第1章 女は度胸

第3話

ようやく気候も緩んできた三月のはじめ。

ウェディングドレス姿の私はその衣装とは対照的に、不安な気持ちで携帯の画面を睨んでいた。


「……」


画面に表示されている時計は、刻々と予定時間に近づいていっている。


「あのー、そろそろお時間が……」


「もうちょっと待って!

きっと来るから!」


控えめに声をかけてきたスタッフに半ば怒鳴り、苛々と携帯の画面をタップする。

目的の番号を呼びだし、携帯を耳に当てた。


――プルルルル、プルルルル……。


気持ちを落ち着けるように深呼吸しながら、呼び出し音を聞く。

モーニングの父も、黒留袖の母も、心配そうに私をうかがっていた。


――プルルルル、プルルルル……。


けれど、いくら呼びだしても相手は出ない。

まさか、事故に遭ったとか?

そんなことも考えた。


「これ以上、お時間を伸ばすわけにも……」


スタッフの言うこともわかる。

それに、出席者もそろそろ騒ぎはじめていた。

待ちに待った晴れの舞台だというのに、なんでこんなことになっているんだろう。


「わかりました。

このまま……」


「わるい、遅くなった!」


――中止、の言葉を遮るように、ドアがバン!と勢いよく開けられる。


「おそ……っ」


文句を言おうと開けた口は、入ってきた人間を見て固まった。


「すぐ準備する。

あと少し、どうにかして引き延ばしておいてくれ」


「は、はい!」


とにかく相手が来たということで、スタッフは明るい表情で出ていった。


「だ、誰?」


男は用意してあったタキシードではなく、自分で持ってきた衣装に着替えている。

それだけ、私の待ち人とは身長差があったし、なにより顔がよすぎる。

しかもわざわざ黒メタル眼鏡で、さらに顔面偏差値を上げていた。


「いまはそんなことを問題にしている場合か?

お前の婚約者だったら、さっき捕まったぞ」


「は?」


少し操作して投げられた携帯を慌ててキャッチする。

その画面には

【キャリアウーマンを狙った結婚詐欺師、逮捕!

被害総額は十二億円】

なんて文字と共に、犯人として彼の顔写真が載っていた。


「……はぁーっ」


私の口から重いため息が落ちていく。

薄々、そんなことじゃないかと思っていた。

貯蓄のこととか妙に訊かれたし。

ご多分に漏れず私も、ちょいちょいお金を渡していた。

でも私としては――夢を、みていたかったのだ。


「なんだ、意外と驚かないんだな」


ネクタイを結びながら、男は眼鏡の奥でまばたきを一回した。


「まあ。

そうなんじゃないかって思わなかったわけでもないので」


結婚詐欺師でもかまわない。

一生に一度でいいから私を花嫁にしてくれたら。

なのによりもよって今日、逮捕されるなんて。

まあもっとも、初めから式に来る気があったのかすら、こうなると疑わしいが。


「ふーん。

で、どうするよ?

このまま、中止にするか、代理に俺を立ててとりあえず式を挙げるか」


軽く握った拳を顎に添え、男が私の顔を上げさせる。

あった視線の先ではレンズの向こうから、愉悦を含んだ目がこちらを見ていた。

今日は会社の、元同僚たちが来ている。

中止にして男に逃げられたのか、なんて思われるのはまだ我慢できるが、私の見栄と妄想だったんだろうなんて断定されたら……死ねる。


「ええいっ、女は、度胸!」


気合いを入れようと思いっきり、両手で頬を叩く。

もうここまできたら、腹を括るしかないのだ。


「わかりました。

よろしくお願いします!」


「そうこなくっちゃな」


愉しそうに男の、右の口端が持ち上がる。

こうして私は、見ず知らずの男と結婚式を挙げることになった。




彼――鈴木すずき二郎じろうとの出会いはマッチングアプリ。


「と、登録……」


緊張でぶるぶると指を震わせながらボタンを押したあの日がすでに、懐かしい。

勤め先は日本五大商社の『FoSCompanyフォスカンパニー』、しかもエリート集団である営業統括部に所属し、さらに職種は営業となれば仕事の面で私は成功しているといえるだろう。

けれど私は、虚しい毎日を過ごしていた。


――恋が、したい。


ずっと、恋に憧れてきた。

けれどいまだに、縁がない。


「……ま、そうだよね」


暗くなった携帯の画面には、自信なさげな私の顔が映っていた。

仕事に関しては自信のある私だが、自分のことになると途端に引っ込み思案になる。

しかも見た目が。


「今日もアラフォーと間違えられた……。

まだ二十八なのに」


ファッションに疎いせいで、仕事ではいつもきっちり夜会巻きに黒スーツ。

おかげで、もう高校生のお子さんがいる女性社員と同期に間違われることも少なくない。

私だってそれなりに、頑張ってみたのだ。

しかし、不器用過ぎる私には夜会巻きしかできなかった。

同僚たちは私をお局様扱いしている。

さらにサバサバしている性格は冷たい印象を与え、女を捨てているからあそこまで仕事に打ち込めるんだ、とまで噂をしているのは知っていた。


けれど私だって恋への憧れはある。

大きくなったらお嫁さんに、なんて小さい頃の夢を諦められなかった。

アラサーになり焦りも出てきたのもある。

それで――思い切って、マッチングアプリに登録した。


「ま、すぐに連絡なんてこないよね」


見つめていた携帯をテーブルの上に置こうとした瞬間、ピコンと通知音が鳴る。


「……!」


慌てて見た画面には、マッチングアプリからメッセージが届いていると表示されていた。

それが、今回結婚するはずだった――鈴木、だ。


初デートからすべてがトントン拍子に進んだ。

それはもう、上手く行き過ぎなくらいに。

彼は私の老け顔を全く気にしない。

内面を見てくれる素敵な人なんだ、なんて思っていた。


……カモにされているなんて知らずに。


初デートから一ヶ月でプロポーズされ、式は早いほうがいいと最短で空いていた三ヶ月後の今日になった。


「得意先の入金が遅れてて。

これがないと新しい商品を仕入れられなくて困っているんだ」


はぁっ、と重いため息と共に彼に言われ、ふたつ返事でかなりの額のお金を貸した。

貯蓄はかなりあったから。

そういうことがちょくちょくあり、さすがに少しはもしかして……なんて疑った。

でも、私にはそれよりも、花嫁になるという夢を叶える方が重要だったのだ。

なので、これはそれに対する投資なのだと納得していた。




そして今日。

ついに夢が叶うという日に彼は逮捕され、私は全く別の人間と式を挙げることになったというわけだ。

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