第11話 彼女に振られました

 みちると出会ってから3ヶ月が過ぎた。

 みちるの生活は不思議なもので、仕事に行ったり行かなかったりを繰り返している。


 どんだけ自由な仕事場なんだよ。そう、思ってしまう事が幾度となくあったけど、みちるにそれを問いただせないままに時間だけが過ぎていく。


 みちると一緒にいると、退屈する事が無いんだよ。


 退屈する事が無いとは言っても、その時間を全て楽しく過ごせている訳ではない。


 みちるは不安定で、すぐに泣いたり、怒ったりして、何かある事に「別れよう…」って、言うんだ。


 みちると別れる気なんてさらさらない俺は、そのたびにみちるを宥める。そんな、日常に少しだけ疲れてしまったのが、現在の俺だ。


 ふと、ぐちゃぐちゃになった台所が視界に入り、溜め息を漏らしながら台所に移動した。

 使ってそのままの調理器具に食器。

 おとといにみちるが料理をして、そのままだ。このまま、ほっといたら大変な事になってしまうだろう……。

 そんな事を考えながら、スポンジに洗剤を付けて洗い始める。

 いつもの事だ__


 みちるは仕事をしていて、俺は仕事をしていないから、家事は全て自分の役目。

 食器やフライパンを洗って、洗濯をして、服や小物が散乱した部屋を片付ける。

 別に家事が嫌な訳じゃない。

 でも、みちるにも脱いだ服を片付けるくらいの最低限の事はして欲しい。


「みちる~。服、脱いだら片付けようよ……」


 そう言うと、明らかに機嫌が悪くなるみちる。いつも、そうだ。そして、この後にみちるが発するだろう言葉も予測が出来ている。


「あたし、体調悪いの……。それに、仕事で疲れてる」


 最近のみちるはいつもこれだ。

 気が向いた時にご飯を作り、気が向いた時に仕事に行き、家の事は何ひとつしない。

 別に完璧に家事をして欲しい訳じゃない。


 ただ、服の山が出来る程に脱ぎっぱなしにして、シンクがいっぱいいっぱいになる程に洗いものを溜め込む。

 そんな生活を少しだけ見直して欲しいだけ。


「なら、俺も仕事探すから……。俺が仕事を始めたら家事は分担にしよう」


 それが、俺の理想だ。

 そろそろ働きたい。


「お互い働く必要ない。ぶっちゃけ、女が家事するって決まっている訳じゃない!!主夫みたいなノリでいいんだよ!!」

「なに?それって俺が家事して、みちるが働くって事?」

「だね。別にお金に困っている訳じゃないし、それでいいんじゃない?」


 お金に困っている訳じゃないって……

 今はまだ貯金があるから、そう言えるかも知れないけど……

 実際、みちるはしょっちゅう仕事を休んでいる訳だから、給料だけで生活出来てるとも思えない。


 それに、生活費、家賃、食費は半分ずつ払っているから、俺の貯金もいつかなくなってしまうだろう。でも、そんな事を口にするのは″俺を養って″って、言っているみたいだから無理だ。


「俺だって、そろそろ働きたいんだよ。

 って、みちるはまだ俺の事信用出来てないの?」

「あのね?心の傷ってすぐには忘れられないの!!あたしの事、理解してくれないなら別れて!!!」


 何なんだよ。それ。

 みちるが辛い事は、理解しているよ……

 でも、そんな事言ってたら何も変わらないんじゃないか?


 それに……、揉める度に好きな女に″別れよう″って言われる俺の気持ちはどうなるんだよ。

 はっきり言って、かなり傷付くよ……

 このまま、俺がみちるの言う通りに動いて、揉める度にみちるを宥めたらいいのか?


 そんな事を一生繰り返すのか?


