第4話

教会の、バージンロードの先で待っているのは名前も知らない男。


「汝、鈴木二郎は、咲乃李亜りあを妻とすることを誓いますか」


彼は今日、鈴木二郎役をやってくれるのだという。

それはありがたいが、本当にいいんだろうか。


「誓います」


男が、神様に平気で嘘をつく。

私なんてさっきから、良心が痛んで心臓がばくばくいっているのに。


「汝、咲乃李亜は、鈴木二郎を夫とすることを誓いますか」


誓いますかって、こんなことをして罰が当たらないんだろうか。

いや、そもそも、キリスト教でもない私がキリストに誓う時点でおかしいんだけど。


「誓いますか?」


私がぼーっと黙っているものだから、注意を促すように少し強めに司祭が再度問いかけた。


「……」


隣の男が、無言のまま肘で私をつつく。

さすがにマズいと思い、引きつった笑顔で口を開いた。


「誓います」


うっ、嘘をついてすみません、キリスト様。

代わりにもう一生、クリスマスに浮かれてケーキを食べたりしないので、許してください。


「指環の交換を」


「……?」


リングピローにのせられて私の前に出てきたそれは、鈴木と選んだものとは違っていた。

あれはただのシンプルなリングだったのに、これはウェーブにあわせて私の方のにはダイヤが埋め込んである。


「……手」


小さく男から言われ、慌てて左手を出す。

戸惑いながらもその指環を嵌めてもらい、男の指にも嵌め返した。


「デハ、チカイノキスヲ」


なぜか、司祭の言葉がいまいち理解できない。

男がベールを上げるのをぽけっと見てきた。

彼の手が私の肩に置かれ、ゆっくりと傾きながら顔が近づいてくる。


……眼鏡ってかけたまま、キスできるんだ。


妙に冷静なあたまで、そんなことを考えていた。

目を開けたままの私の唇に彼の唇が触れる。


「……誓った、からな」


離れ際、彼がぼそっと呟いた。

思わず顔を見上げたけれど、真顔でなにを考えているんだかわからない。


彼に手を取られ、退場する。

女性から注がれる、羨望と嫉妬の視線。

わからなくもない、こんな男が夫ならば。

しかしながら彼は替え玉で、彼女たちは無駄なことをしているのをまだ知らない。


披露宴会場まで車で移動する。

ベリーヒルズビレッジにあるホテルを選んだのは、詐欺師の彼だ。

きっとそれで、自分が大会社の社長だと納得させたかったのだろう。


「で。

あなたは誰なんですか?」


移動はホテルのプランでリムジンだった。


「誰って、鈴木二郎だか?」


正面に座った男が、くつくつとおかしそうに喉の奥を鳴らす。


「だからそれは、詐欺師だった彼の名前で。

本当は御津川みつがわ……」


「しっ」


彼の長い人差し指が、私の唇を押さえた。


「それを言ったら代理はここまでにするぞ」


眼鏡の奥から真っ直ぐに私を見つめるその瞳は、少しも笑っていない。


「……はぁっ。

わかりました」


「なら、いい」


満足げに頷き、彼が私から指を離す。

彼の正体については薄々気づいていたが、そんなのいまはどうだっていい。

いやなぜ彼が、こんな見ず知らずの女の、茶番に付き合っているのかは気になるが。

けれどいまの一番の問題は、いかにしてこのピンチをのりきるか、なのだ。


ホテルで披露宴用の衣装に着替える。

また、鈴木二郎(仮)さんは自前の衣装だった。


「……あ」


口紅を塗り直してもらいながらふと気づく。

教会でした、アレ、は私の……ファーストキス、だ。

いや、前にしたことがある気もするが、あれはたぶん夢だと思うし。


「ああああああぁぁぁぁぁぁー」


途端に口から、止めどない後悔が漏れていく。

おかげでその場にいた全員がびくりと身体を震わせ、私に注目した。


「なんだ、変な声出して」


先に準備を済ませ、携帯をいじっていた鈴木氏(仮)が顔を上げて私を見る。


「な、なんでもないです、なんでも」


とりあえずなんでもないと笑って誤魔化す。


「そうか?」


それ以上はなにも言わず、また彼は携帯の画面へ再び視線を落とした。


「……はぁっ」


気づかれないように小さくため息をついたら、鏡の中の私と目があった。


「……仕方なかったんだし」


結婚式で誓いのキスを拒否する花嫁など、なにかあったのだといっているのも同然だ。

もうこれは、犬に噛まれたのだとでも思って忘れるしかない。


「ほんと、最悪」


詐欺師の彼はけじめなのか最後の良心なのか、私の身体には手を出さなかった。

結婚するまでは清い関係でいよう、なんて言って。

さっさと出してくれていれば、こんな後悔は……それはそれで、していたか。


「なんか言ったか?」


鈴木氏(仮)が携帯をしまって立ち上がる。


「なにも!」


ぐだぐだ続く後悔を振り払うように、勢いよく私も椅子から立った。

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