第6話

 居住ブロック4の北端。

 山に囲まれて自然を感じられるエリアとして、それなりに人気なこの区域には、架けられて30年程の石造りの橋がある。

 その上を走る大型二輪が一台。

 居住ブロック3にある祖母の家に妹を送り届け、颯爽とUターンしてきたありあけきざむだ。

 存在する車両が軒並み自動運転の為に動きが一々緩慢かつ無駄に規則正しいせいで一切追い抜きもできない幹線道路を抜けたことにより、速度が出せるようになってそこそこご満悦な様子。


 悪の組織の施設への入口は、一般人が思っているよりも遥かに日常に潜んでいる。

 この橋も、その1つだった。


 傍から見れば、黒々としたバイクがただ橋を渡って、遥か先へと走り去る様にしか見えなかっただろう。

 しかし、それは偽装用に仕組まれた残影でしかない。

 では、きざむがどこに行ったのかと問われれば、別の世界という表現が正しい。


 確かに外から見えるバイクの影は、きざむの乗ったそれで正しい。

 まあ要するに、別世界への入口を現世界……便宜上現世界を地球と表現するが、地球とそっくりの地形に整え、組織の構成員が通る瞬間だけ入れ替える。

 多少の違いはあっても問題はない。人間の目に長時間同じ光が入るとその残影が残る様に、世界も少しだけその姿を残す。

 

 故に施設への侵入フェイズが終わった今、きざむの視界に映っているのは、偽装用の自然環境は終わり、あまりに直線的に区画された真っ白な空間。

 無機質な地平の彼方には、空気管理の為の気密ドームの内側。

 一直線に整備された道路の先には、四方八方からライトアップされた鏡張りのビルが1つ。

 しっかりと周囲への熱対策として上へと光が逃げる様に設計され、かつその反射光により見た目以上にそのビルは巨大に見える。

 

 淡泊主義の癖に見栄だけはいっちょ前だな、なんて嫌味を心の中で吐き捨てつつシェルターめいた防御の入り口を超え、ビルの内部へと侵入する。


 中に入ると、ロビーではバイザーが付いていない女の構成員が2人で迎えた。

 彼女らには戦闘員の物と同じ、青と緑を基調とした全身タイツながら腰部には股を隠せていないフリルが付けられている。

 基本的にクラウンブレッド始め多くの悪の組織は、平の戦闘員にバイザーを装着する。これは網膜による認識よりも、霊力技術を利用したカメラを使用した方が、より多くの情報を捌けるからだ。つまり、顔面の一部をひっぺがして、肉と骨に機械部品をねじ込む。

 そもそも、眼球なんて戦闘中に破損したら困る様な脆い部品は、戦闘員には必要ない。

 脳の中身を全部洗い流して、戦闘用に調整された精神を植え付ける。

 それで完成するのがE級能力者、つまりは訓練された各国の正規兵における最低ラインのF級能力者を超えることができるのだから、人道を無視すればコストパフォーマンスは化け物である。

 ただし、天然の素質が重要なD級、C級能力者以上になってくると、その精神の繊細さによって話は盛大に変わってくる。

 

 なのでここにいる構成員がD級以上の優秀な構成員なのか、と問われれば、それは大きな間違いだ。

 確かに脳の中身が弄られているのは変わりないが、戦闘用の構成員達と違い、施設内にいる構成員は基本的に接待用、要するに見目麗しい女が手に入ったので、多少自我を手の中で大事に飼おうという話だ。

 上級怪人ならば手を出しても構わないので、まさしく性接待用だ。きざむが母と共に訪れた際、男の構成員が出迎えたことがあるので、男女どちらの上級怪人だろうと対応可能なのだろう。


 どちらもやわらかい印象を受ける顔立ちに、あばら骨が浮きそうな程の細身ながら、胸部はしっかりと主張はしている。髪は短めのボブと低めのポニーテール。

 きざむとしては完全に自分の性癖を網羅されていることに、むしろ腹が立ってくる。

 まだ両親の関係で殺伐としなかった頃、敢えて若気の至り、と表現する様な時に、そこいらを包み隠すことなく恩恵を享受していたせいでもあるのだが。

 溜息を付きつつバイクを止め、キーを片方に投げつける。


 奥へ進むとそこは普通のビジネスビルと大差はない。

 いや、今時エントランスに人間の受付を置いているビルなんてものは、中々存在しないだろう。多少の柔軟性は持たせていてもプログラム通りの仕事しかしないアンドロイド型の受付嬢なんて存在は、頭のおかしいクレーマーには最適解だ。

