第12話
今時の大学というのは、かなり自由な存在へと成り果てている。
年々高度化する各分野の技術力。急速に増大する研究に必要な前提知識の量に、4年という短期間では学生の方が追いつけなくなったのだ。
また、悪の組織による大規模な研究資料強奪や、その大元である教授誘拐事件が相次いだことにより、研究員として優秀になればなるほど護身・警備に気を付けなくてはならない環境が生まれた。
そういった時代の変化と共に、大学の制度は変わっていった。
その門戸を狭めた代わりに単位制度は無くなり、一定水準の活動報告をすれば何年でも在籍することができる。
講義は教授が安全な場所に居られる様に完全オンライン化し、大学を選ぶ基準は所有するライブラリーの質が重要視されるようになった。
さらに、優秀な研究室に入りたければ、傘下という形で存在する研究室に参加し実績を上げて、教授の目に留まってスカウトされなくてはならない。
そんな訳で研究室の栄転がまだ見えていない人間からしてみれば、多少の余裕があるものだ。
大学二年目であるきざむが、月曜日の真っ昼間だというのにバイクで薄暗いトンネルを走っているのはそのおかげと言える。
乗っているバイクは彼が普段使いしている黒一色に金属的な銀色が映える物ではなく、赤を基調としたカラーリングの華美な物だ。
リアには上に横にと備え付けられた巨大な3つの収納。
そして、そのリアボックスによって狭くなったタンデムシートの中に納まる少女の姿があった。
少女、というよりも霊装を解除した廻燐珠鬼だが、彼女の恰好シンプルなパンツスタイルで、上には雑に着せられたライダースーツ。
タンデムヘルメットと一緒にリアボックスに詰め込んでいた物を引っ張り出して来たそれは、150㎝後半の彼女の体格に合わない少し小さめのサイズで、その一着を着ること自体貸した側も貸される側も想定していなかったことが伺える。
2人の乗ったバイクが、長く続いたトンネルを抜けた。
6月半ばだというのに比較的カラッとした一日だったことが幸いし、比較的開放的な道であることも相まって右手には青く轟く霊峰がそびえ立っているのがよく見えた。
『これが、富士山ですか?』
『そ。』
『なんというか、神秘的、と表現するべき偉大さを感じます。』
『まあ、それがなきゃ日本人の魂に刻み込まれる様な山にはなってないさ。』
自動二輪車でタンデムする時には、短距離通信の手段は必須だ。
かつては専用に機器を用意しなくてはならなかったそうだが、現代になれば通信端末という物は首に掛けて自身の霊力を流し込んでそれを動力にする物が一般的で、特別に機器を用意する必要はない。
強いて言うならば、通信先に専用のアドレスを必要としない短距離通信用のアプリケーションをインストールする必要がある程度だが、それも数分あれば終わる。
『ご気分いかが?』
『風が心地いいです。あと、色んな物が見られて楽しいです。』
『そりゃあ良き。』
あまり態度に出てきてはいないが、廻燐珠鬼のそんな花丸満点な回答に気分が上がったのか、グングンとバイクの速度が上がっていく。
レール車両が発達した現代においても、あくまで比較的ではあるが観光ブロック3へ向かう為の自動4輪の通行量がそれなりに多い道だ。
時折車を追い越しつつ進んでいると、害獣避け霊子型ドーム特有の黄色い光が薄っすらと見えてきた。
『あれが観光ブロック3ですか?』
『まあ、一応そう。正確な話するなら、あそこは政府のブロック化計画の優先支援権蹴ってまで自分の土地にしがみついてる人が住んでるとこだから、観光ブロック3って呼ばれてはいても厳密にはブロック外。
こんなの日本中無限にあるけど、我を通すなら好きにしろってことでインフラ設備の維持費用を自己負担させられてるから、自然消滅するのが目に見えてて何も言われてないってとこ。
30年程前に発表され、当初から散々に叩かれた日本のブロック化計画だが、大局的に見れば至極合理的な政策だときざむは思っている。
表向きは孤立集落や小規模自治体への支援による負担を無くすことによって、浮いたリソースを利用してブロック内の人間に基本的生活の保証をするというのがこの政策の利点だった。
確かにそういった面においてこの計画はしっかりと功績を残していて、多少の既得権益への損失と引き換えに無駄を省いて大多数の国民の理想を叶えたとも言えるが、その本質は全く違う。
単純な話、2040年代後半という霊力技術が一般化されて間もない時期。