 そんな事を考えている間にも、みちるは「なんとか言えよ!!」だの「早く、この部屋から出て行け!!」だの言っている。


 ここで、みちるの要望を聞き入れたらみちるの機嫌はコロッとなおるだろう。でも、機嫌が良くなるのは一時的な物で、また何かをきっかけにこうやって喧嘩をする事になるんだ。


 それに……

 このまま俺だけが引き続けられる程、俺は出来た人間じゃない。俺はその場をゆっくり立ち上がると、ボストンバックに自分の着替えを詰め込んだ。


「分かった。 みちるがそこまで言うなら俺は出て行く……」


 別に、みちると別れたいだなんて思っていない。ただ、しょっちゅう言い争いになる事に疲れていたし、お互いにひとりになってお互いの事を考える時間がちょっとだけ欲しかった。


 それに___


 何かある事に″別れよう″って言われて、

 考えてしまったんだ。みちるは本当は俺の事が必要じゃないんじゃないかって……

 もしかしたら、俺はみちるに嫌われてるんじゃないかって……


「自分勝手なやつだな!!!早く、出ていけよ!!!」


 興奮MAXな口調で、みちるにそう叫ばれ胸がキリキリと痛む。そして、思わず溜め息が漏れた。


 結局さ……

 みちるとずっと一緒にいたいって思っていたのは俺だけで、みちるはどうなんだろうな?


 しかし、あれだな。

 普段のみちるはだらしないけど、いつもにこにこしていて甘えん坊で可愛いのに、怒ったみちるはまるで般若みたいな顔をしている。


 普段のみちると、怒った時のみちるはあまりにも違いすぎて、二重人格なんじゃないかって疑いたくなるよ。

 それ程に、変わりようが激しいんだ。


 ボストンバックを担ぐと、玄関に向かってゆっくりと歩く。


「二度とこの部屋に来るんじゃねーぞ!!!裏切り者!!!」


 玄関のドアに手をかけた瞬間。そう、叫ぶみちるの声が聞こえたけど、知らんぷりをして外に出た。


 俺が……、俺が何をしたって言うんだ。

 悲しくて涙が止まらない__

 本当ならばタクシーでも呼んで家に帰りたかったが、止まらない涙のせいで歩いて帰る事にした。


 みちるのアパートから、実家まで歩いて20分くらいかかるだろうが構わない。


「結局。 舞い上がっていたのは俺だけか……」


 そう、呟いた瞬間。ポケットに入れている携帯がブルブルと震えた。

 こんなタイミングで誰だろう__

 そんな事を考えながら、携帯の液晶を確認すると、″メール受信 一件″の文字。


 しかも、差出人はみちるだ___


 中身の文章を確認したいけど、見るのが怖い。

 だって、もし、今。

 文句や悪口メールなんて見てしまったら、立ち直れなくなるだろう。


 だから、メールの中身を確認する事無く自宅であるマンションに戻った。


「優斗~? あんたが帰って来るなんて久しぶりだね~。

 また、友達の家にでも行ってたのー?」


 久々に自宅に戻って来た俺を見るなり、母親がそんな事を言って来る。


「彼女と一緒に住んでたけど……、振られたっぽい……」

「へっ? あんた彼女いたの?プリクラか写真ないの? 見たいー」


 ちょっ。

 今、振られたって言ったのに……、プリクラか写メ要求するって、どういう事ですか?


 俺と母親の親子関係は、母親と子供って言うより、兄弟みたいなもんだ。母親は誰かれ構わずこんな調子だから、俺の友達とも仲がいいし、見た目も若いと言われるのが、俺の自慢だったりもする。


 のほほんとしすぎな母親だけど、こういう時に心配されると、余計に憂鬱な気分になりそうだから助かる。


 ああ……

 つい、さっきまでみちるの事をいつか母親に紹介したいなんて思ってたんだよな……。

 ぶっちゃけ言うと、あんだけ言われたのに、未だにみちるに会いなんて思っている俺は女々しい男だと思う。


 そんな事を考えながら、ポケットから携帯を取り出した。


「写真ならあると思う~」


 そう呟きなかもら、液晶を見ると。

 着信18件。

 メール28件。


 なんだ、これ?

 もしかして、みちる?


