第8話 彼女は匿名希望

 あの日から、みちるが外出する事が増え始めた。だいたい、昼にアパートから出て夕方にはコンビニ弁当を片手に戻って来る。

 その間は、求人情報を見ながら色んな事を考えて時間を過ごしていた。


 カチャリ

 玄関のドアが開いた音がして、みちるが帰って来た事を確認する。


「おかえり」

「優斗~!ただいまぁ」


 みちるは、バタバタと足音をたてながら部屋に入るとガラステーブルの上に買ってきた弁当を並べた。


「コンビニ弁当も飽きちゃったから、今日は○◯◯○弁当のお弁当にしたよー。

 そういえばさー…」

「ん?どうした?」

「この前、優斗にミュールと香水買って貰ったでしよ?」


 なんだか、少しだけ戸惑ったような表情でそんな事を聞いてくるみちるに「うん」とだけ返事をする。


「あたしもね、優斗にプレゼントがしたいんだけど……、優斗は何が欲しい?

 何でもいいよ?」


 俺が欲しい物?

 はっきり言って、みちると一緒にいれたらそれが最高に幸せなんだけどな……

 って、あーーーっ!!!

 かなり欲しい物ってか、みちるにして欲しい事が有る!!!


「じゃあさ!!!

 なんか、みちるの手料理作ってよ!!」


 はっきり言って、みちるは料理なんて殆どしない子だと思う。だって、台所にある物なんて冷蔵庫とコップ数個だし。

 でもさ、そんなみちるが俺の為に料理してくれたら嬉しいななんて思ってみたり。


「え!して欲しい事って、料理?」


 驚きを含んだ表情で、そう聞き返して来るみちるに「そうだよー!!」とだけ返事をした。


「何で料理なの?」


 不思議そうな表情でそう呟くみちる。

 よっぽど料理をしたくないのだろうか。眉間にシワを寄せ考え込んでいる。

 でも。


「みちるが作った料理食べたい!!」


 どうしても食べたい訳。

 料理が苦手なら苦手で構わない。

 ただ、みちるが俺の為に作ってくれる事に意味があるんだ。

 でも、みちるは料理したくないのかな?


「やっぱ、無理かな?」

「そういう訳じゃなくて………」

「なら、作ってくれるの?かなり、嬉しいんだけど!!!」

「いや、そういう事じゃなくて!!優斗おかしいよ!!」


 へっ……

 俺なんか変な事言ったっけ?


「俺がオカシイって、どういう事?」

「だってさぁ……」

「うん……」

「あたしは、優斗になんでもプレゼントするって言ってるんだよ!!なのに、何でわざわざ料理作ってだなんて言うの!?」


 口調は怒ってるけど、なぜか嬉しそうな表情でそんな事を言うみちる。

 何でって、答えは簡単だ。


「彼女が作った料理食いたいから」

「で……、で…、でもさぁ……」


 ちょ!!どもってるし、可愛いー奴。


「んっ?」

「普通、何でもプレゼントするって言われたら高いものを要求しないー?」


 っ、何それ?自分だって、俺がプレゼントをするって言ったら安いやつを選ぼうとしていた癖に。


「そんな事言わないの!俺がみちるが作ったご飯食べたいって行ってるんだから、それがいいんだよ」

「でも……。元彼は……、あたしがなんでもプレゼントするって言ったら高い物ばっかり要求してきたよ?」


 みちるは悲しそうな瞳でそう呟いた。

 みちるの元彼の話なんて聞きたくない。それに、そいつ嫌なやつだな。


「まぁ、そいつはそいつ。

 俺は俺。で、俺はみちるにご飯作って欲しい訳!!ダメ?」

「優斗は優しい人だね。あたしが今まで付き合ってた人は散々あたしに貢がせたり、浮気したりしてきた……」


 まじかよー。

 でも、俺はそんな事しないし、みちるを幸せにするつもりだ。

 だから、嫌な過去は思い出さないでいいよ。


「その話はもうお終い!!俺がさ、絶対に幸せにするから!信じて?」


 そう言うと、みちるは納得出来ないような表情を一瞬だけ浮かべた。


 でも、さ。そのあとに、にっこり笑って頷いてくれたんだよ……

 そして、ちょっと困ったような表情を浮かべながら俺をちらちら見ると、


「優斗ーー!!そういえば、あたし料理苦手…。失敗したらどうしょう……。まずかったらどうしょう……」


 困ったような表情で、そう問い掛けてくるんだ。

 失敗したら?

