第26話 彼女の親を呼び出します

 もう、自分じゃどうしようもないよ……

 みちるの事は、みちるの親にまかせたらいい……


 心の中でブツブツと呟きながら、みちるの携帯電話を手に取った。横目でみちるを見ると、爆睡している様子だ。


 頭の中でみちるの親に言いたい言葉を組み立てる。


 あなたの娘がおかしいですよ__

 ちゃんとして下さい__

 迷惑なんです__


 自分も偉そうに言える立場ではないけど、溢れ出す事はみちるに対しての愚痴ばかり。


 不満ばかりなのに、本音はみちるが普通になって欲しくて、みちるの親にすがっているんだと思う。


 だって。

 別れたいと思いながらも、メンタルクリニックに行ってちょっとずつ、普通になればという希望を捨て切れていない自分が確かに存在しているんだ。


 でも、今のみちるは怖い。

 でも、みちるには普通になって欲しい。


 だから、彼女の親に任せたい。

 大丈夫。

 頼る事は大切な事。


 みちるの携帯を手に取り、アパートの外に出る。親の電話番号はどこだ__


 みちるじゃない……

 高野江美。

 高野、高野……

 みちるの名字である″高野″という名前を電話帳で探すが、登録されていない。それどころか、″親″だの″父″だの″母親″だのの言葉も見当たらない。これじゃ、実家の電話番号が分からない。


 ふと、着信履歴を見ていると、みちるがおかしくなった時間帯あたりにどこかに電話をした痕跡が残されている。しかも、携帯電話では無く家電だ。


 しかも、この番号はみちるの地元の番号__

 これが、親なのか?

 違うとしても、地元の友達とかだろう。


 数分迷った。でも、この番号しかみちるの親を知る手だてがない。

 一応ここに掛けて……、

 違ったら、卒アルを見せてもらった友達に聞いてみようか。そう、思った。


『高野江美さんはいますか?』いやいや、むしろ『高野江美さんをご存知ですか?』のほうが適切だろうか?


 頭の中でごちゃごちゃと考えながら、リダイアルをする。

 誰の電話番号なのか分からない。

 普通に親に電話するのだけでも勇気がいるのに、その事実はキツイ。


 難題だよ。

 難題~!!

 呼び出し音が鳴る度に緊張で、体が硬直して、喉が変な乾き方をする。


 ふと、コール音が止まり『高野江美さんをご存知ですか?』と、問い掛けようとした瞬間。


『また、江美か?』


 という、かすれた男の声が聞こえた。きっと、みちるの父親だ。と思い、みちるの事を話そう。と、思った瞬間。


「恥曝しが!! お前の事は知らないぞ!!」


 一方的に怒鳴られ通話は終了だ。でも、みちるの本名を知っているという事は、紛れもなくみちるの父親なのだろう。そう、確信した。


 もう、一度電話を__

 そう思ったものの、なかなか決心が付かない。


 みちるの父親は頑固親父タイプなのだろうか?とか、すぐ、怒鳴るタイプの人なのだろうか?なんて、要らない事ばかりが頭の中でぐるぐると駆け巡る。


 気が付けば外は真っ暗で、外灯には小さな虫が大量にたかっている。早く話を付けてみちるを迎えに来て貰わないと、いけない。


 怒鳴られる前に__

 電話を切られる前に__

 話を切り出さないといけない__


『すぐに話し掛ける!』


 頭の中でそう、繰り返しながらリダイアルボタンを押すと、今度は2コールで電話に出た。


「あのー!!」


 テンパってそれだけ口にすると、


「これは江美の携帯番号だよな? 誰だ?」


 と冷たい声で、返された。

 そりゃ、そうなるか……

 これじゃ、俺、ただの不審者だ。


「江美さんとお付き合いしてます……」


 別れるはずだったのに、何言ってるんだ、俺。


「あの……、江美さんが大怪我をして……いて、保険証が無いと病院も行けないんですよね」

「俺は知らん。 住民票も抹殺したから、あいつに戸籍はない」


 なに、言ってるんだ。

 住民票抹殺て何だ?