洗脳方式による戦闘員を活用した悪の組織の被害全盛期。戦闘員用の誘拐・公的施設への破壊・現代よりも金銭の価値が高かったが故の略奪行為。
当時まだヤクザだの暴力団だのマフィアだのと世間から呼ばれていた悪の組織の数々が拠点にしていたのは、各地の都市部とその付近の建築物だった。
ブロック化計画の第一段階。都市部の土地と建物の所有・用途を明確にすることで、首都圏から組織を排除。
ブロック化計画の第二段階で、ブロック外の人間を排除することにより悪の組織の隠れ蓑を無くそうというのだ。
木の隠すなら森の中、とはよく言った物で。
逆説的に、そもそもブロック外に
これには一定の効果があり、日和見癖のある日本政府にしてはよく決断したと学者からは評価されている。
まあ、そんな身を削るような政府の努力の価値をほとんど無に帰したのが、15年前にクラウンブレッドが開発した世界間の転移技術なのだが。
とはいえ、建前の理由だろうとメリット自体はある。
今更止まることもできず、今の尚日本全国が居住・観光・生産の3種類のブロックに分けられ、再開発が続けられている訳だ。
黄色い膜を超えるとそこには、廃墟になった家屋と管理が行き届いている露店がごちゃごちゃに混ざったエリアが続いていた。
そのうちの1つに、きざむはバイクを停めた。
看板すらないこじんまりとした喫茶店のような建物。顎髭を伸ばした中年の店主が一人、コーヒーカップを磨いていた。流し目でいらっしゃい、と一言。
店内を軽く見渡してカウンター席しかないのか、と若干苦い気持ちが湧いてくる生粋のテーブル席信者。
そも店自体が小さくて6席しかないカウンターを設置するしかないという、悲しい現実を察してしまい軽く同情するきざむ。
仕方なく店主の目の前に座り、見開きしかないメニューを一瞥する。
「俺はコーヒーと卵サンド2皿分。サンドイッチは塩振ってから持ってきて。
ほれ、メニュー。」
「いえ、私はお水だけ頂ければ。」
きざむがテーブルを滑らせてメニューを渡すも、廻燐珠鬼はそれを見ることなく断る。
ささっとメニューを畳んでスタンドに戻した廻燐珠鬼が次に見たのは、下唇を思いっきり裏返したきざむだった。
「えっと、あの……何か、ありましたでしょうか?」
「べっつにー?何もありませんでしたよ~?」
何かあるんだなぁ、と廻燐珠鬼は今の行動を思い返す。
メニューを渡したということは、何か注文をしないと怪しまれるから注文しろ、ということだったのかもしれない。
とはいえ、Eパックである自分が注文できる物なんて、それこそコーヒーくらいだろうか、なんて考えつつ改めてメニューを見ようとして手を伸ばすと、人差し指で手首を弾かれた。
「メロンクリームソーダ1つ追加で。」
コーヒーを持ってきた店主にきざむがそう告げた。
メロンクリームソーダ。
ニドヘガル研究所で教えられた基礎知識にはない単語だ。いや、部分部分は理解できる。メロン、は果物、クリーム、は菓子に使われる物。最後がソーダ、ということは炭酸飲料なのだろうか。
どちらにしても、糖分が混ざった飲み物を飲むということは、後で洗浄することは確定だ。
申請の手順は~等と廻燐珠鬼が考えていると、店主がその場で一瞬停止し、廻燐珠鬼の方をチラ見しながら口を開いた。
「Eパックか?」
「おん。」
「あいよ。」
Eパックのことをそんなに大々的に言ってしまっていいのかと、ぎょっとした顔できざむの方を向いてしまった廻燐珠鬼。
当の本はどこ吹く風で出てきたばかりのコーヒーを啜っている。
店主が奥に引っ込んだのを確認して、きざむに椅子を寄せて小声で話しかける。
「いいのでしょうか?Eパックのことを言ってしまって。」
「別に。出る前にちゃんと説明したろ。
お前は10歳で霊力暴走を起こして脳に障害負って、半年前に植物状態から回復してリハビリ終わったばかりの18歳の子供
「それは分かっているのですが……
それならば、メロンクリームソーダが何かは詳しく分かりませんが、少なくとも炭酸飲料なのですよね?不自然なのでは?」
「そうでもない。ここ、Eパックでも気兼ねなく食べられる、専用の料理を提供できるって謳ってる店だから。」
外は看板すらない、大きい窓ガラス以外民家とさして変わらない一軒家なのは確認している。
辺りを見渡すが、飾り気1つない店内にそれらしい記載はない。
そんなことをしていると、廻燐珠鬼の文字通り目の前に、スッとメニューが差し込まれた。少し身を引いてそれを受け取る。
