第5話 仮面の大商人③ 死戦での約束

20から30メートルはあるであろう巨体。


大きな口から覗く無数の鋭利な牙。


青黒いウロコに覆われた大蛇のような姿。


大きく金色に光る二つの眼が、今にも襲い掛かろうと二人を睨んでいた。


「サ、サーペントォォォ!?」


ルカは絶叫し、恐怖に駆られた。サーペントの威圧感に圧倒されていると、


「私、ルカのことは忘れないからね……」


「は?」


ノエルはその場から我先にと逃げ出してしまった。


「あぁ! おい! 無能聖職者ぁ! なに先に逃げてるんだ!!」


「むの……! ルカが今、何か馬鹿にするようなことを言った気がするけど! 今はそれどころじゃないよ!」


「あいつ……! あっ!?」


次の瞬間、サーペントは大きな咆哮をあげながら、ルカの方へ頭部を叩きつけるように突っ込んできた。


だが、間一髪ギリギリのところでなんとかルカは躱せていたようだ。


し、死ぬ……。力なくつぶやきながら、ルカは青ざめた。


顔のすぐ横にはサーペントの頭がある。


「あぁ、ルカ。いま試練を与えられし迷える子よ。何もできない無力な私をどうか許してください」


ノエルは、そうルカに言いながらも、徐々に距離をとっていった。


ルカは薄情なノエルを睨みつつ、サーペントへ向き直りながら何か打開策を考えていた。


なんとか俺の剣で急所を突いて隙を作れないか。


弱点は眼なのか? 喉元なのか?


