第21話

五分も歩かずに石造りのお洒落な建物に着いた。


「大正時代の銀行を移築してるんだ。

凄いだろ?」


御津川氏に伴われ、店に入る。

店内もその当時にあわせているみたいで、とてもノスタルジックだった。


案内された個室では、目の前に鉄板が広がっている。

スタッフが下がると同時にシェフが入ってきて、今日のコースを説明してくれた。

伊勢エビに宮崎牛と豪華コースだが、さすがにそれにもそろそろ驚かなくなってきた。

慣れって怖い。


「今日のお茶教室はどうだったんだ?」


シャンパン片手にアミューズの焼きトマトを食べながら御津川氏が訊いてくる。


「そう、ですね……」


相談しないといけないことはある。

でも、それは金の無心をするかのようで言いづらい。


「どうした?」


言い淀む私の顔を、不思議そうに彼がのぞき込む。

黙っていたところで、解決できるわけでもない。

思い切って、口を開いた。


「次のお茶会で亭主役を務めることになって……あ、お茶会といっても小規模なものなんですが」


これがあの日、御津川氏からラウンジに連れていかれたのと同じ、社交界デビューの一環だというのは理解している。

そしてそうなると、それなりの着物を準備しなければいけないわけで。


「そうか!

なら、着物を新調しないとな!

そうだ、ついでに何着か作るか!」


まるで、我がことのように喜び、彼は興奮している。

全部話さなくても察してくれるのは、とても助かる。


「あの。

お茶会用のだけでいいので……」


「なにをいう。

そもそも、李亜は着物が似合うんだから、もっと早くに作っておけばよかった……!」


非常に彼は残念がっているが、……そこまで?


「あのー、それで、その……」


「まだあるのか?」


着物だけでいくら飛んでいくのかわからないのに、さらにこれを言うのは気が引ける、が。


「お免状の申請も勧められて、それが……その。

かなり、かかるんですが」


「かなりっていくらだ?

百万くらいか?」


軽くそれだけの額を口にし、彼は前菜の地鶏のグリルをぱくりと食べた。


「い、いえ!

十五万くらい、です」


「ふーん。

李亜はそれくらいで、遠慮するんだな」


くぃっ、と彼がグラスに残るシャンパンを飲み干す。


「しますよ、普通」


短大卒の、事務系同期の入社一年目の手取りがそれくらいだったはず。

やはり、それをお免状ごとき……というのはあれだけど、でもそれに出してください、なんて言うのは気が引ける。


「言っただろ、李亜の好きにしたらいい、って。

カードだってほとんど使ってないし。

たまに使ったかと思えば、ネットで本を買うくらい。

遠慮なんかすることはないんだぞ?」


伊勢エビのグリルが出てきて、飲み物も白ワインに変わった。


「……」


好きにしていい、なんでも買え。

御津川氏はいつも私にそう言うが、本当にそれでいいのか、って気持ちが常について回る。

私は彼に買われたのに、それに金をつぎ込む御津川氏は、私の目から見れば酔狂でしかない。

だからこそ、早く再就職してしまいたいのもある。


「まあ、いい。

李亜はまだ、俺の愛を信じてないみたいだしな」


ふっと僅かに笑い、ワイングラスを口に運んだ彼の顔は、酷く淋しそうに見えた。


デザートまで堪能し、店を出る。

帰りは、当然ながらタクシーだった。


「……酔った」


帰り着いた途端、彼はごろんとソファーに寝そべった。


「飲み過ぎですよ」


キッチンでグラスに水を注ぎ、彼に渡す。


「そーかなー?」


なんて彼は言っているが、あのあとの彼のペースはあきらかに速かった。


「もー、風呂いいわ……。

ねむ……」


グラスをテーブルの上に置き、またソファーに寝転んだ彼は、目をつぶってしまった。


「えっ、ちょっと、せめてベッドには行ってくださいよ!」


「……面倒くさい」


手を引っ張ったものの、簡単に払いのけられる。


「おやすみ、李亜……」


その声を最後に、すーすーと気持ちよさそうな寝息が響いてきた。


「ほんとに寝ちゃったんですか!?」


そーっと揺り起こしたものの。


「んーん」


ごろりと寝返りを打ち、クッションの間にあたまを突っ込んで起きそうにない。


「わかりましたよ……」


少し考えて、ゲストルームのベッドから布団を引き剥がしてきてかける。

空調は効いているから、風邪を引くことはないだろう。


「せめて、ジャケットは脱がせるべきだった……」


スーツのまま眠ってしまったから、きっと皺だらけになるだろう。


「でも……」


あのあと、彼が半ばヤケのようにお酒を飲んでいた理由はわかっている。

私がいまだ、彼に対してどこか、他人行儀だからだ。

彼が私を愛してくれているのはもう、理解している。

でも彼は私を〝買った〟のだ。

それに対してわだかまりを持つな、っていう方が無理。


――それでも。


「好き、なんだよね、たぶん」


彼の隣に座り、寝顔を見ているとため息が出た。

キスされても嫌じゃない。

御津川氏が眼鏡の下で目尻を下げ、「李亜」と私の名前を呼んでくれるだけで嬉しい。

確実にこれは――恋、という奴なのだろう。


「七百万返せて対等になれたら、素直になれるのかな……」


……お祈りメールばかりの現実では、厳しいけど。

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