第2話

片付けが終わり、私だけ家元に呼ばれた。


「今日はご苦労様でした。

ところで、茶碗を割った当の本人からはなんの謝罪もないのですが、どうなっているのですか」


「それは……」


家元の目は、私を責めている。

彼女はその後、具合が悪くなったと帰ってしまったと聞いていた。

体調がすぐれないなら仕方ないが、せめてそこは家元に詫びの電話なりメールなりくらい入れるのが筋だろう。


「……申し訳ありません。

あとで私から、連絡を入れてみます」


「そういう気持ちだから、大切な茶碗を割ったりするのではありませんか」


彼のいうことはもっともすぎて、返す言葉もない。

セレブ相手の茶会を多数催すお茶教室、手伝いでも参加すれば知り合う機会もあるのでは、なんて軽い気持ちで入門してくる人間があとを絶たないから。


「申し訳ありません、私の指導不足です。

もっと皆に言って聞かせます」


あたまを下げ、悔しさで奥歯を噛みしめる。

私は一般青年部のまとめ役を任されているが、そんな事情で私の忠告をうっとうしく思っている人間も多かった。


「割れた茶碗のことを責めたいわけではありません。

形あるものはいつか壊れる。

どんなに高級なものでも例外ではありません。

けれどその後の、態度について責めているのです」


「……はい。

申し訳、ありません」


同じ言葉しか返せない。

家元のいうことは正論だ。


「咲乃さんは立派にやられているとは思います。

けれど最近、こういう若い人たちの態度が目に余るのです」


はぁーっ、と家元の口から落ちるため息は、苦悩の色が濃い。

茶道とはその作法を学ぶものではない。

それを通じて、人としてのあり方を学ぶものだ。

なのに門徒がこれでは困るだろう。


「申し訳ありません、彼女には重々言って聞かせます」


「頼みましたよ」


お辞儀をして、部屋を出た。

携帯を出し、メッセージを送ろうとLINEを立ち上げる。

けれどあのあと、様子を訊こうと入れたメッセージは既読にすらなっていなかった。

通話ボタンをタップしたけれど、応答無し。


「まさか、ブロックされてる……?」


家元の気持ちがよくわかる。

こんなことでいきなり、ブロックだなんて。

あとから、私が冷たかったから彼女は辞めたのだ、なんて話を聞いたときには、本当にどうしていいのかわからなかった。


「もういい、帰ろ……」


今日は働きすぎたのか、あたまがくらくらする。

ふらっと歩きはじめたところで、前から来た男にぶつかった。


「あ……。

すみません」


あたまを下げたけど、相手は私の腕を掴んだまま放してくれない。


「あの……?」


「顔色が悪い。

少し休んだ方がいい」


人に言われるほど、酷い顔をしているんだろうか。


「ご心配、ありがとうございます。

タクシー拾って帰りますので、大丈夫です」


またあたまを下げ、歩きだそうとするけれど、彼はまだ私の腕を放さない。


「そこまで送らせろ」


そっと、私を支えるようにして彼が歩きだす。

ふわっと香る、香水の匂いがどうしてか心地いい。


「気をつけて帰れよ」


彼はわざわざタクシーを捕まえ、私を乗せてくれた。


「ありがとうございました」


お礼を言い、タクシーを出してもらおうとしたものの、彼が首を突っ込んでくる。


「運転手さん。

これで彼女を家まで」


マネークリップから引き抜いたお札を、さらりと彼は運転手に渡した。


「あ、あの!

見ず知らずの方に、そこまでしていただくわけには……!」


「お前は今日、凄く頑張った。

だから、これくらいのご褒美はあっていいはずだ」


「はぁ……」


彼は今日の茶会の、出席者だったんだろうか。

けれど私はずっと裏にいて、客とは会っていない。


「でも、気が引けるっていうならこれ、もらっておくな」


車の縁に手をかけ、彼の顔が近づいてくる。

ちゅっ、と唇が私の唇に触れて離れた。


「たぶん熱が出てるよ、お前。

帰ってゆっくり休め。

……運転手さん、出してください」


彼がドアを閉め、タクシーは走りだす。


え、いまのキス、なのかな……?


彼の言うとおり、熱があるみたいであたまがふわふわする。

おかげで少しも、現実感がない。

さらに晩は寝込み、目が覚めたときには彼のことは、眼鏡をかけていたことと香水の匂いしか覚えていなかった。

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