 しかしながらクラウンブレッドの幹部クラスともなれば、洗脳した構成員等、そこらのなけなしに顔を付けましたよ、みたいなアンドロイドと大差ないということなのだろう。


 ひとまずエントランスの真ん中で立ち尽くすが、後ろを付いてきている女構成員が何も言わないということは、誰かが案内に来るのだろうと思っていた。しかし、中に入っても誰も来ないことに違和感を感じる。

 説明を、と口を開きかけた時、その男は小走りにやってきた。

 

「やぁやぁやぁ、グレイニンジャ君、待たせて済まないね。」

「3時間も早く来たのは俺だから、そこは気にはしねえけど。どうせまたキリがいいところまで~とか言ってたんだろ。いい加減作戦立案なんかしてないで研究に没頭したらどうなんだ。」

「その研究の為に必要な作戦で、呼び出してるんだよ。」


 前を閉めた白衣を膨らませる少々小太り気味なこの男は、コードネーム・ヒタチ。

 クラウンブレッド次期幹部の座を、一介の研究員でありながら怪人であるブエルラギナやもう一人の怪人と奪い合っている男。

 そもそもが、ブエルラギナやヴァルトルレディの様に研究員でありながらも現場で怪人として活動する方が珍しい。

 怪人ならば戦闘を、研究員ならば研究を、と区別されている中で研究員が現場に関わることは珍しいが、それでも尚後方より作戦指揮を取って実績を上げ、弱冠26歳で幹部候補にまで上がって来たのがこの男だ。

 行こうか、なんて少し脂ぎった鼻を擦るヒタチと共に、エレベーターへと乗り込む。


「なんにせよ、急に呼び出して悪かったね。せっかくの休日、妹さんと一緒に居させてあげられなくて、悪いと思ってるよ。」

「別に。」

「そうつんけんしないでほしいな。後で説明するけど、ちゃんと埋め合わせは用意してあるから。」

「ほんとかよ。」

「ほんとだよ。僕はそういうところしっかりしてるんだよ?」

「知らん。」

「知らんって………………そもそもいつも言ってるけど、僕だって妹と一緒にいたいって気持ちは分かるんだよ?」

「分かってたまるか。」


 エレベーターが停止し扉が開くと、飛び込んで来る人影。

 身長144㎝、童顔ツインテールに、旧世代が使用していたセーラー服。ニーソックスは黒一択、スカート丈は屈むとギリギリショーツが見えるくらい。

 覚えたくも無いのに無限に聞かされ刻み込まれたフレーズそのままの姿に嫌気が刺すきざむ。

 しかしながら少女の顔をよく見てみれば、きざむは知らない顔だ。

 そんな彼女は、一目散にヒタチの元へと駆け寄る。


「おかえりなさい!おにいちゃん!これだけの時間でもみゆは待ちくたびれちゃったのです!」

「おおお!ごめんね、みゆたん。ごめんねのチューたっくさんするからゆるちてね!」


 胸元に飛び込んで来たその子を、ベロベロと犬の様に舐めまわす変態を放置してさっさと中に入り、何かの端子やら配線やらを踏み潰しながら進む。

 整理はされていないが、こいつは本気で大惨事になる物は放置されていない、という無駄な信頼により、部屋の奥にあるソファへと到達してどっしりと腰を降ろす。

 当の部屋主は若干の睨みを気にもせず、雑多な物の隙間をスイスイ、と進んでくる。


「ふう、お待たせ。」

「お前また潰したの?」

「潰したとはなんだよ。ただ、前の子は妹からかけ離れてしまっただけなんだ………………」

「しょーもねえ。」


 後から付いてきた少女が、顔に残った唾液を手に取って舐める姿に、ヒタチはご満悦の様子だ。

 最低限、話をする間は性欲処理としか思えないその行為をする気はないらしい。挨拶程度ならもう既に諦めているが、この調子を続けたら殴ろうかと思っていたきざむは、少しほっとする。単に前科1犯で殴られたから懲りただけかもしれない。

 

 完全洗脳されている戦闘員と違い、接待用の構成員は個性を出す為に自己の思考がある程度残されている。その上から更にフィルターを何重にも押し付けると、自我が崩壊することがある。