 みちるのアパートから出て、一時間くらいしかたってないと、思う。なのに、この着信とメール受信は異常だろ!!なんて、思いながらも安堵している自分がいる。


 なんていうか、あんな別れ方に納得いかなかったし。

 何より、あんなにもあっさり別れてしまったら寂しい気もしたんだ。それに何より、みちるとどんな形でもいいから繋がっていたかったんだ。


 とりあえず、みちるの写メを探して、母親に見せると「可愛い!」「お人形さんみたい!」「あんたには勿体無い~!」だの騒がれたのち、


「振られても、好きなら諦めないのよ!」


 なんて、元気付けられてしまった。


 だよな。

 まだ、好きだから……

 ちゃんと心行くまで話して、それでもみちるが俺と一緒にいたくないって言うよなら考えたらいい。そんな事を考えながら、みちるから届いたメールを届いた順にチェックしていく。


『ちゃんと話し合わずに逃げんじゃねーよ!』


 はっ?


『とりあえず、今すぐアパートに帰って来い!話し合わずに出て行くなんて、卑怯だろ!別れるなら、別れるでちゃんとしろよ!!』


 ……………

 …………………


 ″出て行け!″って、言ったのはあなたですよね?みちるさん……

 思わず、そんな突っ込みを入れてしまいそうになる。 みちるの言ってる事はめちゃくちゃだ。


 でも″帰って来い″=″別れなくてもいいかも知れない″。

 そう思うと、気が楽になる。


「しかし、凄い量のメールだな…」


 そう、呟きながら次のメールを開くと、


『さっきはイライラしてたから、あんな言い方しちゃったけど。本当は優斗に出て行って欲しいだなんて思ってないよ。とりあえず、帰って来て』


 __ちょ。なら、出て行けなんて言うなよ……

 振られたかと思って、落ち込んだのは何だったんだよ……


 そう、思いながらメールを開いていく。


『いつ、帰って来るの?』

『とりあえず電話出てよ!!』

『あたしの事嫌いになっちゃった?』

『無視とか卑怯だろ!

 とりあえず、電話でろ!!逃げ腰!!』


 こんなメールの無限ループだ。つーか、メールでも感情の移り変わりが激しいな……

 そんな事を考えていたら、携帯がブルブルと震えた。


 メール受信 一件

 何も考えずにそのメールを確認すると、画像が添えられている。


「何だろう?」


 画像を確認した瞬間、頭の中が真っ白になってリビングに走った。

 意味が分からない。


「母さん!!今から、彼女の部屋に行きたいんだけど、車で送って!!ついでに、救急箱!!」


 いつもは、トロイ喋り方と動きの母親だけど、俺の尋常じゃない焦り方に気が付いたのだろう。


「救急箱? 彼女になんかあったの!?車は出すから優斗も急いで!!」


 そう言いながら機敏な動きで、救急箱を片手に部屋から飛び出すと、車に乗り込んだ。


 みちるが送ってくれた画像とメールの内容を思い出して気分は下がりっぱなしなのに、心音だけがドックンドックンと騒ぎ続ける。

 なんなんだよ。

 どう、いう事なんだよ。


 みちるから送られて来たメールには、『優斗の事を信じたあたしがバカだった。しにたい』とだけ書かれていて、血を流しているみちるの腕の写メが添付されていた。

 きっと、あれはリスカだろう。


 なあ?

 俺はみちるに対して裏切り行為でもしたっけ?

 自分でも、気付かないでみちるを傷付けてしまった?


 大好きな彼女が、自分で自分を傷付けるまでに追い詰めてしまったのか?

 色んな事を考えているうちに、みちるのアパートに着いてしまった。


 急いで車から降りると、みちるの部屋に急ぐ。そんな俺の後を追うように、救急箱を手にした母親がついてきた。


 どうか、みちるが何事もありませんように__

 訳わからない神頼みをしながら、みちるの部屋のインターフォンを鳴らすがドアが開く気配はない。


 そんな現実に最悪の想像をして、ドアノブに手をかけて思いっきり引いた。そしたら、呆気なく開くドア。


「みちる!! 大丈夫か!?つか、あの写メなんなんだよー!!」


 不安を掻き消すように、そう言いながらみちるの部屋に入ると、布団にくるまって横になっているみちるがいる。


 部屋の床や布団が血だらけになっている事もなく、みちるの顔色もいつもと変わらない事に少しだけホッとしながら、みちるの髪を撫でた。


「みちる……、起きてる?」


 そう、喋りかけるとみちるの瞼がゆっくり開き驚いたような表情で俺の後ろを見ている。

 なんだ?

