第7話
クラウンブレッドの本部は、元々月よりもさらに小さい小惑星を改造して、重力や空気を整えた物だ。
世界の出入口や本部ビルの1階層に当たる部分は、その小惑星の超上空に人工的に作られた、球状の金属大地である。
地下には広大な生産施設が用意されていて、周辺の惑星から採取された素材を用いて悪の組織間で売買する商品を製作している。
さらには惑星を覆うその生産用の金属大地の上にイボの様に生えた本部ビルは、1階から100階は基本的に各分野のエキスパートによる研究室が詰め込まれている。
では100階以上はどうなっているのかと言えば、上級怪人達の私室が広がっている。
クラウンブレッド本部ビル第141階
ドーム球場1個分なんて陳腐な表現が適切なサイズのフロア丸々1つが、上級怪人グレイニンジャに与えられた私室である。
表の世界での生活がない上級怪人は数多く、小さな遊園地を作る者がいる程度には各々が好き放題私室を改造しているのだが、表の社会に日常があるグレイニンジャ、きざむはそもそも年に1月分ここで過ごせば良い方だ。
故に、この階層には最低限の居住スペース以外にはほとんど物が存在しない虚無の白が広がっている。
そしてその最低限の居住スペース、具体的に言うと和室と洋室を14畳ごとで隣り合わせた部屋の洋室側にきざむと廻燐珠鬼は移動していた。
何も出さないのもまずいか、と思い立ちキッチンに立ちひとまずコーヒーを入れようと、自分用と珠鬼用の豆をそれぞれ別の物を抽出機にぶち込む。
カップを持って居間のような空間に戻ると、ソファから身を乗り出す勢いでやけにきょろきょろしている。
ニル研出身者はこれだからなぁ、と呆れに近い感情を持ってしまうきざむ。
組織が1から作りだした怪人というのは、怪人として必要な要素が詰まった安定供給品であることが売りなのだが、結局のところ育った環境が生簀の中の魚なのだ。
若干グレードが高い程度で一般的なリビングと変わらないこの空間も、彼女にとってはジャングルで育った人間が大都会に来たのと変わりない程度のカルチャーショックなのだろう。
雑に彼女の前にカップを滑らせてドスッとソファに腰掛ける。
ヒタチのところで溜め込んでいるであろう秘蔵の接待用茶菓子をパクって来ればよかった、なんて本人が聞いたら悲鳴を上げそうな軽い後悔しつつ、湯気を上げるカップに口を付ける。
温度良好、少し強い酸味で淡白な味わいに、カフェイン摂取目的としては優秀だな、なんて傍から聞いたら誉めているのか貶しているのかわからない感想を抱いた。
廻燐珠鬼の方を見ると、ソファへの座り方、カップの持ち方、等の細々とした所作自体は、ある意味教科書通りと言うべきで整った物があるが、コーヒーに対してクンクンと鼻を寄せる動作に、初めて見る餌を警戒している小動物めいた歪さを感じる。
「苦っ……」
ああ、こいつとは分かり合えないな、と悟った。
かなり甘味のあるコーヒーを出してみたが、それでも尚苦いとのたまった。
安物しか飲んだことのないくせに苦いだけの黒汁~だのと宣うコーヒー嫌いの
一応最後まで飲もうとしているのは、及第点ではあるのだろうか。
「いいよ無理しないで。」
「いえ、無理はしていません。少し味が濃くて、びっくりしただけなので。」
「そんな濃い?結構あっさりした種類だと思うんだけど。」
「単に私がこういった物を飲むのが初めてなだけなので、お気になさらないでください。」
「ニル研出身はろくなもん口にできてないってか?難儀だねえ。」
そこまで話して、ああ、そうかニル研か、と合点が行った。
「ああ、もしかして、お前Eパックなの?」
「はい、生まれた時から導入しています。」
「そりゃあ、この程度でも濃いって感じるわな。」
エネルギーパックシステム
この技術自体は、表の世界にもあるものだ。とはいえこれを導入するのは、まだスペースシャトルを拠点としていた今ほど余裕のない頃の宇宙開発技師や、移植でも賄えないほどの内蔵の大欠損を負った者、本当の終末医療に差し掛かった老人くらいなものだ。
極端な話、Eパックというのは点滴技術の発展型でしかない。
体内の呼吸器や生殖器以外の臓器を取り出し、空いた空間に専用の血液直結型成分調整機を埋め込む。
背中がパカっと開くように改造されていて、専用のボトルを差し込むと無補給で活動が可能という代物だ。左右に一本ずつ挿入でき、一本当たり低燃費状態ならば5日間、運動や戦闘で最大稼働すると3時間程度の活動ができると言われている。
口から入った物は一度タンク内に貯蔵され、血中に必要なH2Oだけ確保された後に、血液から出た老廃物と共に尿のように排出される。
そんな彼女にとっては、コーヒーの味はどんなものであれ劇物も劇物だろう。
というより、Eパック使用者に固形物を食べさせるなんていう禁忌を犯す前に知れてよかったと、きざむは少し肝を冷やした。
ただただそのまま排出されるだけの無糖のコーヒーと違い、焼き菓子なんて物を食べさせたらフィルターを詰まらせかねないし、残留物が怖い。
