第30話

 首に巻かれているデバイスに霊力を送り込んで短縮ディスプレイを作成し、アナログ時計を表示する。

 10:04

 何度見ても変わらないその数字に、きざむは脳内が冷めていくのを感じた。

 冷めて行くと言っても、一瞬沸騰した感情が萎えていくと表現するのが正しいのだが。

 

 きょうこの部屋の扉をノックしたものの返事がない。すわ、また地下に、と慌てて中を確認したところ、ベッドの上で上下逆転して備え付けのベッドボードを乗り越え、空中に下半身を投げ打った彼女の姿があった。重力でパジャマが捲れ、腹を全開にしている色気もクソもない姿がいっそ惨めだ。

 よくそんな体勢で落ちないなという支点力点だの、てこの原理を疑うツッコミを抱きつつも、そもそもどうしてそんな格好に、という寝相の異次元さという大前提に思い至る。


 そもそも大前提の大前提、うたた寝ならまだしも扉を開けても気が付かないような熟睡を朝の10時までするなという話である。

 きょうこが小学校に通い始めて、その寝坊癖を直さない母親の代わりに毎朝起こすこととなったきざむが、自身が起こすことができない日の為に6時に起きる癖を付けようと、アラームが毎日鳴るように設定している。

 ここで寝ているということは、それが一切機能していないということ。そもそもアラームを貫通して寝ているのか、一度起きて二度寝をしているのか分からないが、この先独立した時どうしたものだと。

 そう考えたら無性に腹がたってきた。赤熱化した鉄球をぶち込まれたような突沸的だった最初の感情のうねりとは違い、今度は全体が攪拌されつつゆったりと沸騰している様な、そんな怒り。

 

 床に散らばった機械類の残骸を避けつつ部屋に入らないといけないところに、どこかの研究員との信頼の差を感じてしまったきざむ。というか、機械系の研究職は床を汚くしなくてはならない決まりでもあるのかと。

 我が妹ながら虚しいことである、と嘆きながらベットの横に立った。

 どう起こすのが、最大値を叩き出せるか。

 

 水。

 却下。後始末が面倒。

 

 ベットから落とす。

 却下。床が汚すぎて下手したら流血沙汰になる。

 

 呼吸を封じる。

 最初いい案だと思ったが、何故か既視感を覚えて敗北感を得てしまう。

 

 というより、なぜ1月も経たない内に違う女の寝坊を起こさなくてはならんのだと、周囲の人間の時間へのルーズさに嘆くしかなかった。

 どこぞの女は早起きしてコーヒーだの朝食だのと用意してくれ……

 余計なことを考えたと目を閉じて深呼吸をすると、妙案を思い付いた。


 部屋中に転がっている資材の中から、ぱっと見垢で汚れたような黄ばみ方をした皮膜によって包まれた配線を引っ張り出す。

 手のひら全開20㎝を測り、爪で軽く亀裂を入れて皮膜を剥き取ると、中からは黒い素材の芯線が出てくる。

 通常人間から離れるにつれて霧散してしまう霊力を蓄え、道となる墳銅ふんどうという素材。

 剥いた部分をきょうこの指に軽く2回巻き付け、反対側から霊力を流し込む。

 

 霊力というのは質量を持たない存在だ。もし自分の霊力に触れても、液体よりも空気よりも触れているという実感が湧かない。

 しかしながら、他人の霊力となれば反発力が生まれるのは知ってのこと。

 他人と触れ合う時は魂という器に入っている限り害を成すことはないが、そこから出してしまえば実体となり、他人からも触れることができる。

 

 そして、他人と肉体接触している時に体表から霊力を押し込むように放出すると、お互いに低圧の電気が流れている様な感覚を得る。原理は現代霊力学では判明していないが、子供の遊びやいたずらではよくやることだ。


 これは知る人ぞ知る事象なのだが。

 