 そうなればもう、汎用的洗脳データを1から挿入した戦闘員送りだ。

 ヒタチという男は、己の理想に近付ける為に気に食わない反応をする度に何度も洗脳をやり直し、そして壊す。そういう男だった。

 性質が悪いのは、洗脳データが洗練されることにより、壊れるまで洗脳することを正当化していることだろうか。そして、それが許されるだけの実績を残していることだろう。


「ああ、そうそう。君に紹介しないといけない子がいるんだよ。」


 そう言ってヒタチが端末を操作すると、研究室の奥にある扉が開く。

 中からは少女が出てきて、一瞬またラブドール自慢でもされるのかと疑いかけたが、その容貌を見てそうではないと気が付く。

 青紫がかった髪に、着崩された深紅の振袖、光の加減か虹の様に色が変わる帯が、腕に纏わり付きながら宙を舞っている。

 十中八九、霊装だ。さらに、これだけ独自性が高くなるということは、C級以上の能力者。

 

廻燐珠鬼かいりんしゅき、と申します。呼ぶに長ければ、珠鬼、とだけ読んでいただければ。」


 病的なまでの白い肌に、きざむは一瞬見惚れてしまった。

 化粧をしている、というよりは、これまで日光を一度も浴びたことがない、と言われた方が納得できそうな肌。

 短髪の様に見えるがその実後頭部まで巻き上げているだけで、それを解けばそれなりの長さがありそうだ。それを纏めるのが、茨を模った2本の簪。

 地獄の様な足場の中を大股になることなく手を腹の帯に添えて優雅に歩いてくるその様は、気品や高潔さを感じる。


 本当によく自分の好みを分かっていらっしゃる、と腹が立つと同時に、そもそも素直にポッと上がってしまった自分にも嫌気が刺すきざむ。

 霊力の強い人間というのは、魂の色がよく見えるものだ。

 霊装を纏っているのだから、なおのこと。

 しかし、そんな浮かれた感情を表に出すのは癪でしかない。

 

「ニル研から買ったの?」

「ああ、ちょうどお値打ちな買い方があってね。」


 ニドへドル研究所

 

 悪の組織というのはそれぞれ何かしらの野望を掲げているものだが、結局のところ何か秀でた特性を持っていなくては、他の組織に吸収されるかヒーローに潰される。

 きざむ達が所属するクラウンブレッドは典型的な商社・研究型の組織で、表の世界では手に入らない大規模機械の開発・販売を生業としている。

 また、最近になってブエルラギナらの霊力強化系の科学者が台頭し、怪人調整事業もそれなりに成長してきている。

 しかし、組織の基本戦力である怪人を作るにはまず、最低でも15年は肉体的に成長させた素体が必要だ。

 多くの組織はそれを表の世界に住んでいる人間を誘拐する形でそれを補おうとするが、先日のヴァルトルレディの様に大々的に事を起こせばヒーローに捕捉され袋叩きになるだろう。

 また、能力者というのはランクが高くなるにつれて、改造がしにくくなるという問題もある。A級、B級能力者ともなれば、組織に忠誠を誓わせる程度の洗脳ですら、実行すれば即座に精神破綻を起こす可能性もある。

 だからこそ、A級能力者であるきざむが無改造で悠々自適に組織に唾を吐きながら怪人活動をしているのだが。

 

 そんな訳で、手間がかかる後天的な戦闘員ではなく、組織内で受精卵から作り出した戸籍すらない人間を金を出して購入することがある。

 ニドヘガル研究所は欧州系の組織で、日本にも愛用する組織が多いことから支部まで存在している。

 クラウンブレッドも一般戦闘員用に低能力者をダース単位で購入することもあれば、俗に怪人と呼ばれる様になるD級以上の能力者を競りで落とすこともある。

 

 クラウンブレッドは霊力強化方面にそれなりの技術があるので専ら低級戦闘員の方ばかり利用しているが、お値打ちとあれば競りに参加して上位の能力者を購入もする。

 

「しばらく君に付いて動いてもらうよ。これだけ美人さんを部下にするなんて、ヒタチ様やさしい~って崇めてくれてもいいんだよ?」

「そんな、美人やなんて………………こほん、とにかく、よろしくお願いいたします、グレイニンジャ様。」


 袖で口元を抑えて照れた様子を見せる珠鬼は、確かに美人ではある。共にいられることに、それなりに期待することもあろう。

 というよりも、手を出しても問題ないというか、ヒタチがそういう性接待的な意図で、彼女を差し出しているのは明白だ。ニル研出身ならば、その辺りは純潔を保ちつつ、色々と技術を仕込んでいるだろう。

