、美しき女郎、アラクネよ!」

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