 ああ、親子喧嘩でもしているのか?


 でも、まぁ、自分の子供なら可愛いだろう。

 ちゃんと、話せば分かってくれる。

 物は言いようだ。


「あのですね…。 結構ヤバい状態なんですよ」

「……」


 言葉を発さない、みちるの父親。

 ど、どうしよう。


「大怪我をしていて、血が大量に出ていて、ちょっと様子がおかしいんですよ」


 自傷だけど、嘘ではない。

 それに、マジで病院に行った方がいい。これだけ言えば、自分の娘を助けたいと思うだろう。意地を張っている場合じゃないと思うだろう。


『どうしたの~。 また、江美?』


 みちるの父親の返事を待っていると、電話越しに女の声が聞こえた。みちるの義母だろうか?そう、考えながら助けの言葉を待ちわびる。


『あー。 なんか、江美の彼氏から電話だな』

『へー。 彼氏? 何かあったの~?』


 だが、みちるの父親は俺に返事をする事無く、みちるの母親らしき女と話を始める。

 呑気に話なんてしてる場合じゃないだろう?

 早く。早く。

 みちるの状況を伝えてくれよ__


『江美が、怪我をしたみたいだ。ヤバい状態だから、保険証が必要らしい』


 そうそう。

 だから、早く__

 病院に連れて行ったあとに、メンタルクリニックに__


『あらぁ。 保険かけたままにしといて良かったわね。あの子も役立つ時が来たわ』


『そうだなー!あいつには散々迷惑かけられたからな』


 ぐるぐるぐるぐる。頭の中で得体の知れない物が、くるくると回る。見たらいけないものをみてしまったような感覚で、精神が深い闇の中に落とされた。


 だ、大丈夫。大丈夫。

 悪いジョークだろ。

 もしくは、ほら。

 たちの悪い彼氏が悪戯電話をしてきたと、思っているとか!!


 あー!!

 怪我っていっても、たいした事ないと思っているのかもな。あはは……


 大丈夫。大丈夫。

 自分の子供って、何だかんだで可愛いものだと思う……んだよ……ね。


「あのですね、マジにヤバい状態なので…。 保険証を使用する時だけでいいので貸して貰えませんか?ついでに言えば、江美さん自傷癖もあるので、そういう病院にも……」


 失礼だったかな?


「俺は知らねえよ!!だいたい、あいつから住民票を戻して欲しいって連絡があった時、断ってんだよ!ぐだらねえ事で時間を取らせるな!!」


 くだらない?

 ……プチ、ン

 理性の糸がプツリと、千切れた。


 こんな奴と会話していても、話にならない。

 そう、思って通話を終了させる。


 みちるが住民票を戻して欲しいと、お願いした事が事実なのならば、みちるは病院に行く気はあったという事だ。なんなら、明日にでも役場に行ってどうにかしたらいい。

 どうにでもなるはずだ。


 みちるの親__

 まるで、保険金が欲しいから、みちるを見捨てるみたいな言い方だったな。


 そりゃあ、みちるの性格上、人に迷惑をかけそうだけど……

 あんな風に扱われたら、歪んでしまう気持ちだって分からなくはない。


 みちると別れよう__


 その気持ちは同情によって、すっかりかき消されてしまった。せめて、みちるが普通になるまで俺が助けてあげないと……、あいつは、どうなってしまうんだ?


 愛情と同情と恐怖がぐちゃぐちゃになって混ざりだす。それに、俺だってひとりにはなりたくない。分かっていた。


 きっと、俺は、あの時みちるから逃げ出していても、またここに戻って来てただろう。みちるが普通になる事を夢見て、みちるの元に戻っていた。


 うなだれながらアパートの部屋に戻り、みちるの携帯を元の場所に戻す。


 ブーン


 音がした方向に視線をうつすとすっかり渇いてしまったみちるの血があちらこちらに飛び散っている。その血にたかる、ハエを手のひらで何度も何度も追い払う。


 ブーン

 ブーン

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