 むしろこの据え膳を食わないと、余計な気回しで面倒が増えることも分かる。手を出すのはやぶさかでない。

 しかし、それを能天気に喜ぶ程、きざむは短慮でもなかった。

 美味しい話には裏があるわけで、


「ただの面倒事を押し付ける為の機嫌取り、前払い報酬だろ。なにが崇めてくれてもいいんだぜ?だよ。ぶっとばすぞ。」


 所詮はこれからヒタチが持ってくる任務の、袖の下の様な物だ。

 下手に手を出して与えられた部下以上の関係になってしまっては、その任務がゴミ同然だった時に逃げ出すことができなくなる、所謂毒入りの据え膳。

 

「否定はしないよ。でも、そもそもそんなに嬉しくなさそうだね?彼女、お気に召さなかったかい?君が気に入りそうだと確信していたんだが………………」

「別にこいつが気に入ってないからって嚙みついてるんじゃねえよ。単に後戻りできない状況を押し付けられてるのが嫌なだけだ。今回に限らず勝算の欠片もねえクソみたいな任務持ってきたら、しがらみ関係なしに容赦なく消えるからな。」

「そうかい、肝に銘じておくよ。いやまあ、実際、君のそういう損得勘定には助かっているんだ。先日のヴァルトルレディの一件。君がいなければD級素体4体に加えて、300体近いE級戦闘員を失っていただろうね。」

「あの馬鹿はお前の直属ではないにしろ、派閥であることには変わらないだろ。部下の手綱ぐらい握れ。」

「一応話としては、新入りの研究員が入って来るから練習用に少しばかり一般人を確保してほしいって、上の方の研究員が集まったときに貧乏くじ押し付けただけなんだけどねぇ……無駄にプライドと向上心が高くて手を抜くことをがないから、あれで細々とした雑務を任せるには丁度いいんだ。今回はちょっと、それが高じて暴走してしまってね。まー申し開きのしようもない。」


 ――――実損益で強化済C級能力者の怪人4体が出た事案を、暴走の一言で済ませてもいいものか

 そんな小言を言おうかと思ったが、独断で組織に大損益を与えかねなかったヴァルトルレディには、わざわざ語るまでもなく相応の罰が与えられていることを思えば溜飲は下がっている。

 

 重要任務に失敗したり、問題を起こした怪人の末路というのは、大体決まっている。

 男の怪人ならば自我を失う前提の、所謂特攻用爆弾役として強化改造を施される。

 女の怪人ならばランクが低ければ男と同じく改造され、ランクが高ければ優秀な能力者を産むための孕み袋にされるだろう。

 霊力というものはそもそも精神強度によって決まる物で、幼少期に培う後天的な部分が大きい。

 故に高ランクの父母から高ランクの子供が生まれるというのは根拠のない迷信レベルではあるのだが、傾向としてなくもないという低度の認識の元で、この様な運用がされている。

 

 ヴァルトルレディは腐っても天然物のC級能力者で、素体としては比較的に優秀だ。

 肉体もグラマラスで見た目だけはいいから、改造に失敗して特攻隊としてすら使い物にならなくなったB級C級能力者の保管庫に放りこまれ、昼夜問わず輪姦まわされているのではないだろうか。

 もしくは前々から狙っていたどこぞの物好きが、三十路直前のあの女を飼うと言い出すか。どちらにしても、幸せな未来は訪れないだろう。

 少なくとも(エセ)妹狂いのロリコンであるヒタチが、仕事面のみで評価していたであろうあの女を、庇い立てすることはないことだけは言えるな、ときざむは鼻で笑う。


「もう要件は終わりか?」

「まあ、僕としては君と雑談に興じてもいいんだけどね。研究も大事だけど、高ランクの能力者との対談というのは得難い物だ。特に、僕みたいな機械専門の科学者にとってはね。」

「俺がお前と雑談する気がねえから諦めろ。」

 

 時間を見れば、まだ13時にすらなっていない。きょうこを送った後に時間を潰すのも面倒で、直行してきたのが仇となったようだ。

 そろそろ目の前の男との会話も億劫になってきたきざむは、大きな溜息を付いて立ち上り、その場を後にした。

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