中を見ると、手書きのメニュー一覧の所々に、緑色のマーカーが入っている。
その中に、メロンクリームソーダの名前があった。さらに隅も隅の何もないところに、緑マーカーと小さく「E可」という文字。
「このマーカーが、Eパックでも食べられる物ってことなんですか?」
「話の流れ的に聞くまでもなく、じゃない?」
廻燐珠鬼がメニューを見ている間に、きざむは目の前に仮想ディスプレイを展開していた。
程なくして、首の端末に軽い振動。それは表世界で使用されている回線でメッセージが送られてきたことを意味している。
メッセージを開き、書き込みはするなよ、という文章と共に送られてきたリンクを踏むと、そこにはEパック利用者が集まる掲示板に繋がっていた。
そこには、この店が隠れた名店、として紹介されていた。
見つけられなくて周囲を3往復したからせめて看板くらい出してほしい、等という怨嗟の声と、Eパック使用者に合わせて味を調整していて濃すぎずそれでいてしっかりと味が整っている、という称賛の声。
「これは、」
「自分でも色々調べときな。」
廻燐珠鬼が言われた通りに掲示板を眺めていると、目の前に緑色に染まったグラスが運ばれてきた。隣には毎日飲んで慣れ親しんだ、Eパック用の洗浄液のボトルが置かれる。
メロンクリームソーダ。
廻燐珠鬼が初めて見るそれは、まさしく未知の塊だった。
グラスに注がれた緑色の液体は、メロン味であることを強調する為に皮の色に染めてあるのだろう。泡が吹いているところを見るに、ソーダ、つまり炭酸飲料であることもわかる。差し込まれた金属製のストローで飲め、ということなのだろう。金属製のストローというのは初めてだが、プラスチック製とさして変わるまいと高を括る。
しかし、その上に浮いているのは、黄色がかったアイスクリームだった。
炭酸飲料にアイスクリームを乗せると美味しいのだろうか、等とぼんやりと考えていると、店主はきざむの前にサンドイッチを置いて奥に引き込んでしまった。つまり、提供されるのはこれで終わりということ。
困ったことに、ニドヘガル研究所で教えられた基礎教育によって、アイスクリームというものはスプーンを使用して食べる物だということは知っている。
しかし今、周囲にそれはない。
いや、ある。
きざむが飲んでいたコーヒー。
シュガーもミルクも入れない彼が飲んでいたそのカップの下に敷かれた皿、コーヒーソーサーの上に、手付かずのスプーンが、ある。
それ以外にない、というのが正しい。
店主は使っていないそれを見て、それで十分だろう、と判断したということなのだろうか、と廻燐珠鬼は疑う。
「ちょっと味見させて。」
そんなことを考えていると、きざむはその唯一のスプーンを手に取り、目の前のメロンクリームソーダからアイスクリームを一掬いして口に運ぶ。
「うっっっっす。あじ、な。」
唯一のスプーンが使用済みになったということは、このアイスクリームを自分が食べる唯一の希望が潰えたということ。怪しまれない様に自然体にならないと、なんて考えている廻燐珠鬼は絶望に沈む。
アイスを食べてこれがEパック用かぁ、なんてしみじみと嘆息するきざむだったが、ふと尿意を覚えてトイレへと立ち上がった。
スプーンは再度コーヒーソーサーに置かれている。
状況を整理するに、聞くまでもなくそれを使うべきなのだろうと。
――――他人さんが使うた食器を使うんは、どないなもんやろか。
特にわたしはEパックやし、他人さんからの雑菌を体ん中に入れるんはよろしくない。それに、グレイニンジャ様ほどの人生経験はないけど、それがはしたないことなんはわかるんよ。
うー、っと唸る廻燐珠鬼。
悩んで悩んで、恐らく人生最高に悩んだ1分間。
結局、置かれたそれに手を付けた。
アイスに差し込む。
溶けかけのそれは大した抵抗を見せず、その身の一部を離別させてスプーンが貫通した。スプーンとの接触面に、液状になったアイスが溜まっている。
パクリと一口。
甘さが口一杯に広がる。
これまで感じた最大の甘味が、苦みによって完全に殺されていた先日のコーヒーであるが故に、この一口はコーヒーとは正反対の劇薬となる。
はわわわわわわ、と胃から背筋に伝って頭へと登る快楽物質によって、頬が紅潮する。
次の一口、次の一口、とアイスがどんどん減っていく。
「なーしとん?」
一口を口に入れる直前、そんな一言で廻燐珠鬼の思考は完全に停止した。
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