 本来両方が等しく電気が流れる様な感覚を味わうのだが、ケーブル等仲介物を用意するというワンポイントテクニック。

 ケーブルがそれを肩代わりしているのか、その感覚を味わうのは流し込まれた側だけという最悪の裏技が存在する。


「あばっばばばばばばばばばばばばばばばばばばば?!?!?!??!?!?!ばばばばばばばばばばばば!?!RJtりwsh」


 そして、ここにいるのは血みどろの戦闘を繰り替えす怪人の中でも上澄み。特に霊力の総量においては比肩する者がいないグレイニンジャである。

 しかもどれだけやってもしばらくの間背筋にぞわぞわとした感覚が残るだけだ。容赦情けは一切ない。


「おはよう。」

「お、はよ…………おにいちゃん…………」


 わざとらしいにこやかな笑顔に、引き攣った笑顔を返すきょうこ。


「お前平日ちゃんと遅刻せず学校行けてるんか。」

「ま、まあ、うん。友達が起こしに来てくれるから……あ、やめて!手をわしゃわしゃしないで!アイアンクローはノーなの!」

「お前一人暮らしどうすんだよ。」

「えー……大学の近くの部屋を取るとか?行きがけに誰か寄ってくれるでしょ?」

「誰かが起こしてくれる前提で話すな馬鹿たれ。」

 

 再度悲鳴が響き渡った。

 中学まではきょうこの所属していた卓球部の朝練の都合上、きざむもそれなりに面倒を見ていられたが、8時に家を出るのに6時に起こしてもという物だ。一度起こすだけなら兎も角、二度寝はどこまで行っても最後まで見ていないとどうにもならない。


 今起きたばかりのきょうこはもちろん朝食を食べている訳もなく。腹の虫を鳴らした彼女の為にきざむが台所に立っていた。

 父親は案の定地下に籠っている様で寝室は空だった。

 きざむは中華鍋を持ち出し、チャーハンでも作ろうかと冷蔵庫を開ける。ろくに中身が入っていないそこから食材を出していると、普段着に着替えたきょうこが降りてきた。


「卵期限切れてんだけど。」

「えー?言っても5日でしょ?火入れるなら5日くらいへーきへーき。」

「よかねえよ。期限切れ5日目で半分残ってるのは計画性ないだけだろ。」


 使い切るか、とパックごと取り出し殻を割ろうとしたところで、きざむの手が止まる。急に鼻で笑いだした彼に、きょうこは疑問符を浮かべる。


「どしたの?」

「………………くそ美味い半熟ふわとろオムレツ作ろうかなって。」

「?」

「Eパックでも導入すれば?みたいな味気のない完全栄養補給食しか食ってない人に差し入れとかどうかね。ワンチャン当たらないかな。」

「…………すっごい醜い話だねって、話の是非は置いといて。そもそも食べないでしょ、あの人。」

「食わないか。」

「食べないよ多分。私とお母さんがご飯食べてても、なんて時間の無駄な行為してるんだ、みたいな顔で見てるもん。」


 それもそうか、と再び手を動かすきざむ。ベーコンとネギに火を入れている間に、そもそも5日程度でどうこうなるほど、日本の卵はヤワい衛生規定を突破してないか、と自らの考えの浅さを自覚した。

 中華と鉄鍋というのは便利な物で、根本的に横着者のきざむとは相性がいい。なにせチャーハンを作っても、軽くペーパーで表面を拭けばそのままスープを作れる。洗うのも石鹸を使わず勢いのまま軽く擦るだけだ。

 それは手間を省く合理的なアイデアと捉えるのか、それに固執して他の案を実行しなくなる悪癖と呼ぶべきなのか、という両義性を孕んでいるのだろう。


 テーブルで向かい合い、雑な味付けの食事を掻き込む。

 時短の為にたっぷりと入れられた油と調味料特有の高塩分に塗れた中華料理という名の男飯なのだが、なけなしのサラダによって一見バランスがいい様に見えてしまうのが皮肉な物で。頻繫に美食の粋を極めることができる弊害がここで発揮されてしまっていた。

 とはいえこの兄にしてこの妹といったものか、そもそも育った環境なのか気質は似通った物で。放っておいたら普段から目玉焼き、缶ミート、袋サラダ、パック米、と同じ物ばかり食べるきょうこからすれば、そんな雑としか言えない男飯もアクセントとしては申し分ない。

 きざむやばんえんの進学で最近はめっきり減ったが、彼女にとって菊咲家で食べるそれと大差はなかった。パクパクと口へ運んでいき、皿は空になった。


「きょうこは今日どすんの?」

「んー……おばあちゃんの家に行こうかと思ってたけど……」

「ならなんで10時起きなんだよ。……いや10時起きじゃねえわ。起きてねえな。」

「てへっ?」


 食器や鍋を洗ってい終われば、時計の短針はもう11時近い。今からモノレールで向かうにしても、徒歩で駅に向かうとなれば時間がかかる。到着はかなり遅い時間になってしまうだろう。