 まずかったら?

 別に気にする事でも無いよね?


 だってさ、みちるが俺の為に料理を作ってくれる事が嬉しいんだから。そりゃー。最初から料理上手だったら、それはそれで嬉しいけど。料理が苦手なみちるが頑張って料理してる姿を想像したら可愛いしさ。


 料理が出来なかったみちるが、俺の為に料理が少しずつ出来るようになって、レパートリーを増やしていく。

 なんて、いう姿を見て行くのも幸せだと思う。

 出来る。出来ない。なんて、どうでもいいんだよ。失敗しない人が存在しない事くらい分かってるしさ。


「失敗しても、不味くても、大丈夫!!

 みちるが俺の為に作ってくれたのなら、喜んで食べるって!!!

 ……あ!!でも、さすがに紫色のドロドロの液体とか、正体不明な食材とか入ってたら怖いかも。ごめん」

「ちょっと!紫色って!何入れたら紫色になるのー?でも、そう言ってくれるなら頑張ってみる!!!

 えとね……、ぶっちゃけ料理ってしたことないから、最初はカレーでいーい?」


 こんな会話に幸せを感じる。


 カレーか。

 初心者向けの料理っぽいし、何より。


「カレー、大好きなんだよね!!

 ちょー楽しみ!!!近いうちに、炊飯器とか、鍋とか買っとくから作ってね!」


 そんな、会話をした後に弁当を食べながら考えた。こんな物なんかより、みちるの手料理が食べたいって……


 次の日も、みちるはどこかに出掛けてしまった。まさか、さ。みちるだけ、バイトを初めたとか?


 そんな風に考えてしまうと、昨日みちるが言っていた言葉が脳裏を横切った。


「前の彼氏に貢がされて__」


 このままの生活を続けていたら、俺もそんな風に思われてしまう。まだまだ、金は有るけどちゃんと考えないと駄目だよな。


 仕事を__


 そんな事を考えながら、服を着替えて玄関に向かうと、玄関のドアに備え付けられたポストの中身がぎゅうぎゅうになっている事が気になった。ここはみちるの部屋だから、勝手に郵便物に手を出すのは気が引けるけど。


 中身を取り出して、テーブルの上に置いておくくらいなら問題無いよな?

 ポストから中身を取り出し、テーブルの上に置いた。


 宅配ピザなんかのチラシがその大半を占めている。あとは、ちょっといかがわしい店の電話番号が印刷された小さなチラシが紛れ込んでいたのか、ひらひらと床の上に落ちてうざったい。


「だいたい女一人暮らしの部屋にこんなチラシ……入れるなよ!」


 そんな事を呟きながら、それを拾うとゴミ箱に捨ててから視線をテーブルの上に戻した。


「あれっ?」


 みちるは光熱費を引き落としにしていないのだろうか。それとも、払うのを忘れてしまったのだろうか?


 電気代、ガス代、水道代の支払い用紙の入った封筒がチラシの中に紛れ込んでいる。

 しかも、どれも2か月分滞納の状態だ。


「うわ。どれも、止められたら困るよなー!!」


 俺も一緒に住んでいる訳だし、払ってもいーよな?

 封筒の中から支払い用紙を取り出そうとした瞬間。とんでもない文字が視界に飛び込んできた。


 住所はここであっている。

 ただ、みちる宛ての支払い用紙じゃないんだよ。封筒は、『高野江美様』宛てで届いているんだ。意味が分からない。


 高野江美って、誰だよ?


 郵便物が間違っている?

 でも、全ての郵便物が名前だけ間違ってるっておかしくないか?


 て、事は『みちる』っていうのが偽名?

 もしくは、他の誰かがこの部屋を契約してるとか?


