第6話 サンドバッグ
「あゆみ。お願いがあるんだ。聞いてくれる?」
「うん。私が出来る事なら…」
「じゃあ、仕事を辞めてよ」
私が脱走に失敗した日から、彼は更に変わってしまった。
「でもさ、仕事を辞めたら家賃とか光熱費が払えない……よ?」
今の収入源は私だけだから、もし私が仕事を辞めてしまったら、家賃などが払えなくなってしまうのは彼も理解しているはずだ。
大丈夫。
そう思ったのに__
「またすぐ仕事見つけたらいいじゃん。
それに、お前が今働いてる所男が多すぎなんだよ。あ!!!お前まさか!!仕事場の男と浮気してるんじゃねーだろうな?だから、辞めたくないんだろ?」
浮気なんてしてるなんて、有り得ない。
そんなの普通に考えたら分かるよね?
でも、彼には【普通】なんて通用しない。
「なあ!!仕事辞めるだろ!?」
「でも、そんな事したら生活出来なくなっちゃうよ……」
通じない
通じない
暴力による鈍い音が体内に響き渡り、私の心に恐怖心が、__落ちた。
「なぁ、浮気してるから辞めたくないんだろ?あぁ?本当の事言えよ!!」
「違うよ」
否定しても、肯定しても結果なんて同じ。
彼の言うことに「YES」と答えるまでは殴られ続ける。私達の関係は、彼氏と彼女じゃなくて、ご主人様と奴隷。
そう、感じた。
「私、仕事辞めるよ」
本当は、辞めたくなかった。
頑張って働きつづけたかった。
でも、殴られるのが怖くて、彼の無理な要求を受け入れる事しか出来ないんだ。私が突然仕事を辞めれば、仕事場の人達にだって迷惑がかかるのは分かっている。でも、彼に許して貰うには辞めるしかないんだよ。
何を許して貰うのかって?
それすら分からない。
何で彼が、こんな事で怒るのかさえも理解出来ずに、ただ頷くだけ。
さっきまで鬼のような形相で暴れ狂っていた彼は、私が仕事を辞める事を伝えると落ち着き眠りについた。
不思議だな。怒った彼は鬼みたいなのに、寝顔は子供みたいに無邪気だ……
キシキシ痛む体を庇うように、そんな彼の横に寄り添い眠ろうとした瞬間。
「今日は、逃げないんだね。良かった。あゆみがまた逃げ出すかと思ってずっと寝たふりしてたんだ___、、、俺の事、好き?」
彼は、ニコニコしながらあたしを見ている。
「好きだよ」
「俺も、あゆみが大好き。だから絶対に俺から逃げるなよ。あゆみに逃げられたら俺……、何するか分からない……」
それは、愛の言葉。私を意のままに操る為の、嘘の愛の言葉。だから、私は引きつった笑顔でこう答えるしかないの。
「大好きだよ」
確かに彼の事は、好き。でも、それは優しい頃の彼の事で今の彼に対する感情は恐怖のみ。だから、殴られない為に彼が望んでるであろう言葉を語る。
真実の言葉なんて語る事は出来ない。
それが、私と彼の関係。
「じゃあ、俺達ずっとずっと一緒に居ようね。どっちが死ぬまでずっと一緒に居ようね。ううん、死んでからもずっと一緒だよ」
彼は、ロマンティストなんだろうか?
たまに、こんな台詞を恥ずかしげも無く口にする。そんな、恥ずかしい台詞に幸せを感じながら聞いていた時もある。でも、今は彼の台詞が嘘と狂気にしか聞こえない。
仕事を辞めて3日が過ぎた。
そして、今日は給料日。私も彼も、職場に散々迷惑を掛けたはずなのに。
不思議だな。ちゃんと給料は支払われる。
でも、助かる。これで、今月の家賃とか、光熱費は払えるから。ほら、彼も給料を見て嬉しそうな顔をしてる。
これを機会に働く喜びを感じてくれたら嬉しいんだけどな__
でも、思い通りには進まない。
「今からパチンコ行くぞ!!あゆみも準備しろって!!!あー、久々に打てる!ガンガン稼ぐぞー!!!」
彼はパチンコに行く気満々だ。別に、金額を決めてやるのだったら構わない。
ただ___、彼は、勝つまで金をつぎ込むだろう。
やだよ。
やだ。
せっかく、頑張って働いた給料を水の泡にされたくない。でも、殴られる事が怖くて頷く事しか出来ずに、彼とパチンコ屋に向かった。
何もかもが違う方向に傾いてしまう。
少しずつ。少しずつ。
確実に。
パチンコ屋に着くと、彼は子供が見せるような笑顔で速攻スロットを始めた。
1000円。
2000円。
3000円。
あんなに苦労して稼いだお金が、どんどん無くなっていく。そして、30分もせずに彼は彼自身の給料を使い果たした。
ちょっとくらい取っておこうとは思わないんだろうか?
彼の考えが理解出来ずに戸惑っていると、
「あーあー。もう少しで出そうなんだどなー!!!」
彼は、給料を使い果たしたというのに座っていた台から立ち上がろうとせずに私を見て薄笑いを浮かべていた。
「あゆみー。もうちょっとで出そうだから金貸して!」
その行動の理由は、私のお金を当てにしているから。
はっきり言って彼にお金は貸したくない。
でも、彼の気分を害してしまう事が怖くて財布から一万円を出し彼に渡した。そんな私の気持ちに気付く事も無く、嬉しそうにスロットを続ける彼。
そんな彼も、金が減っていくにつれ機嫌が悪くなっていき、金が尽き果てると・・・
「あゆみー。もう少し、あともう少しで出るから貸して」と、繰り返す。
きっと彼は、金が尽き果ててしまうまでスロットをやり続けるだろう。だから。
「ごめん。もうお金無いんだ・・・。家賃と光熱費の料金引き落とされたから、すっからかん」
「じゃあ、帰ろ」
意外とアッサリ引き下がった彼に怯えながら、椅子から立ち上がる。
ドンっ!
ドン!ドンっ!
彼は、さっきまでしていたスロットの台を数回殴り、その場を後にした。
まるで子供が八つ当たりをしているかのような彼の行動に恥ずかさを覚えながら店を出ると、アパートに向かって歩き始めた。
「つーかさ、あゆみのせいでスロット負けたんだけど」
「え、なんで?」
「お前と付き合ってから運が落ちた」
「まじかー。ごめんね」
このやりとりは何なんだろう。彼と一緒だと本音すら晒せない自分がいる。出来るだけ彼の機嫌を損ねないように話すから、自分の意見なんて無いみたいな物だ。
怒らせないように
殴られないように
ただ、それだけの為に生きている。
でも、それはとても難しい事だ。
アパートに辿り着き、部屋という閉ざされた空間に入った瞬間、彼の右腕は私に暴力を振るう。殴られている理由は、パチンコに負けた八つ当たりだろう。
そんな、理不尽な暴力に対してムカツクだとか許せないという感情的はとっくに無い。
彼に殴られながら『この痛みから早く解放されたい』と、ひたすら願うだけ。それ以外の事なんて考えられない。
まるで、私は痛みに怯えたサンドバックだ__
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