 となれば、選択肢は1つしかない。

 睡眠不足の気付けにカフェイン取るか、とコーヒーメーカーに豆を入れてガリガリという雑音を聞いていた。

 

「おにいちゃん」

「なんじゃい。」

「…………また、しばらく帰ってこないの?」

「…………………………まあ。」

 

 心配そうなきょうこの声。ソファの上でクッションを抱いて丸まっているので、きざむからはその顔は見えない。

 次に帰って来られるのはいつになるだろうか、と思案する。

 世界間転移装置の完成は、妨害がない前提ならば2週間だと試算されていた。基礎理論をふんわりと聞いているだけのきざむでは実際の建設によるその全体像は見えていないが、遅延甚だしいのは確かだ。

 また、きざむにとっては業腹だが、周辺組織への支援も行わなくてはならない。暴竜帝国とその支援組織との決着が付いても、裸に剥かれた本丸が残っているだけでは直ぐに瓦解する。


「少なく見積もっても、1か月は忙しい。」

「そう、なんだ。」

「俺も早く終わらせたいんだけどね。」


 早く終わらせたい、か。と自分の言葉を反芻するきざむ。

 なんの為に急いでいるのか。それは、組織の、大局的には、きょうこの為。あの父親がいる以上、あまり家を空けていたくない。それに、この堕落した妹だ。放っておいたら、どれだけ無惨なことになるか計り知れない。

 さらに、根本的にクラウンブレッドの庇護というのは、どこまで行っても強大だ。それを維持しなくてはならない。

 

 しかし、それは急ぐ必要がある話だろうか?

 じっくりと腰を据えて1つ1つ、問題を潰して行く案件でも構わないはずだ。実際、ヒタチ達はそのように動いている。

 

 きざむの脳裏に女の顔がちらつく。

 自らの拒絶で数年の間、音符のあしらわれた仮面によって直視が阻まれてきた顔だ。

 しかしながら、親友ばんえん母親かんなきょうこに次いで見ているであろう顔だ。

 

 本名もしらないあの女に、どこまで自分が情を持っているのか。

 焦る必要などないのかもしれない。

 普通にゆっくりと周囲の組織を潰していって、多少の妨害をされて攻め込むのが遅れても、勝てばいいのだから。

 今は前線基地に詰めているが、その気ならば防衛は他に任せてきょうことゆったりしながらその時を待てばいい。

 

 ソファに移動し砂糖の代わりに粉末状のカフェイン剤を投入したコーヒーを啜る。

 子供舌のきょうこ用にココアを用意したが、きょうこは背中を向けて動かない。


「とりあえずさ、今日明日は、家にいるよ。」

「明日まで?明後日からは?」

「………………わかんね。気分と状況次第。」


 そっか、とそっけなく返すきょうこだったが、ふと、がばっと起き上がる。


「じゃあ今日は好きにしよう!大須に連れて行って!」

「大須~?機器類欲しいならネットショッピングでよくね?」

「実際に見たいの!なんでそこで否定が入るの?!」

 

 まあ、ネットショッピングでは見つからない掘り出し物はあるか、と中部地方最大の電気街への期待値を思い返すきざむ。

 なんだかんだで、チェーン展開していない個人ショップというのも悪くはない。社会福祉が拡充されるにつれて、むしろそういった店舗は趣味として生き残れるようになった。しかしながら、それらの店はブロック政策の中心部でもなければ廃れてしまっていることに、冷静に考えればと悲哀を感じてしまう。店として生き残れるのと、繁盛しているのはまた話は違うのだ。人がいなければ、物は回らない。


「なんならブロック1まで行って秋葉原もみたい!」

「やだ。大須で我慢しなさい。」

「行く!なんならブロック2で日本橋でもいい!」

「いやです。大須で我慢しなさい。」


 きょうこが我儘を言って、きざむが面倒臭がって拒否する。いつの間にか大須まで出るのは確定しているのがおかしな話。しかし、きざむに自覚がない訳ではない。

 子供の頃から繰り返されてきたやり取り。

 懐かしいものだと、きざむの口角が上がる。


 彼らはやいのやいのと騒ぎながら、バイクで家を出ることとなった。

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