 とりあえず、みちるが帰って来たら聞いてみよう。そんな事を考えながら、ポケットから携帯を取り出し、


『今日さ……、帰って来たら話があるんだ』


 とだけ、みちるにメールを送った。とりあえず、支払い用紙を手にしてコンビニに向かうと支払いを済ませる。


 それが終わったら、実家に戻って母親に車を出して貰い電子レンジと炊飯器。あとは、キッチン用品なんかを購入していく。


 多分さ。

 みちるは、俺に偽名を使ってるんだよ。

 でもさ、好きで好きで仕方がなかったんだ。

 よく考えたら変な事ばかりだったのに、それでもみちるを諦める事なんて出来なかったんだ。


 未来には幸せが待ってるって、思っていたのかな?

 ううん。

 俺が幸せにすればいいって信じてたんだ。


 アパートに戻ると、炊飯器とレンジをキ台所に置いた。あとは、フライパンやら包丁を並べていく。


 どうやったら、みちるが台所を使い易いだろうか?なんて、考えながら台所を掃除するのは楽しいけど、さっきの事が引っかかってしまうのも事実で、モヤモヤを誤魔化す為にひたすら掃除に集中している自分がいる。


「みちるから、返事来てないかな?」


 独り言を呟きながら携帯の液晶を確認すると、着信メール一件の文字が写し出されている。ゴクリと唾を飲み込み、メールの内容を確認すると。


「話って何?別れ話?」


 それだけのメールに、何とも言えない気分になってしまう。俺は、みちると別れたいなんて思っていない。なのに、何故?


 もしかしたら、みちるは俺と別れたいんじゃないか?

 だから、本名すら教えないのか?なんていう、疑惑を持ちながらただただみちるが帰ってくるのを待った。


 ガチャリと鍵のひらく音が聞こえて、どこか機嫌の悪そうなみちるを視界に捉えた。


「おかえり……。あのさ、メールの事なんだけど……、別れ話とかじゃなくて……」


 話を言い終われないうちに、みちるが他の話をしだす。


「優斗ーー!この台所どうしたのー?

 なんか、色々増えてるんだけどー!!

 て、いうか、鍋とかフライパン可愛い~」


 でも。みちるが喜んでくれた事が嬉しくて、さっきまでの不安感とかが和らいでいくような感覚に襲われはじめるんだ。

 そう。

 みちるさえいてくれたら、どうでも良くなるような気すらしてくる。でも、そういう訳にはいかない。


「みちるに料理作って欲しかったから、買った」

「そーなんだぁ!ありがとう!!頑張って色々作れるようになるね!!」


 嬉しいよ……

 凄く、嬉しい………

 でも。


「みちるってさ、本名もみちるなの?」


 そう言った瞬間、みちるの表情が曇り、今にも泣き出しそうな表情にすら見える。


「い、いや。今日、ポストに広告が溜まってたから掃除しようとしたら、たまたま郵便物の宛先見ちゃって……

 勝手に見てごめん。あと、光熱費の支払い来てたから払っておいた。ほら、俺も一緒に住んでるんだから……」

「そっかー。見ちゃったかぁ」

「うん。だから気になって、メールしたんだけど……」

「だよね。

 今まで嘘付いてたみたいな形になっちゃったけど……、サイトで知り合った人に本名教えちゃうのも怖くて。

 でもね!!優斗と会ってから優斗の事が大好きになっちゃって……、今更偽名だなんて言い辛かったんだよね……。ごめんね。

 優斗が、あたしの事許せないなら別れてくれても大丈夫だから」


 また、別れるって言いやがって!


「確かに、サイトだと偽名使いたくなるよな。それなら、それで大丈夫!だからさ、簡単に別れるとか言わないで」

「うん……。分かった……」


 みちるがそう言ってくれたのはいいんだけど、みちるの瞳が潤み始めて、涙になって頬を濡らしている。

 俺なんかマズい事言ったかな?


「みちる、何で泣いてるの?」

「え。優斗は優しいなって思ったら涙が。なんか、ごめんね。

 あたしがもっと早く偽名の事話しておけば良かったね。それと、電気代とか払ってくれてありがとう!!」


 なんだ。

 そういう事か。

 ホッと一息ついた瞬間、みちると視線が重なった。


「みちる」

「何?」

「みちるの事、本名で呼んでもいい?」


 自分の彼女を偽名で呼ぶなんておかしいし、本名で呼びたいんだよ。誰だって、好きな人に対してはそうしたいし、そうするのが普通だよね?