 なんかあるのか?

 なんて、考えながら後ろを振り向くと母親が救急箱の中を漁っていた。


「えっと、優斗の彼女ちゃん?」


 母親の問い掛けにみちるがこくりと頷く。


「本当に~!! まさか、優斗にこんな可愛い彼女がいるなんてーー!!恥ずかしい話なんだけど、この子ったら今まで一度も彼女が出来た事なくて諦めてたのー!!」


 嬉しそうな声でとんでもない事を言い出す母親に唖然とした。


 ちょ!

 会ったばかりでそんな話するなよ!!

 は、恥ずかしい。


 でも__

 そんな恥ずかしい話を聞きながら笑っているみちるを見て安心する。みちるの笑っている顔が大好きだから、癒やされる。


「で、優斗が慌てて救急箱って言うから持って来たんだけど、みちるちゃん怪我でもしたの? 大丈夫?」

「だ、だ、大丈夫です!!」


 みちるは、俺の母親が登場するなんて思ってなかったのだろう。かなり焦った様子で「かすり傷みたいなもんです」なんて言ってにこにこしている。


 よく考えたら、リスカなんて言い辛いよな。

 ましてや、相手が俺の母親だなんてなおさらだ。みちるも元気そうだし、俺の勘違いって事にしておこう。


「あ、かすり傷だったんだ。 ごめん、俺が早とちりしたみたい」

「優斗ー! あんたが真っ青になって彼女の家に送って行ってって言うから、何事かと思ったら……。でも、まぁ。 それだけみちるちゃんの事が好きって事よねえ。

 とりあえずは母さん帰るから、今度2人で家に泊まりに来てねっ」


 母親はそれだけ言うと、帰ってしまった。


「もーう!!お母さん来るだなんて聞いて ないよー!! 焦った………」


 意外にも普通に俺に話し掛けてくれる、みちる。


「い、いや…、写メ見て焦って……。

 つか、大丈夫なの?」

「うん。 ちょっと切れただけ」


 みちるは、そう言いうと布団の中から手 を出した。その手には、所々血が付いたタオルが巻かれていて、 どんな対応をしたらいいのかが、分からない。


「え、えっと。 病院とか行かなくて大丈夫なのかな?」

「大丈夫だよ。 かすり傷みたいなものだ から」

「そっか……」


 かすり傷と言われても、それは明らかにみちる自身が自分を自分で傷付けた跡。

 怪我じゃないんだ__

 そう思ったら、どうしていいか分からなく て、みちるにかける言葉すら見つからない。


 母親が気を使って置いてくれていた救急箱 があったから、処置をしようとしたがみちるはそれを拒む。


「なあ、みちる」

「ん?」

「もう二度とこんな事しないでね?」

「うん……」


 本当に、写メを見た時は悲しくて、心配したんだよ。この日を境にみちるは、またもや仕事に行かなくなってしまった。


 みちるは何の仕事をしているんだろうと か、みちるは何でリスカなんてしたんだろうとか。


 疑問は盛り沢山だけど、自分の言葉でみち るを傷付けてしまうかも知れない。 そう思うと、疑問を問いただす事なんて今は出来ない。いいや、一番の理由はみちるの機嫌を損ねてしまうのが怖かったんだ。


 みちるは機嫌が悪くなると、とんでもない事をしでかすから__


 今回のリスカの件で、よけいにそれを思い知らされた。でも、普段のみちるは可愛くて優しい子だから。


 おかしくなりさえしなけれは……

 感情の起伏が安定さえすれば……


 まさに、理想の彼女なんだよ。


 この時の俺は、″そのうちみちるは普通に なってくれる″ って、信じ込んでいたんだ。


 自分が、みちるを闇から救い出すなんて本気で思っていたよ……


 でも……

 今までの出来事は

 ただの、序章過ぎなかったんだ。

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