「意識残してる奴にもEパック使うのはどうなのかねぇ……」
「ニドへドル研究所の総生産量を考えれば、必然かと。」
「日本だけで年5万体超えるんだっけ?それが15年で出荷?」
「E級用は15年ですが、D級以上は私のように調整が難航する場合や、売り手が見つかるまでの間、数年遅れる例がほどんどです。」
「どちらにせよざっくり計算で80万弱ってとこか……そりゃま、管理は大変だろうけどさ。なんだかんだ、強い精神状態に食事は重要よ?まあ、お前に言っても仕方ないけど。」
質を取るか量を取るかなのだろうか、と雑な結論を付けて残りのコーヒーを啜る。
Eパック自体、その肉体の不可逆性により様々な論争がされてきた物だ。
内臓一個二個程度ならば細胞増幅技術で培養した物を移植すればなんとでもなるが、消化器官全てともなると免疫や自己再生の負担の問題で衰弱が激しくなる。
排出口を専用の物に変えれば固形物も食べられないこともないが、体内で管理する物なだけあって、雑菌等はかなりデリケートだ。雑に洗い流せる液体なら兎も角、残留物が多い物は危険だと言われている。
故に学会に提出された30年前は「社畜奴隷製造技術」だのと呼ばれ非人道的だと騒がれていたが、そのあまりの利便性に、適切な運用前提と医療界が押し切って普及に繋がっている。
実際のところは当初の懸念の通り表の世界の医療的な利用よりも、こういった裏の世界の奴隷作成の方が便利に使われているというのは悲しいことなのだろう。
「ごちそうさまでし……た?」
「なんでちょっと疑問形。」
「ごちそうさま、というのは、食後に言うものと教えられているので、飲み物を頂いた時にはそれは本当に適切なのかと思いまして。」
口元を抑えながらコテンっと軽く首を傾げる動作に、かわいいなぁ、なんて若干の男の本能が生まれつつも、この程度の常識も教えないといけないのか、という人間としての惰性がそれを押し流して行くのを感じるきざむ。
「あー…………まあ、ごちそうさまでも合ってるんだろうけど、重い。ありがとうでいんじゃない?」
「とても美味なコーヒーを、ありがとうございました。」
「さいでっか。」
時計を見れば、ヒタチの研究室を出てまだ10分も経っていないことに苛立つきざむ。
時間潰しが苦手な性質ではあるのだが、ここで目の前の少女を無視して寝る、なんて最終手段を取れる程、きざむの心は強くなかった。
かといって、何かをする算段も付いていない。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"…………………………暇」
結局、うわ言の様にそんな情けない言葉を垂れ流すことになった。醜いことは自覚していても、(マイナスの)やる気と義務感がせめぎ合って出力された結果である。
四肢を投げ打ちソファに思いっきり体重を預けてその暇さを表現するが、廻燐珠鬼からは何のアクションも発されない。
敗北感を覚えながらも視線を少し下げると、純粋無垢な双眸がじっとこちらに向けられているのが確認できた。
「「………………………………………………………………」」
「廻燐珠鬼は今回の任務の内容なんか聞いてんの?」
「いいえ。私はグレイニンジャ様に仕える様、指示されただけです。」
「まあそりゃそか。」
「「………………………………………………………………」」
「廻燐珠鬼は何級なの?」
「B級と診断されています。」
「へえ、思ったより高いじゃん。ヒタチの奴、ほんとに奮発したな。」
「「………………………………………………………………」」
「廻燐珠鬼は今いくつなの?」
「今年で18歳だと聞いています。」
「3年も期限オーバーしたんか。よっぽど調整に苦戦したんやな。」
「調整に苦戦、というのは少し語弊があります。属性の都合上、時間がかかりました。」
「属性まで持ってるんだ、すごいじゃん。」
「お褒めいただき光栄です。」
「「………………………………………………………………」」
あああああああああああああああああああああああああああああああ
絶叫が鳴り響いた。
きざむの中で。
何か投げ返せよ!一方的に質問させんなよ!あなたはどうなんですか?くらいでいいから話続ける努力をしろよ!
そんな怒りの文言を口に出そうとして、無駄に沈む低反発ソファだというのに無駄に崩れないマナー100点といった姿勢に口を噤む。
もう少し人間らしさを出してくれていれば、そんな罵倒も正当なのかもしれないが、そもそもまともな会話すらしてこなかったであろう少女に当てる物ではないと気が付いたからだ。
そもそも自分だけが質問するのは敗北感があるから、というしょうもない理由で、あと一歩を踏み込むのを敢えて抑えているのだから、廻燐珠鬼からすればいい迷惑である。
態度には特に現れていないのが、さらに理不尽を極めている。
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