 なのに……


「本名は恥ずかしいから、みちるって呼んで~」


 迷う事すらなくそう答えるみちるに唖然としてしまう。おかしいよ。

 どうして、自分の彼女を偽名で呼ばないといけないんだよ。

 だから、ありのままの気持ちを伝える。


「でもさ、みちるは俺の彼女だから……、本当の名前で呼びたいんだ」

「えー!名前なんてどうでもいーじゃん。あたし、ちょっと前に夜の仕事してたんだけど、そこでの源氏名がみちるだったから、みちるって呼んでもらった方がしっくりくるんだよね~」


 なのに、みちるはにこにこしながらそう答えた。そんな事を言われても。


「俺は、みちるの事を本名で呼びたい!」

 

 なんで、自分の彼女を偽名で呼ばないといけないんだよ!!つーのが、本音。

 でも、みちるは、そう主張する俺の事をどこかを冷めた視線で見ている。そして、その表情に哀しげな色が現れた。


「ねぇ、優斗……」

「うん?」

「あたしは、あたしなりに本名で呼ばれたくない理由があるんだよ。

 でもさぁ……。優斗が我が儘言うなら話したくない事まで話さなきゃダメじゃん……」


 哀しげでありながら、何かを強く強く恨んでいるかのようなみちるの瞳が俺の視線を捉えた。


 何だろう。

 確かに、今現在、みちるの瞳からは涙が溢れているのに、その瞳に恐怖すら感じてしまう。


 視線を反らしたい__


 そう思って、視線を伏せた。

 その、瞬間。


「優斗。あたしを見て?」


 みちるが俺を呼ぶ声に反応して、再度視線が重なった。

 みちるの形のいい唇がゆっくりと動いて、言葉が発される。


「あたしね……。本名で呼ばれると気が狂いそうになるの……」


 なんで?

 って聞きたいけど、聞いたらいけない事の気がして黙り込む俺。それでも、みちるの唇は止まらない。


「あたし、昔いじめられてたんだー。

 ほら、前に話した事があるでしょ?あたしが整形してるって話」

「うん……」

「あたしね、凄い不細工だったの!!今でこそ普通になれたけど、昔はひどかったの。

 でね、顔の事で馬鹿にされたり、無視されたりしてたの。時には、男子に暴力的な事をされる事もあった……。石を投げられて、怪我をした事だってあるんだよ……。

 優斗は、そういう事された事ある?」

「ないよ……」


 そう答えた瞬間。

 みちるの冷たい視線を感じて、【優斗はそんな経験ないんでしよ?だから、優斗にはあたしの気持ちなんて分からないんだよ】って、言われた気分になった。


 俺じゃ、みちるの気持ちを理解出来ないんじゃないかって思える。


 俺じゃ、好きな人を守れないんじゃないかって思えてくる。


「だよね。優斗はなんだかんだで整った顔してるもんね。本物の不細工の気持ちなんて分からないよねー」


 なんだか、あっけらかんとした表情でそう呟くみちるに思わず突っ込みたくなる。みちるが気にしてるのって、いじめられていた事もだけど、一番の理由は顔の事?


 みちるの言い方からしたら、いじめられていた事も辛かったんだろうけど、自分が不細工だからいじめられていたという事実が同等に辛かったようにも聞こえる。


 ならさ、俺が昔のみちるを見ても、好きだって言い切れるのなら……、みちるの辛さは少しくらいは和らぐのかな?

 なんて、考えてしまった。

 少しでも、みちるが楽になれるのなら、それに賭けてたいんだ。


「確かにみちるの気持ちを全て理解するのは無理だと思う……。でも、思い出したくない過去があるなら当分『みちる』って呼ぶよ。

 でも、俺は本当の名前で好きな人の名前を呼びたいから……、いつか……」


 そう言うと、みちるは無邪気な笑顔を見せてくれた。


 その、笑顔を見ながら考える。

 さっきまで、大泣きしていたのはなんだったんだろうと。


 さっきまで、俺に向けていた憎しみを彷彿させるような視線はなんだったんだろうと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る