第20話

「さて。

じゃあ、出掛けますかね」


バッグを持って部屋を出る。

この間、御津川氏がなんの気まぐれか、土産だって買ってきたブランドもののバッグにしたけどよかっただろうか。


……ええ。


やはり、なんでもない日にいきなり、何十万円もするバッグをプレゼントされ、驚かないわけがない。

これが彼の普通なのだと納得するまでにしばし、時間がかかった……。


「こんにちは、御津川様。

タクシーが到着しております」


「ありがとうございます」


エントランスで私を見つけたタキシードのおじさまが、わざわざ自動ドアを開けてくれる。

彼はこのレジデンスに二十四時間在住のコンシェルジュだ。

さすがに交代制だとは思うんだけど、……いつも同じ人がいるようにしか見えないんだよねー。

私の中でこのヒルズの謎のひとつでもある。


「いってらっしゃいませ」


タクシーに乗り込んだ私を、右手を胸に当ててお辞儀をして彼が見送ってくれる。


「やっぱり、慣れないな……」


ちらりと振り返ったら、彼はまだそこで微動だにせずにあたまを下げていた。

ちなみにあれは、見えなくなるまでやっているらしい。

セレブ奥様としてはそういうのは当然なんだろうけど、私としてはいつまでたっても慣れない。


ヒルズから街までタクシー移動だなんてメーターが怖すぎる! と、怖いもの見たさで目を向けたら、ご丁寧にもメーターは切ってあった。

セレブ配慮がよくなされている。


「では、一時間ほどでまた、お迎えにあがります」


「よろしくお願いします」


街でいったん、タクシーを降りた。

お稽古場はここから少し離れた閑静な住宅街だが、外でお昼を食べようと思ったから。


適当なカフェに入り、ランチプレートを頼む。


「……?」


妙に視線がつきまとう。

窓際の席だったので、道行く人からも。


……今日、なんか変だったけ?


自分でメイクしたならまだしも、今日は花井さんに頼んだのだ。

おかしいなんてあるはずがない。

原因は思い当たらないし、なんだか気持ち悪くて、食事もそこそこに店を出た。


「……すぅっ」


タクシーを降り、深呼吸する。

同じ家元直轄のお教室でも、いままでは家元の指名を受けた専任講師の指導だった。

私が家元と直接お会いするのなんて、青年部の取り仕切りとして打ち合わせや茶会のときくらい。

稽古場だってさっきの街の一角にあるビルだった。


けれど、今日からの教室は家元が直接指導する。

緊張するな、という方が無理。


「……よしっ」


ぐずぐずと立っていても、不審の目を向けられるだけだ。

思い切って一歩、足を踏み出した。




「……疲れた」


タクシーの中で、ぐったりと背もたれにもたれかかる。

お稽古自体は何事もなく終わった。

御津川氏に何度か連れていかれたラウンジで、セレブたちとの付き合い方を学んでいたおかげだ。


「……はぁーっ。

いろいろ御津川さんと、相談しなきゃ……」


しかしながら、私が上流階級入りしたことによって、生じた問題もある。

いままでどおり裏方を続けていたいんです、なんてもう、許されないんだな……。


御津川氏の会社の前でタクシーを降りた。


「改めてみると、大きな会社だよね……」


FoSも一等地に立派なビルをかまえていたが、こちらも負けず劣らずのビルが建っている。


「御津川です。

主人はいますでしょうか」


「少々お待ちください」


受付嬢が彼の所在を確認する間、また視線がちらちらと私に向かう。

わけもなく見られるのは非常に気持ち悪いし、心当たりもない。


「李亜!」


すぐに降りてきた御津川氏は、私を見つけた途端……抱きついてきた。


「やっぱり、着物の李亜は綺麗だな!

ここはすぐにわかったか?

さて、なにを食いにいこうか」


矢継ぎ早に話しかけながら、さりげなく私をエスコートして出入り口へと向かっていく。

視界の隅でお辞儀をする男性が見えたが、きっと秘書なのだろう。


「近くに旨い、鉄板焼きの店があるんだ」


御津川氏に腕を取られ、一緒に歩く。

それはいいんだけど……視線が。

最初は、彼を見ているんだと思った。

でも、それはどうも、私に向かってきている。


「どうした?」


少し、身体を寄せた私を、彼は怪訝そうに見下ろした。


「……なんか、見られているので」


昼の街でもそうだった。

彼の会社に来ても、また。

いったい、私のなにがそんなに、視線を集めているのだろう。


「ああ。

……李亜が綺麗だから皆、視線を奪われてるんだ」


「……は?」


こそっと耳打ちされ、思わず彼の顔を見上げる。


……私が綺麗?

そんなこと、あるはずがない。


「李亜は綺麗だぞ?

もっと、自信を持った方がいい」


ぐいっ、と彼の手が、私の腰を抱き寄せる。

そっと見渡した周囲、こちらを見る人は羨望の眼差しを送っていた。


「……はい」


まだ少し信じられないが、確かに地味で老け顔の私は最近、見かけていない。

出会ってすぐ、御津川氏は私を磨く、なんて言っていたが、彼に磨かれて多少は綺麗になったんだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る