考えを巡らせるルカに、無情にもサーペントの二度目の突進が再び襲い掛かる。


今度も寸前のところで躱せていたが、鋭利な牙を肩にかすらせてしまったようだ。


身に着けた軽装の衣服の上からでも見てわかるほど、ルカの肩は血が滲んでいた。


「仕方ない。背に腹はかえられないな。」


何かを決心したようにルカはサーペントを真っ直ぐに見据える。


そして左手をサーペントの頭部へと向けはじめた。


逃げ出していたノエルだったが、サーペントへ構えをとったルカの姿を見逃さなかった。


ノエルは、途端に険しい表情になった。


「あとで散々怒られるだろうけど、今の状況なら多少言い訳もきいてくれるだろ」


ルカは唇を嚙み、尖らせた目はサーペントを捉え続ける。


その間、サーペントは微動だにせずにいた。


その巨体を少しも動かすことなく、ただただ何かを始めるであろうルカを静かに見ていた。


「なんだよ。俺のかっこいい演出を待っててくれてんのか? それじゃ食らいな。フレイ――」


詠唱を終えようとしていた瞬間、ルカの体はノエルに突き飛ばされた。


一瞬、ルカには何が起こったか理解できなかったが、気づくと二人はサーペントを前にして倒れこんでいた。


動揺を隠せずにいたルカだったが、すかさずサーペントを視界に捉えなおす。


詠唱が中断された後も、いまだにそびえ立つサーペントの巨体は、なお動かずに二人を見ていた。


「な……に、してんだ馬鹿! 魔法でも使わなきゃあいつに敵わないだろうが!」


「馬鹿はルカだ!」


ノエルはあたりに響き渡るような大声を張り上げた。


「魔法は絶対ダメだって……。約束したじゃない……」


「ルカのマナは無闇に使っちゃいけないんだ。大事にしないといけないんだよ」


「どうして……わかってくれないの」


ノエルの言葉は、ルカの心に重く響いた。


気づくとノエルの目からは涙があふれ出していた。


「どうしてそんなに……」


ルカは問いかけたが、ノエルの泣き顔を見て、それ以上言うのをやめた。


しばらく静寂の時間が流れていたが、それを終わらせるようにサーペントは喉を鳴らした。


我に返ったかのように、ルカは再びサーペントへと視線を向ける。


ルカは絶体絶命の状況の中で、ただひたすらサーペントを睨みつけていた。


しかし、次の瞬間に意外な行動をサーペントは取り始めた。


まるで、もう興味がないかのような様子で、サーペントはそのまま湖の中へと潜っていってしまったのだった。


ルカは呆気取られた顔のまま、その場からしばらく動けずにいたが、やがて大きなため息をつきながら、芝の上で大の字になった。


「あそこで魔法を使わなかったら死んでたかもしれないぞ」


ノエルは涙を拭き、背を向けたまま静かに答えた。


「ルカはサーペント程度には負けないって信じてる」


ルカは、根拠が全くないと呆れつつも、ノエルなりに励ましてくれてるんだろうと、無言で笑みを返し、体を起こした。


「そうだ。ルカ、肩を怪我してる」


ノエルは、まだ少し悲しそうな顔でルカにヒールを唱えてくれた。


ルカの肩は光に包まれ、傷は徐々に癒えていく。


まぁお互い生きてたし結果オーライだな、とルカはノエルに笑いかけると、ノエルもそうだねと笑って頷いた。


「けど特産品の件、どうするかなぁ。もう陽も沈んできたし、さすがにもう一度入りたくないぞ」


「ルカ、その腰に絡みついてるの何?」


ノエルがルカの腰を指さす。先ほど水中からの脱出の時に掴んでいた水草のようだが、どうやらルカに絡みついてしまっていたようだ。


「うぇぇ。この水草なんかヌメヌメしてて気色悪いな……。早くとっちま……ん?」


「ルカ、水草の根元に生えてるのって……」


絡みついた水草の先を視線でたどっていくと、なにやらオレンジ色の根菜のようなものが、房のように何本か生えていた。ちょうど1本1本が手のひらサイズ程だった。


「おい、ノエル。これってまさか」


「そのまさかだよ! ルカ!」


ウォーターキャロット。こんな形で入手するとは思わなかったと、ルカは自分の運の良さに苦笑いした。


こうして目的を果たした二人は、夕焼けに照らされながら街へと戻った。疲労困憊ではあったが、達成感でどこか足取りも軽かった。


「なぁ、ノエル。もう魔法を使おうとしないから、安心してくれ」


「ん。信じるよ」





やがて、二人は無事に教会に到着した。疲労のあまり二人とも教会前の段差に腰かけている。


「おやぁ。お二方、おかえりなさいませ」


商談を上手くまとめたのであろうか、満足気なミストが歩いてきた。


「おぉ! これこそ我が愛馬が求める! ウォォタァァ! キャロッッット!」


ルカから目的のものを受け取ると、ミストはウキウキと愛馬の元へ向かっていった。


ミストがウォーターキャロットを二頭の馬の口元に持っていく。


次の瞬間、馬は至福の表情でご馳走にかじりついていた。


ミストも鼻歌を歌いながら、楽し気にそれを見ている。


「お二方、ありがとうございましたぁ。なかなか骨が折れたでしょう?」


「死にかけたぞ」


ミストの言葉に、すぐにルカが切り返した。だが、ミストは表情一つ変えずにこう続けた。


「死ぬことはないでしょうねぇ」


何を言ってるんだ? と呆れた顔つきのままルカはミストの話を聞いていた。


「サーペントは、あれで結構知能が高い魔物なんですよぉ。敵わない相手は、サーペント自身が理解できるはずです」


「敵わないって……。俺は平凡な剣士だぞ」


まぁそれもそうですねぇ、とミストは、わざとらしく小さく控えめに笑っている。


「それで、ミスト。街の方は大丈夫そう……?」


不安そうにノエルが尋ねた。ミストは、そんなノエルの不安を吹き飛ばすかのように、派手に両手を頭上に掲げながら言う。


「万事! 順調でございます! いやぁ、街の方々にもご理解いただけて私はうれしいですよぉ」


「すごいな。一体どんなことをするんだ?」


「ルカ殿。それはまだお楽しみということでぇ」


ルカは秘策に興味がありそうだったが、ミストは軽く首を振りながら、それを出し渋った。


「とりあえず、このまま順調にいけばノエルは当主のもんにならなくて済むんだよな」


「はは……」


ルカとノエルは、少し安心したような顔で安堵した。


「ですが! お二方。油断してはいけませんよぉ」


急にぐいっと顔を近づけてきたミストに、ルカとノエルは腰を抜かす。


ミストは声を低くし、今までの飄々とした態度とは一変して、慎重な口調で話を続けた。


「貴族というものは、目的のためなら手段を選びませんからね。正直なところ、この私でさえもこのまま上手くいくとは思っておりませんよ」


「奴らは狡猾でございます。時に悪魔の方がマシなのではないかと思うほどに。おっと、これは失言でしたね」


ミストは皮肉めいた笑みを浮かべ、ノエルとルカの様子をうかがうように一瞬だけ間を置く。その後、少しだけ口調を和らげた。


「まぁ、ここの貴族は、自分の領地も満足に統治できていない小物ではありますがぁ。お二方とも、くれぐれも注意を怠らないようにお願いしますねぇ」


「全く。フォルスラン家と言えば、以前は王国随一の鉄壁の騎士団と言われていた時期もありましたが……最強の盾と謳われた、かつての当主がお亡くなりになってから、すっかり威厳も消え失せてしまいました」


はぁ……、と残念そうにミストはため息をつく。


「いっそのこと、お二方で城を攻めてしまったらいいのでは――」


「それは無理だって」


ルカがすかさず突っ込む。


ミストは芝居がかった笑いを浮かべると、まるでコントでもしているかのように身を引いた。


二人でコンビ組んで広場でコメディでもやればいいのに……。


そのやりとりを見て、ノエルは心の中で思わず呟いた。


「さてぇ。では私はこれにて失礼しますねぇ。まだギルドとの商談が残っておりますので」


そう言いながら、ミストは優雅に礼をし、ゆっくりと馬車へと戻っていった。


ルカとノエルは彼の姿を教会の前で見送り、ようやく落ち着きを取り戻した。


「いったんは順調そうだな。けど俺にできそうなことは全部やっておかないとな」


気合いの入ったルカの姿を見て、ノエルも嬉しそうに微笑んだ。


「ねぇ、ルカ。さっきのニンジン、少しだけもらっておいたんだ。食べてみようよ」


「抜け目ないな。まぁ、夕飯の足しにはなるかもな」

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